사무엘상 묵상30【사울의 사위가 된 다윗】230303(금) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 18:17~3018:17 사울이 다윗에게 이르되 내 맏딸 메랍을 네게 아내로 주리니 오직 너는 나를 위하여 용맹을 내어 여호와의 싸움을 싸우라 하니 이는 그가 생각하기를 내 손을 그에게 대지 말고 블레셋 사람의 손으로 그에게 대게 하리라 함이라18:18 다윗이 사울에게 이르되 내가 누구며 이스라엘 중에 내 친속이나 내 아비의 집이 무엇이관대 내가 왕의 사위가 되리이까 하였더니18:19 사울의…

Ⅰサムエル 黙想29【ダビデに投げられてきた槍】230302(木) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 18:10~1618:10 その翌日、わざわいをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデはいつものように竪琴を手にして弾いたが、サウルの手には槍があった。18:11 サウルは槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろうと思ったのである。ダビデはサウルの攻撃から二度も身をかわした。18:12 サウルはダビデを恐れた。それは、主がダビデとともにおられ、サウルを離れ去られたからである。18:13 サウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。ダビデは兵の先に立って行動した。18:14 主が彼とともにおられたので、ダビデは、行くところどこででも勝利を収めた。18:15 彼が大勝利を収めるのを見て、サウルは彼を恐れた。18:16 イスラエルもユダも、皆がダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動したからである。   ジーン·エドワード (Gene Edward Veith Jr.) が書いた『三人の王の物語』という本(1階の本棚にあります)で、3人の王はサウルとダビデ、そしてその次の王であるソロモンの物語ではなく、サウルとダビデ、ダビデに反逆をしたダビデの子アブサロムの物語です。サウルは、忠臣ダビデを嫉妬し、ダビデを殺そうとした狂人であり、アブサロムは自分の父親のダビデの王位を奪おうと反逆した覇倫児です。   サウルとアブサロムという人間性を失った権力の波の中で神様を信じて歩んだ王はダビデしかいませんでした。それで3人の王の中でダビデは輝きます。王だから輝くのではなく、獣のような貪欲の歴史の中で人らしく生きたから輝くのです。ジーン·エドワードは、サウルとダビデの決定的な違いをダビデが自分を壁に突き刺してやろうと槍を投げた時、それを抜いてサウルに投げ返さないダビデの忍耐と謙遜にあると言います。   ダビデとサウルの対決の中でずっと現れるダビデの忍耐、そして最後まで越えない守るべき線、結局それが神様がダビデをすべての患乱から守り、勝たせた信仰の力です。ダビデはサウルを殺す数多くの機会があったにもそれを実行せず、悲惨に死んだサウルの死を悲しみ、死後の責任を負います。アブサロムのクーデターの時には部下のヨアブにアブサロムを殺さないように頼みますが、ヨアブがアブサロムを殺し、ダビデはアブサロムの名前を呼びながら声を張り上げて泣きました。   グエルチーノ(Guercino)が描いた「槍でダビデを殺そうとするサウル」(Saul Atacking David, 1646)という作品をみると、サウルの目には不安と狂気が漂っていますが、ダビデの表情はその状況と全く似合わないです。怒らず、驚きもしません。ハーフを持って、ただリズミカルにその状況を抜け出しているだけです。これがダビデの器です。裏切りと恐怖の状況が波のように押し寄せても、守るべき線を守りながらその時間を耐えるダビデの器の大きさです。私の器の中にも神様の平安を保つような大きな空間があることを願います。

사무엘상 묵상29【다윗에게 날아온 창】230302(목) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 18:10~1618:10 그 이튿날 하나님의 부리신 악신이 사울에게 힘있게 내리매 그가 집 가운데서 야료하는고로 다윗이 평일과 같이 손으로 수금을 타는데 때에 사울의 손에 창이 있는지라18:11 그가 스스로 이르기를 내가 다윗을 벽에 박으리라 하고 그 창을 던졌으나 다윗이 그 앞에서 두 번 피하였더라18:12 여호와께서 사울을 떠나 다윗과 함께 계시므로 사울이 그를 두려워한지라18:13 그러므로 사울이 그로 자기를…

Ⅰサムエル 黙想28【憎しみが始まる】230301(水) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 18:1~918:1 ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。18:2 サウルはその日、ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。18:3 ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。18:4 ヨナタンは着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。18:5 ダビデは、サウルが遣わすところどこへでも出て行き、勝利を収めた。サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての兵たちにも、サウルの家来たちにも喜ばれた。18:6 皆が戻り、ダビデがあのペリシテ人を討ち取って帰って来たとき、女たちは、イスラエルのすべての町から、タンバリンや三弦の琴をもって、喜びつつ、歌い踊りながら出て来て、サウル王を迎えた。18:7 女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」18:8 サウルは、このことばを聞いて激しく怒り、不機嫌になって言った。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あれにないのは王位だけだ。」18:9 その日以来、サウルはダビデに目をつけるようになった。   サウル王の息子ヨナダンとダビデの友情が始まり、サウルはダビデを信頼しており、ダビデは軍人として大活躍します。ダビデが軍隊の長になった時、誰もそれに異議を提起する人がいないほどダビデは名実共にイスラエルの将軍になっていました。   ペリシテとの戦いから帰ってくる際に、女性たちが街に出てサウルよりダビデが勝っていると、ダビデをさらに慕って歓迎します。サウルはそれを不快に思い、ダビデを警戒し始めます。人々に注目され、人気をあびることに中毒になっていたサウルは、自分より人気をあびっているダビデをほっとおくことはできなかったです。嫉妬が始まり、ダビデは上昇の勢いに乗っていた頂点で、サウルの憎しみという危機に直面します。   サウルにとってダビデは息子の友人、実力があり真実な部下です。サウルの立場では次の世代を育てても足りないところにダビデの人気を嫉妬します。富も権力も人気も全盛期も次の人に譲らなければならないということを覚えて生きたいと思います。自分のものを握って生きるサウルが多い世の中には青年たちに機会が与えられません。

사무엘상 묵상28【미움의 시작】230301(수) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 18:1~918:1 다윗이 사울에게 말하기를 마치매 요나단의 마음이 다윗의 마음과 연락되어 요나단이 그를 자기 생명 같이 사랑하니라18:2 그 날에 사울은 다윗을 머무르게 하고 그 아비의 집으로 다시 돌아가기를 허락지 아니하였고18:3 요나단은 다윗을 자기 생명 같이 사랑하여 더불어 언약을 맺었으며18:4 요나단이 자기의 입었던 겉옷을 벗어 다윗에게 주었고 그 군복과 칼과 활과 띠도 그리하였더라18:5 다윗이 사울의 보내는…

Ⅰサムエル 黙想27【ダビデが持った石投げの小さな石】230228(火) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 17:41~5817:41 そのペリシテ人は盾持ちを前に立て、ダビデの方にじりじりと進んで来た。17:42 ペリシテ人は、ダビデに目を留めて彼を見つめ、彼を蔑んだ。ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だったからである。17:43 ペリシテ人はダビデに言った。「おれは犬か。杖を持って向かって来るとは。」ペリシテ人は自分の神々によってダビデを呪った。17:44 ペリシテ人はダビデに言った。「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」17:45 ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。17:46 今日、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを殺しておまえの頭を胴体から離し、今日、ペリシテ人の軍勢の屍を、空の鳥、地の獣に与えてやる。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るだろう。17:47 ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」17:48 そのとき、そのペリシテ人はダビデの方に近づき始めた。ダビデは、すばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向かった。17:49 ダビデは手を袋の中に入れて、石を一つ取り、石投げでそれを放って、ペリシテ人の額を撃った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに地面に倒れた。17:50 ダビデは、石投げと石一つでこのペリシテ人に勝ち、このペリシテ人を撃って、彼を殺した。ダビデの手に剣はなかったが。17:51 ダビデは走って行ってペリシテ人の上に立ち、彼の剣を奪ってさやから抜き、とどめを刺して首をはねた。ペリシテ人たちは、自分たちの勇士が死んだのを見て逃げた。17:52 イスラエルとユダの人々は立ち上がり、ときの声をあげて、ペリシテ人をガイの谷間に至るまで、そしてエクロンの門まで追った。それでペリシテ人は、シャアライムの道に、ガテとエクロンに至るまで、刺し殺されて倒れていた。17:53 イスラエル人はペリシテ人追撃から引き返して、ペリシテ人の陣営を略奪した。17:54 ダビデは、あのペリシテ人の首を取ってエルサレムに持ち帰った。しかし、武具は自分の天幕に置いた。17:55 サウルは、ダビデがあのペリシテ人に向かって出て行くのを見たとき、軍の長アブネルに言った。「アブネル、あの若者はだれの息子か。」アブネルは言った。「王様、お誓いしますが、私は存じません。」17:56 そこで、王は命じた。「あなたは、あの少年がだれの息子かを調べなさい。」17:57 ダビデがペリシテ人を討ち取って帰って来たとき、アブネルは彼をサウルの前に連れて来た。ダビデはペリシテ人の首を手にしていた。17:58 サウルは彼に言った。「若者よ、おまえはだれの息子か。」ダビデは言った。「あなたのしもべ、ベツレヘム人エッサイの息子です。」   *昨日は本文を間違っていました。今朝は昨日の本文を合わせて黙想しました。   ついにダビデがゴリアテを倒します。この出来事は神様が幼い少年のようなダビデにより、道端に散らばっている石を持ってゴリアテという殺傷武器を持った巨人を倒した神様の介入、神様の力を思い出します。確かに神様は物足らない状況を逆転させてくださいました。しかし、それをダビデという個人に持ってこれば、ダビデの手の中にある小さな石という道具、ダビデでできる石投げという方法、それを持って今まで重ねてきたダビデだけの経験、すなわちダビデだけの強みで難攻不落のような状況を逆転させたのです。   神様が見るには大きいものと小さいものの違い、強いものと弱いものの違いはありません。サウルが人より頭一つが上にあるあるほど背が高いと言いましたが、天から見るとそれに何の違いがあるでしょうか?お金を持ったゴリアテ、力を持ったゴリアテ、先占めたゴリアテ、知識をもったゴリアテがその格差を広げ、既得権を握りますが、ダビデは石一つでそれを逆転することができました。石投げでターゲットに石を的中する集中力がダビデの強みだからです。   ゴルフ選手のタイガー·ウッズはロングゲームとパッティング技術が強みであるそうです。反面、バンカーでチップショットを打つのは苦手です。自分の弱点を補うためにチップショットをたくさん練習すると思いがちますが、ウッズはそれに時間を費やすよりも強みをさらに強くするためのトレーニングをします。選択と集中です。強みを通して弱点をカバーする戦略です。それを強み理論といいます。弱点にこだわるよりは強みを極大化するのがより効率的だという理論です。   ダビデがたくさん食べることでゴリアテより大きくなって彼に打ち勝つことはありません。ダビデにはダビデのものがあります。それを持って戦わなければなりません。ダビデはサウルの胸当てを捨てて石を持って前に進みました。胸当てのままでは自分の力量を発揮することができないからです。他人のことが大切ではなく、自分にできることが大切です。恐れて自信を失ってしまう理由は、自分の強みを忘れ、弱点に縛られ、劣等感に陥るからです。人々がゴリアテの大きさに集中しているとき、ダビデは自分の石投げに集中しました。選択して集中しなければならない対象は自分自身です。それができれば、私たちの前に現れるゴリアテというものは倒していくことはできます。

사무엘상 묵상27【다윗의 물맷돌】230228(화) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 17:41~5817:41 블레셋 사람이 점점 행하여 다윗에게로 나아오는데 방패 든 자가 앞섰더라17:42 그 블레셋 사람이 둘러보다가 다윗을 보고 업신여기니 이는 그가 젊고 붉고 용모가 아름다움이라17:43 블레셋 사람이 다윗에게 이르되 네가 나를 개로 여기고 막대기를 가지고 내게 나아왔느냐 하고 그 신들의 이름으로 다윗을 저주하고17:44 또 이르되 내게로 오라 내가 네 고기를 공중의 새들과 들짐승들에게 주리라17:45 다윗이…

Ⅰサムエル 黙想26【ゴリアテ対する解釈】230227(月) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 17:28~4017:28 兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして言った。「いったい、おまえは、なぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと心にある悪が分かっている。戦いを見にやって来たのではないのか。」17:29 ダビデは言った。「私が今、何をしたというのですか。一言、話しただけではありませんか。」17:30 ダビデは兄から別の人の方に向き直り、同じことを尋ねた。すると、兵たちは先ほどと同じ返事をした。17:31 ダビデが言ったことは人々の耳に入り、サウルに告げられた。それで、サウルはダビデを呼び寄せた。17:32 ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦います。」17:33 サウルはダビデに言った。「おまえは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。おまえはまだ若いし、あれは若いときから戦士だったのだから。」17:34 ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼ってきました。獅子や熊が来て、群れの羊を取って行くと、17:35 しもべはその後を追って出て、それを打ち殺し、その口から羊を救い出します。それがしもべに襲いかかるようなときは、そのひげをつかみ、それを打って殺してしまいます。17:36 しもべは、獅子でも熊でも打ち殺しました。この無割礼のペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をそしったのですから。」17:37 そして、ダビデは言った。「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主がおまえとともにいてくださるように。」17:38 サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着けさせた。頭に青銅のかぶとをかぶらせて、それから身によろいを着けさせたのである。17:39 ダビデは、そのよろいの上にサウルの剣を帯びた。慣れていなかったので、ためしに歩いてみた。ダビデはサウルに言った。「これらのものを着けては、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれを脱いだ。17:40 そして自分の杖を手に取り、川から五つの滑らかな石を選んで、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にし、そのペリシテ人に近づいて行った。   ペリシテと戦うイスラエル軍の兄に面会に行ったダビデがゴリアテの高ぶりを見てゴリアテと戦うことを志願します。ダビデは軍人でもなく、まだ幼い少年です。兄エリアブがそれを慌ててダビデを叱りますが、今まで一人も出なかった志願者が出てきたので、ダビデはサウルの前に立つことになります。   少年であれ、青年であれ、壮年であれ、年齢と体の大きさは関係ありません。ゴリアテより大きい人はいません。だからゴリアテと戦える唯一の条件はゴリアテを恐れないことです。ダビデは恐れませんでした。ダビデだけを恐れていません。ダビデはゴリアテに勝てるという自身感に満ちています。   ゴリアテを見るダビデとサウルの観点は大きく異なります。ダビデはゴリアテを神様を侮辱する割礼のいない異邦人、取らなければならない獣と見て怒っていますが、サウルはゴリアテが幼い頃から戦いで鍛えられた勇士だと言います。サウルが慎重でダビデが軽率のようにも見えますが、サウルには神様がおらず、ダビデには神様がおられます。   ダビデに勇気があるから信仰の人であることではなく、神様を信じるから勇気を出せます。サウルには実際的に神様を信じる信仰がないから人を恐れるのです。信仰と勇気は同じことです。神様が助けてくださることを実際に信じる時、恐がらずに挑戦することができます。神様はそのような人を通して働きます。ダビデは羊飼いの服装と羊飼いの道具をもって神様を侮辱するゴリアテの前に進みます。

사무엘상 묵상26【골리앗에 대한 해석】230227(월) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 17:28~4017:28 장형 엘리압이 다윗이 사람들에게 하는 말을 들은지라 그가 다윗에게 노를 발하여 가로되 네가 어찌하여 이리로 내려왔느냐 들에 있는 몇 양을 뉘게 맡겼느냐 나는 네 교만과 네 마음의 완악함을 아노니 네가 전쟁을 구경하러 왔도다17:29 다윗이 가로되 내가 무엇을 하였나이까 어찌 이유가 없으리이까 하고17:30 돌이켜 다른 사람을 향하여 전과 같이 말하매 백성이 전과 같이 대답하니라17:31…

Ⅰサムエル 黙想25【ゴリアテとイスラエルの逆説】230224(金) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 17:1~1117:1 ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。ユダのソコに集まり、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。17:2 一方、サウルとイスラエル人は集まってエラの谷に陣を敷き、ペリシテ人に対する戦いの備えをした。17:3 ペリシテ人は向かい側の山の上に構え、イスラエル人は手前側の山の上に構えた。その間には谷があった。17:4 一人の代表戦士が、ペリシテ人の陣営から出て来た。その名はゴリヤテ。ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。17:5 頭には青銅のかぶとをかぶり、鱗綴じのよろいを着けていた。胸当ての重さは青銅で五千シェケル。17:6 足には青銅のすね当てを着け、背には青銅の投げ槍を負っていた。17:7 槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は鉄で、六百シェケルあった。盾持ちが彼の前を歩いていた。17:8 ゴリヤテは突っ立って、イスラエル人の陣列に向かって叫んだ。「何のために、おまえらは出て来て、戦いの備えをするのか。おれはペリシテ人、おまえらはサウルの奴隷どもではないか。一人を選んで、おれのところによこせ。17:9 おれと戦っておれを殺せるなら、おれたちはおまえらの奴隷になる。だが、おれが勝ってそいつを殺したら、おまえらがおれたちの奴隷になって、おれたちに仕えるのだ。」17:10 そのペリシテ人は言った。「今日、この日、おれがイスラエルの陣を愚弄してやる。一人をよこせ。ひとつ勝負をしようではないか。」17:11 サウルと全イスラエルは、ペリシテ人のことばを聞き、気をくじかれて非常に恐れた。   17章ではゴリヤテが登場しますが、ゴリヤテの背の高さが六キュビト半です。単位を換算すると3メートルに達します。巨人です。巨人は考古学的に明らかに存在しました。巨人ゴリヤテはイスラエル軍を侮辱し、1対1の勝負を求めます。だが、イスラエルは誰もゴリヤテの前に出る勇気を持っている人がいません。怖かったからです。   3メートル巨人の前に立ったことのない人なら、それをむやみに臆病者とは言えません。立ち向かうことはできません。戦えるとも思いません。完全に圧倒されて抵抗さえしません。世に圧倒卑された人々のように、巨大な資本の前で、高ぶる傲慢の前で完全に適応されてしまい、戦わずに黙っています。   ゴリアテは自分に立ち向かう人がいないので、それで気丈になり、イスラエルは怯えて恐れていました。逆説的にもゴリヤテはそれで傲慢の街角に入って滅亡の危機を促したものであり、イスラエルには現実を破って神様が介入することを経験できる信仰の機会が与えられたのです。しかし、勇気と実践がなければ、何も始まりません。   若如不狂終不及之、狂わずには望むそこにたどり着けないということです。それを韓国語の言語遊戯として不狂不及と言います。狂わなければ及ばない。信仰に狂って現実を破り、堺を超えるものが神様に到達できるということです。それのよって神様を経験することができます。信仰に狂ってこそ、この狂った世に立ち向かい、神様に及ぶことができます。信仰と勇気さえあれば越えられない山はありません。世界のすべてに対して戦うことができます。私たちの前にゴリアテが現れれば、ゴリアテを破るチャンスが来ているのです。