사도행전 묵상36 【주 예수를 믿으라】 20230731 (월) 사도행전 16장 19~40

사도행전 16장 19~4016:19 종의 주인들은 자기 이익의 소망이 끊어진 것을 보고 바울과 실라를 잡아 가지고 저자로 관원들에게 끌어 갔다가16:20 상관들 앞에 데리고 가서 말하되 이 사람들이 유대인인데 우리 성을 심히 요란케 하여16:21 로마 사람인 우리가 받지도 못하고 행치도 못할 풍속을 전한다 하거늘16:22 무리가 일제히 일어나 송사하니 상관들이 옷을 찢어 벗기고 매로 치라 하여16:23 많이 친…

使徒の働き 黙想35【同じことば、違う意味】 20230730 (日) 枝川愛の教会 使徒の働き 16章 11-18

使徒の働き 16章 11-18 16:11 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。 16:12 そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。 16:13 そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈りの場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。 16:14 リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。 16:15 そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊りください。」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。 16:16 さて、祈り場に行く途中のことであった。私たちは占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた。 16:17 彼女はパウロや私たちの後について来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けた。 16:18 何日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り向いてその霊に「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。この女から出て行け」と言った。すると、ただちに霊は出て行った。 パウロたちはついにマケドニアのピリピに着きました。そこで、いつも通りイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。 神様はその福音を聞いていた女、リディアの心を開き、バプテスマを受けるようにし、パウロたちに仕える心を与えました。 これはパウロがえらいからでも、リディアがえらいからでもありません。すべてが純粋な福音の力によって起きたことです。 リディアとの出会いに続いて、パウロたちは占いの霊につかれた女奴隷と出会いました。 福音書に出ていた霊たちのように、この霊もパウロたちと共にしているイエス・キリストの存在を知っていました。 その霊がパウロたちの後について行きながら叫んだことばは、ちらっと見ると、私たちが知っている福音とあまり違わなさそうです。 しかし、この霊が叫んだことばは、キリストの福音とはまったく違う、当時の多神教文化の中では理解しずらい、 ただ誤解を生み出すだけのパウロたちの伝道活動の邪魔をするだけのことでした。 ‘ことば’というものは凄いです。同じことばを言っていても、言ってる人、文化、状況によってその意味は完全に変わるからです。 霊が叫んでいたことばはイエス・キリストの福音を明らかに理解して伝えるようなことばでした。 しかし、霊が叫んだことばとパウロが宣べ伝えた福音はまったく違うものでした。 私たちが宣べ伝える福音はどうですか。ことばだけは福音の内容を言っていても、まったく違うものについて語っていたかも知れません。 逆に、直接に福音のことばは言っていなくても、私たちが生きていく姿を通して、だれかは福音を見つけることがあるかも知れません。 私たちが口にする福音が、生きていく姿がイエス・キリストの福音を表すものになることを望みます。

사도행전 묵상35 【같은 말, 다른 의미】 20230730 (일) 사도행전 16장 11-18

사도행전 16장 11-18 16:11 우리가 드로아에서 배로 떠나 사모드라게로 직행하여 이튿날 네압볼리로 가고 16:12 거기서 빌립보에 이르니 이는 마게도냐 지방의 첫 성이요 또 로마의 식민지라 이 성에서 수일을 유하다가 16:13 안식일에 우리가 기도할 곳이 있을까 하여 문 밖 강가에 나가 거기 앉아서 모인 여자들에게 말하는데 16:14 두아디라 시에 있는 자색 옷감 장사로서 하나님을 섬기는 루디아라…

使徒の働き 黙想34【出会いの祝福】 20230729 (土) 枝川愛の教会 使徒の働き 16章 1-10

使徒の働き 16章 1-10 16:1 それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人であった。 16:2 彼は、リステラとイコニオンの兄弟たちの間で、評判の良い人であった。 16:3 パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。 16:4 彼らは町々を巡り、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を、守るべきものとして人々に伝えた。 16:5 こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった。 16:6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。 16:7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。 16:8 それでミシアを通って、トロアスに下った。 16:9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。 16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。 パウロの第二次伝道旅行が始まり、シリアとキリキアを通してリステラに至りました。そこにはパウロの第一次伝道旅行のとき、福音を聞いてイエスを信じるようになったテモテがいました。3年前はパウロと出会ってイエス・キリストの福音を聞く祝福をもらったテモテは、これからパウロの頼もしい仲間としてパウロと周りの人々に祝福になる存在になりました。 パウロの計画通りだと、ミシアを通って、ビティニアに入って福音を宣べ伝える予定でした。そこに福音を聞くために待っている人々のことを思いながら、パウロはビティニアに入るために努力しました。しかし、聖霊の計画はそこにはありませんでした。パウロは夜中の幻の中でマケドニア人と会いました。パウロの計画にマケドニアに向かう予定はなかったが、パウロはそれが神様の召しだと認めました。 “パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。”(使徒16:10) 人々との出会いは世の中どこに行っても存在します。しかし、その出会いがただの一瞬のすれちがいになるか、神様の祝福になるか私たちの心と信仰次第です。私たちの出会いすべては神様の祝福でありますが、私たちがその事実を知ることも、認めることも簡単ではありません。マケドニアにはその出会いの祝福を望んでいる人々がいました。そして、パウロは神様のみこころに従って彼らのもとへ行きました。自分の計画にはなかったことだったが、自分に与えてくださった出会いの祝福を覚えながらマケドニアに渡りました。 出会いの祝福はいつも巡り巡って広がって行きます。ダマスコの近くでイエス・キリストと出会う祝福をもらったパウロは、その祝福を伝えるものになりました。そのパウロと出会ってイエス・キリストを信じる祝福をもらったテモテは、今度、パウロの仲間として、パウロに祝福になり、これから出会う人々に祝福になります。パウロはテモテとの出会いを通してこの祝福について再び考えるようになったかも知れません。だからこそ自分の計画にはなかった旅であっても、神様に従って、その旅の中で受けるようになる祝福を楽しみにしながら、祝福を伝えるための旅に出たのでしょう。 私たちにもすでに出会いの祝福は与えられています。それが周りの人々との出会いでも、イエス様との出会いでも与えられているという事実は否定することができません。そうすると、その次は何でしょうか。私たちは祝福をもらう立場にとどまってはいけません。私たちに与えてくださった出会いの祝福をもって、他の人々の祝福になるために出ていくべきです。このことの連続でこの世に神様の祝福が満ち溢れるようにないます。 祝福を伝えることは他人とためだけではありません。その祝福を伝えたパウロが頼もしい仲間テモテと出会う祝福をもらったように、神様は私たちの祝福を伝える働きを通して、今日も私たちに祝福を与えてくださいます。

사도행전 묵상34 【만남의 축복】 20230729 (토) 사도행전 16장 1-10

사도행전 16장 1-10 16:1 바울이 더베와 루스드라에도 이르매 거기 디모데라 하는 제자가 있으니 그 어머니는 믿는 유대 여자요 아버지는 헬라인이라 16:2 디모데는 루스드라와 이고니온에 있는 형제들에게 칭찬 받는 자니 16:3 바울이 그를 데리고 떠나고자 할새 그 지역에 있는 유대인으로 말미암아 그를 데려다가 할례를 행하니 이는 그 사람들이 그의 아버지는 헬라인인 줄 다 앎이러라 16:4 여러…

使徒の働き 黙想33【福音のための心】 20230728 (金) 枝川愛の教会 使徒の働き 15章 30-41

使徒の働き 15章 30-41 15:30 さて、一行は送り出されてアンティオキアに下り、教会の会衆を集めて手紙を手渡した。 15:31 人々はそれを読んで、その励ましのことばに喜んだ。 15:32 ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、力づけた。 15:33 二人は、しばらく滞在した後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、自分たちを遣わした人々のところに帰って行った。 15:34 15:35 パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のことばを教え、福音を宣べ伝えた。 15:36 それから数日後、パウロはバルナバに言った。「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また言って見て来ようではありませんか。」 15:37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。 15:38 しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。 15:39 こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、 15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。 15:41 そしてシリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけた。 エルサレム教会の決まりに従って、パウロとバルナバは再びアンティオキアに下ってエルサレム教会の手紙を渡し、主のことばを教え、福音を宣べ伝えました。キリシア文化の影響を受けていた地域の異邦人教会は宗教的、文化的違いによって、苦難と迫害の日々を過ごしていました。その彼らをなぐさめ、励ますためにパウロとバルナバを送り出したエルサレム教会の決まりと、会衆の心をこめた手紙は、苦難と迫害に疲れていた彼らの心に大きい励ましになりました。 パウロはこの姿を見て、大きく感動したと思います。だから彼は以前、自分たちが福音を宣べ伝えた町に行って、彼らの様子を見て来ようとしたわけではないでしょうか。パウロはバルナバにこの気持ちを伝え、共に行こうとしました。バルナバもその気持ちに答え、共に行こうとしました。しかし、問題はここから起こりました。 “バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。”(使徒15:37-38) “パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった”(使徒13:13) マルコと呼ばれるヨハネは、パウロの一行がパンフィリアで働くとき、一行から離れてエルサレムに帰った者です。細かい理由は聖書に書いていないが、パウロの反応を見ると、その理由は皆が納得できるような理由ではなかったそうです。しかし、バルナバは彼の過去を見ず、再び共にしようとしました。結局、この二人の議論は答えを出せずに分かれて働くことになりました。 将来、パウロはマルコと呼ばれるヨハネのことを‘私の務めのために役に立つ’と評価しますが、今日の箇所のパウロにとって彼は‘務めのために役に立たない’者でした。なによりも福音伝道に熱心だったパウロが、ただの個人的の感情で彼のことを否んだとは思われません。同じく、パウロのような熱心を持っていたバルナバが、ただ親戚だから、個人的な感情で彼のことを連れて行こうとしたとも思われません。二人の伝道者は同じく福音のために意見を出したのです。だからこそ、その議論の中で譲ることはできなかったのです。 今の私たちにも福音伝道のために献身するときに会う多くの問題があります。ときには最後まで心を合わせられないまま、現場に行くこともあるでしょう。しかし、私たちの心が福音に向かっていれば、神様は必ずその心を用いてくださいます。だから私たちは謙遜な態度でいなけれななりません。自分の意見とは異なる意見も用いて働いてくださる神様の御前に謙遜な人で、互いに人を自分よりすぐれた者と思う人の前で謙遜な人にならなければなりません。 パウロがバルナバに合わせてマルコを連れて行くことになったら、私たちが知っている使徒の働きの内容は少し変わったかも知れません。しかし、全世界に福音が宣べ伝えられるという神様の御心による結果は変わりません。バルナバがパウロに合わせてマルコを連れて行かなくなったとしても同じく、神様の御心による結果は変わりません。仕方は違っても、その心が福音のための心なら、神様はその心を用いてご自身の計画を成し遂げてくださるからです。

사도행전 묵상33 【복음을 위한 마음】 20230728 (금) 사도행전 15장 30-41

사도행전 15장 30-41 15:30 그들이 작별하고 안디옥에 내려가 무리를 모은 후에 편지를 전하니 15:31 읽고 그 위로한 말을 기뻐하더라 15:32 유다와 실라도 선지자라 여러 말로 형제를 권면하여 굳게 하고 15:33 얼마 있다가 평안히 가라는 전송을 형제들에게 받고 자기를 보내던 사람들에게로 돌아가되 15:34 (없음) 15:35 바울과 바나바는 안디옥에서 유하며 수다한 다른 사람들과 함께 주의 말씀을 가르치며…

使徒の働き 黙想32【国際化と常況化】 202307267 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 15章 12~29

使徒の働き 15章 12~2915:12 すると、全会衆は静かになった。そして、バルナバとパウロが、神が彼らを通して異邦人の間で行われたしるしと不思議について話すのに、耳を傾けた。15:13 二人が話し終えると、ヤコブが応じて言った。「兄弟たち、私の言うことを聞いてください。15:14 神が初めに、どのように異邦人を顧みて、彼らの中から御名のために民をお召しになったかについては、シメオンが説明しました。15:15 預言者たちのことばもこれと一致していて、次のように書かれています。15:16 『その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。15:17 それは、人々のうちの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためだ。15:18 ──昔から知らされていたこと、それを行う主のことば。』15:19 ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。15:20 ただ、偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです。15:21 モーセの律法は、昔から町ごとに宣べ伝える者たちがいて、安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」15:22 そこで、使徒たちと長老たちは、全教会とともに、自分たちの中から人を選んで、パウロとバルナバと一緒にアンティオキアに送ることに決めた。選ばれたのはバルサバと呼ばれるユダとシラスで、兄弟たちの間で指導的な人であった。15:23 彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。「兄弟である使徒たちと長老たちは、アンティオキア、シリア、キリキアにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつを送ります。15:24 私たちは何も指示していないのに、私たちの中のある者たちが出て行って、いろいろなことを言ってあなたがたを混乱させ、あなたがたの心を動揺させたと聞きました。15:25 そこで私たちは人を選び、私たちの愛するバルナバとパウロと一緒に、あなたがたのところに送ることを、全会一致で決めました。15:26 私たちの主イエス・キリストの名のために、いのちを献げている、バルナバとパウロと一緒にです。15:27 こういうわけで、私たちはユダとシラスを遣わします。彼らは口頭で同じことを伝えるでしょう。15:28 聖霊と私たちは、次の必要なことのほかには、あなたがたに、それ以上のどんな重荷も負わせないことを決めました。15:29 すなわち、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けることです。これらを避けていれば、それで結構です。祝福を祈ります。」   ペテロの発言後にパウロとバルナバが1次伝道旅行の報告をし、その後ヤコブが整理して結論を出します。ヤコブはペテロよりも影響力のある議長格の位置として登場しますが、このヤコブは実践的信仰を強調したヤコブの手紙の著者であり、イエス様の実弟です。   ヤコブは異邦人たちに割礼を受けさせたり、律法を強要する必要はなく、最小限の律法の趣旨だけを守ってくれれば良いと言います。偶像に捧げた供え物と首吊りで殺した動物の肉、性的淫行を遠ざける倫理的共通分母を除けば、割礼と律法を守る必要がないことを決定します。福音と宣教という目的に集中した神学的成果です。   世界宣教の革命的新しい時代が開かれたのです。パウロとバルナバによって福音を受け入れた人々が完全にユダヤ的影響から抜け出すことはできなかったと思いますが、少なくとも彼らがユダヤ人にならなくても良かったのです。 ただ、それぞれの異なる背景を持つ「キリスト者」になればいいのです。 福音は一つの形態に統合されず、各地域と文化の中で多様な姿で定着していきます。   福音を受け入れた文化が多様であることは間違っていることではないです。統合された文化と宗教の中で自由にすべき福音が抑圧され、毀損されることが間違っているのです。宣教師は自分の文化と宗教を宣教地に移植しません。宣教地の文化を尊重し、その上に福音を伝え、宣教地に根付いた福音は変わる時代と地域の中で再び新しい文化を作っていきます。   東京はますます国際化、グローバル化(internationalization、globalization)になりつつあります。豊洲一帯は東京の国際化に向けた国家戦略特区の一つです。さまざまな国籍と文化を持つ人々が東京に移住しています。パウロはエルサレムを離れてアンディオキアへ、ガラテア地方へ、そしてマケドニア、ギリシャ半島へ行きましたが、東京には遠い地域の人々が移住しにきています。   第1次エルサレム議会の精神を覚えるということは、今ここの国際化、グローバル化(internationalization, globalization)されている東京という都市において宣教のための*状況化(contextualization)につながることです。状況化(contextualization)とは、与えられた文化、状況の中で福音と教会をできるだけ柔軟となり、他文化の状況の中で接触点を見つけ出し、妨げになるものを取り除く努力です。   初代教会の使徒たちと初代宣教師パウロとバルナバはグローバル時代を開拓しながら神学的な状況化を成し遂げました。これは世界宣教の橋頭堡になりました。東京にさまざま国の人々が集まるということは、弱まっている日本の教会にとって最後のチャンスかもしれません。エルサレム議会の時のように福音と宣教だけに集中できれば機会はあると思います。

사도행전 묵상32 【국제화와 상황화】 20230727 (목) 사도행전 15장 12~29

사도행전 15장 12~2915:12 온 무리가 가만히 있어 바나바와 바울이 하나님이 자기들로 말미암아 이방인 중에서 행하신 표적과 기사 고하는 것을 듣더니15:13 말을 마치매 야고보가 대답하여 가로되 형제들아 내 말을 들으라15:14 하나님이 처음으로 이방인 중에서 자기 이름을 위할 백성을 취하시려고 저희를 권고하신 것을 시므온이 고하였으니15:15 선지자들의 말씀이 이와 합하도다 기록된바15:16 이 후에 내가 돌아와서 다윗의 무너진 장막을…

使徒の働き 黙想31【エルサレム会議】 20230726 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 15章 1~11

使徒の働き 15章 1~1115:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。15:2 それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。15:3 こうして彼らは教会の人々に送り出され、フェニキアとサマリアを通って行った。道々、異邦人の回心について詳しく伝えたので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。15:4 エルサレムに着くと、彼らは教会の人々と使徒たちと長老たちに迎えられた。それで、神が彼らとともにいて行われたことをすべて報告した。15:5 ところが、パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」と言った。15:6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。15:7 多くの論争があった後、ペテロが立って彼らに言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は以前にあなたがたの中から私をお選びになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされました。15:8 そして、人の心をご存じである神は、私たちに与えられたのと同じように、異邦人にも聖霊を与えて、彼らのために証しをされました。15:9 私たちと彼らの間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。15:10 そうであるなら、なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。15:11 私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」   第1次伝道旅行が終わり、第1回エルサレム議会が開かれます。議題は非ユダヤ人の救いと教会共同体への編入手続きをどうするかについてです。血統的ユダヤ人でなくても割礼を受け、従来も律法を守ることを約束するという一種の帰化を選択すれば、ユダヤ人社会に編入することができました。ところが宣教の現場ではすでに多くの非ユダヤ人が信じ、割礼も受けていない状態で洗礼を受け、教会共同体に留まっていたことあったので、これが問題になったのです。   パリサイ派出身の一人が立ち上がって洗礼を受け、聖徒になるためには、必ず割礼と律法遵守が必須であると発言します。しかし、ペトロには確信的な解答がありました。彼が記憶しているキリストの約束と命令の御言葉が内的な証拠であり、すでに宣教の現場で非ユダヤ人宣教が進まれている外的証拠があったからです。救いの信仰を持って礼拝の共同体に編入するためにユダヤ人になる必要はありません。教会共同体は聖霊の恵みを体験した人々、キリストに従う人々の集まりです。キリスト教がユダヤ教のように高い垣根を作ってはならず、私たちの心が未だに硬いバリサイ人のように排他的になってはいけません。すべての人間に、罪人という条件は、福音を受け入れ、救われることができる機会です。