사무엘상 묵상25【골리앗과 이스라엘의 역설】230224(금) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 17:1~1117:1 블레셋 사람들이 그 군대를 모으고 싸우고자 하여 유다에 속한 소고에 모여 소고와 아세가 사이의 에베스담밈에 진치매17:2 사울과 이스라엘 사람들이 모여서 엘라 골짜기에 진치고 블레셋 사람을 대하여 항오를 벌였으니17:3 블레셋 사람은 이편 산에 섰고 이스라엘은 저편 산에 섰고 사이에는 골짜기가 있었더라17:4 블레셋 사람의 진에서 싸움을 돋우는 자가 왔는데 그 이름은 골리앗이요 가드 사람이라 그…

Ⅰサムエル 黙想24【サウルとダビデの出会い】230223(木) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 16:14~2316:14 さて、主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。16:15 サウルの家来たちは彼に言った。「ご覧ください。わざわいをもたらす、神の霊が王をおびえさせています。16:16 わが君。どうか御前におりますこの家来どもに命じて、上手に竪琴を弾く者を探させてください。わざわいをもたらす、神の霊が王に臨むとき、その者が竪琴を手にして弾くと、王は良くなられるでしょう。」16:17 サウルは家来たちに言った。「私のために上手な弾き手を見つけて、私のところに連れて来なさい。」16:18 家来の一人が答えた。「ご覧ください。ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。弦を上手に奏でることができ、勇士であり、戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。主が彼とともにおられます。」16:19 サウルは使いをエッサイのところに送って、「羊とともにいるあなたの息子ダビデを、私のところによこしなさい」と言った。16:20 エッサイは、ろば一頭分のパンと、ぶどう酒の皮袋一つ、子やぎ一匹を取り、息子ダビデの手に託してサウルに送った。16:21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。サウルは彼がたいへん気に入り、ダビデはサウルの道具持ちとなった。16:22 サウルはエッサイのところに人を遣わして、「ダビデを私に仕えさせなさい。気に入ったから」と言った。16:23 神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。   神の霊がサウルから離れ、わざわいの霊が入り、サウルを苦しめます。サウルが神様に捨てられてからまず起きたことは神の霊が離れたことです。すべての不幸はそれから始まります。恐ろしいことは、神様がいなくなったところには他のものが入ってきて人間の意思を支配するということです。サウルには富もあり、権力もあり、まだ依然として王です。しかし、わざわいの霊がサウルを支配するので不安に震えます。環境は変わっていませんが、霊が変わるとサウルの人生は地獄に変わっていきます。   サウルに入ったわざわいの霊はサウルの人間性を破壊します。サウルの家来たちはそれに耐えられなかったのか音楽治療をお勧めします。それでイスラエルで竪琴を弾く者として知られたダビデが登場するようになります。ダビデは、作曲、作詞、演奏、そして宗教音楽のプロデュースまで縦横無尽に走るマルチミュージシャンでした。ダビデに詩を書き、音楽をする解放口がなかったら、ダビデは自分の苦難の時間を乗り越えることはできなかったと思います。狂っていくサウルと賛美するダビデの出会いが彼らの初出会いです。神様が送ったわざわいの霊がサウルを苦しめる度にダビデが竪琴を弾き、落ち着かせます。サウルはそのようなダビデを愛して警護の職を与え、自分のそばに置きます。   何も信じない人は誰もいません。誰もが何かを信じます。そして、何にも支配されていない人は誰もいません。人は必ず何かに支配されます。どんな支配を受けるかによって人生は変わります。平安は神の統治と支配の結果です。今、心配と不安という結果を持っているなら、何が自分を支配しているのかを振り返って確認しなければなりません。自分の中に閉じこむ時代、サウルのように自分が慰められるためではなく、ダビデのように誰かを癒し、生かすことができれば幸いです。

사무엘상 묵상24【사울과 다윗의 만남】230223(목) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 16:14~2316:14 여호와의 신이 사울에게서 떠나고 여호와의 부리신 악신이 그를 번뇌케 한지라16:15 사울의 신하들이 그에게 이르되 보소서 하나님의 부리신 악신이 왕을 번뇌케 하온즉16:16 원컨대 우리 주는 주의 앞에 모시는 신하에게 명하여 수금 잘 탈줄 아는 사람을 구하게 하소서 하나님의 부리신 악신이 왕에게 이를 때에 그가 손으로 타면 왕이 나으시리이다16:17 사울이 신하에게 이르되 나를 위하여 잘…

Ⅰサムエル 黙想23【主は心を見る】230222(水) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 16:1~1316:1 主はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。」16:2 サムエルは言った。「どうして私が行けるでしょうか。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」主は言われた。「一頭の雌の子牛を手にし、『主にいけにえを献げるために来ました』と言い、16:3 エッサイを祝宴に招け。わたしが、あなたのなすべきことを教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油を注げ。」16:4 サムエルは主がお告げになったとおりにして、ベツレヘムにやって来た。町の長老たちは身震いしながら彼を迎えて言った。「平和なことでおいでになったのですか。」16:5 サムエルは言った。「平和なことです。主にいけにえを献げるために来ました。身を聖別して、一緒に祝宴に来てください。」そして、サムエルはエッサイと彼の息子たちを聖別し、彼らを祝宴に招いた。16:6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「きっと、主の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思った。16:7 主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」16:8 エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前に進ませた。サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言った。16:9 エッサイはシャンマを進ませたが、サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言った。16:10 エッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んでおられない。」16:11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人を遣わして、連れて来なさい。その子が来るまで、私たちはここを離れないから。」16:12 エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目が美しく、姿も立派だった。主は言われた。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。   神はサウルの廃位を決め、新しい王を選択します。サムエルは恐がりましたが、神様はサウルを捨てて新しい王を立てること変わりがありません。不従順の人は変わりますが、神様の働きは止まりません。もちろんサムエル記を読めば、次の王が即位するまでには時間が残っていますが、神様は今サムエルを通シて次の王を決めます。   サムエルが新しい王に油を注ぐためにベツレヘムという田舎に行きます。エッサイの家では長男のエリアブがすらりとしていてサムエルの気に入りましたが、神様は彼ではないと言われます。サムエルも人なので、サウルに騙されましたが、またエリアブのうわべをみます。前回の黙想でも言いましたが、神様が「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている」と言われたのは、エレアブのことではなく、サウルのことだと思います。   サムエルが7人の兄弟の面接を受けましたが、その中に神様が定めっれた人はいませんでした。サムエルはエッサイに他の息子はいないかと尋ね、エッサイは候補として考えもしなかった羊飼いをしていた末子がいると答えます。彼が神様が定められら次の王でした。このようにして、まだ幼いダビデは王として油を注がれます。フィレンツェにあるミケランジェロのダビデ像は6頭身です。8頭身の人体比例を誇る数多くの彫刻の中でダビデが6頭身であることはまさにダビデらしいことであり、またミケランジェロのルネサンスらしい設計です。   外見では人がわかりません。まだ子どものような小さな少年でしたが、神様が立てば王になります。自分できることでも神様を離れてしまうと、できなくなり、自分にできないことでも力を与える神様の中ではできるようのなります。力を与える方の中ですべてができます。そのような証しが私たちの中にあることを願います。その力を受けるためには、神様に認められる信仰がなければなりません。   状況に支配される人がいれば、困難な状況の中で心を守っている人がいます。私たちは心があるという時に、信仰があると考えますが、それを測定することはなかなか難しいです。それも人性の中であると考えるべきです。人は状況によって揺れる人と、揺れない人がいます。それが「主は心を見る」ということです。神様はそのような人を探し求めておられます。神様は今も人材を求めています。神様は外見、学閥、知識、スペックなどではなく、人の心の中を見、その人に神様の力を与え、彼を通して神様の働きを成し遂げられます。    

사무엘상 묵상23【중심을 보시는 하나님】230222(수) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 16:1~1316:1 여호와께서 사무엘에게 이르시되 내가 이미 사울을 버려 이스라엘 왕이 되지 못하게 하였거늘 네가 그를 위하여 언제까지 슬퍼하겠느냐 너는 기름을 뿔에 채워 가지고 가라 내가 너를 베들레헴 사람 이새에게로 보내리니 이는 내가 그 아들 중에서 한 왕을 예선하였음이니라16:2 사무엘이 가로되 내가 어찌 갈수 있으리이까 사울이 들으면 나를 죽이리이다 여호와께서 가라사대 너는 암송아지를 끌고 가서…

Ⅰサムエル 黙想22【サムエルの怒り】230221(火) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 15:24~3515:24 サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、主の命令と、あなたのことばに背いたからです。15:25 どうか今、私の罪を見逃してください。そして、私が主を礼拝することができるように、一緒に帰ってください。」15:26 サムエルはサウルに言った。「私はあなたと一緒に帰りません。あなたは主のことばを退け、主があなたをイスラエルの王位から退けられたからです。」15:27 サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルが彼の上着の裾をつかんだので、上着は裂けた。15:28 サムエルは彼に言った。「主は、今日、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれた隣人に与えられました。15:29 実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔やむこともない。この方は人間ではないので、悔やむことがない。」15:30 サウルは言った。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、主を礼拝します。」15:31 サムエルはサウルについて帰り、サウルは主を礼拝した。15:32 サムエルは言った。「アマレクの王アガグを、私のところに連れて来なさい。」アガグは、喜び勇んで彼のもとに来た。アガグは「きっと、死の苦しみが去るだろう」と思ったのであった。15:33 サムエルは言った。「おまえの剣が、女たちから子を奪ったように、おまえの母も、女たちのうちで子を奪われた者となる。」こうしてサムエルは、ギルガルにおいて主の前で、アガグをずたずたに切った。15:34 サムエルはラマへ行き、サウルはサウルのギブアにある自分の家へ上って行った。15:35 サムエルは死ぬ日まで、再びサウルを見ることはなかった。しかしサムエルはサウルのことで悲しんだ。主も、サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた。   24節でサウルはサムエルに神様の命令に従順してなかったことが民を意識した自分の間違いだであると告白して許しを求めますが、しばらくも経たないうちに30節でその慢性病は再発します。「私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、主を礼拝します。30」民を私のものだと言い、サムエルにはあなたの神だと言います。「礼拝すること」が目的ではなく「私の民の長老とイスラエルとの前で私を立てる」ことが目的です。   サムエルは「あなたは主のことばを退け、主があなたをイスラエルの王位から退けられた」と言いました。人が神様の御言葉を捨てれば、神様がその人を捨てるのではなく、神様の御言葉を捨てると、使命も責任も正気も捨てられることになるからです。そうすると、誰もアウトさせなくてもみずからアウトします。神様の御言葉を捨てる理由というのは、ただ一つです。民のためではなく、自分のためです。私たちが神様の御言葉を受けない唯一の理由は、自分がしたいことを自分でしたいからです。神様の御言葉を受けてもそれを守らずに御言葉を捨てることも自分自身のためです。 それがサウルが歩いた道であってそれは自分が滅びる道でした。   サムエルはアマレク王アガグを引きずり出して殺します。神様が完全に聖滅するように命令されましたが、サウルは生け捕りにしてきて、自分の業績を並べていました。サムエルはそれを誇っているサウルに対する怒りとイスラエルを蹂躙した敵のアガグに対する怒りで彼をずたずたに切りました。確かに殺し方は残酷ですが、それによってサムエルの怒りがよく分かります。あらゆる名刺と名誉と見せかけを並べ、自分が注目されたいことを願っているこの時代のサウルたちが並べているアガグをも引き出してずたずたと切らなければなりません。成功を追い求めるのは恐いことです。それは利己的な理由です。謙遜が成功に勝てなければ、成功が呪いになるかもしれないからです。それに自信がなければ怪物になる前に舞台から早く降りなければなりません。アガグは見つけてずたずたに切ってなくさなければならないものです。

사무엘상 묵상22【사무엘의 분노】230221(화) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 15:24~3515:24 사울이 사무엘에게 이르되 내가 범죄하였나이다 내가 여호와의 명령과 당신의 말씀을 어긴 것은 내가 백성을 두려워하여 그 말을 청종하였음이니이다15:25 청하오니 지금 내 죄를 사하고 나와 함께 돌아가서 나로 여호와께 경배하게 하소서15:26 사무엘이 사울에게 이르되 나는 왕과 함께 돌아가지 아니하리니 이는 왕이 여호와의 말씀을 버렸으므로 여호와께서 왕을 버려 이스라엘 왕이 되지 못하게 하셨음이니이다 하고15:27 사무엘이…

Ⅰサムエル 黙想21【嫌われる勇気】230220(月) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 15:10~2315:10 主のことばがサムエルに臨んだ。15:11 「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。15:12 翌朝、サムエルはサウルに会いに行こうとして早く起きた。すると、サムエルに、「サウルはカルメルに来て、もう自分のために記念碑を立てました。そして向きを変えて進んで行き、ギルガルに下りました」という知らせがあった。15:13 サムエルはサウルのところに来た。サウルは彼に言った。「あなたが主に祝福されますように。私は主のことばを守りました。」15:14 サムエルは言った。「では、私の耳に入るこの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」15:15 サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。兵たちは、あなたの神、主に、いけにえを献げるために、羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。しかし、残りの物は聖絶しました。」15:16 サムエルはサウルに言った。「やめなさい。昨夜、主が私に言われたことをあなたに知らせます。」サウルは彼に言った。「お話しください。」15:17 サムエルは言った。「あなたは、自分の目には小さい者であっても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油を注ぎ、イスラエルの王とされたのです。15:18 主はあなたに使命を与えて言われました。『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。彼らを絶滅させるまで戦え。』15:19 なぜ、あなたは主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目に悪であることを行ったのですか。」15:20 サウルはサムエルに答えた。「私は、主の御声に聞き従い、主が私に授けられた使命の道を進みました。私はアマレク人の王アガグを連れて来て、アマレク人たちは聖絶しました。15:21 兵たちは、ギルガルであなたの神、主にいけにえを献げるために、聖絶の物の中の最上のものとして、分捕り物の中から羊と牛を取ったのです。」15:22 サムエルは言った。「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。15:23 従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」   サウルがアマレクに勝ちます。神様の命令はアマレクを聖絶、つまり、完全に滅ぼすということでしたが、サウルは良いものを残し、アマレクの王も殺さずに生け捕りにしておきました。神様にささげるのために残しておいたと言い訳しましたが、実は自分の業績を展示するためのことでした。サウルの執着はますます可哀そうです。その根本的な理由はサウルが人の顔色を伺うからです。人気を意識しているので、自分の能力を自慢したいし、すごい人だと認められたいのです。サウルは最初から最後までこの病気から抜け出たことがありません。   神様はサウルを通して働かれることを望まれました。それの絶対的な前提は、サウルの従順です。しかし、サウルは任意に加えたり、引いたりしています。100%従順は一度もありませんでした。サウルは誇らしげにサムエルを迎えました。それは褒められると思ったからです。しかし、サムエルは神様がサウルを捨てられたことを宣言し、「聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」という有名な言葉を残します。神様は「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ」と言われました。   褒められるということは、人を喜ばせ、大切な動機付けになります。しかし、褒めることだけに執着する人は、本質をすぐに失ってしまいます。神様はすべてご覧になり、すべてご存知です。信仰がないということは、それを信じないということです。人に自分のことを知らせたい、認められたいという欲求より神様に従うことにさらに多くの心を注がなければなりません。   認められること、褒められることに渇いている人はサウルだけではありません。話題になったアドラー心理学の『嫌われる勇気』では、人が正しいと思うから行動するのではなく、褒められるために行動することの問題を指摘します。ついに褒められなければ意味を失い、褒めてくれる人がいなければ行動しなくなるということです。本の一部です。「あなたは他人の期待を満たすために生きているのではない。他人もあなたの期待を満たすために生きているのではない。他人の視線を恐れず、他人の評価を気にせず、他人に認めてもらおうとする必要はない。ただ自分が信じる最善の道を選べばいい。」   もちろん世間の耳目と人間関係、利害関係の評価から完全に自由になるのことはないと思います。しかし、人を意識すると、落とし穴に陥ります。神様を意識して生きることこそが、真の意味で自由が与えられることです。人は知らなくても神様と自分だけが分かる秘密を作るのです。認められなくてもいいです。褒められなくてもいいではないでしょうか。たまに誤解されても、誰かには嫌われても大丈夫です。神様はすべてがご存知の方ですから。

사무엘상 묵상21【미움받을 용기】230220(월) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 15:10~2315:10 여호와의 말씀이 사무엘에게 임하니라 가라사대15:11 내가 사울을 세워 왕 삼은 것을 후회하노니 그가 돌이켜서 나를 좇지 아니하며 내 명령을 이루지 아니하였음이니라 하신지라 사무엘이 근심하여 온 밤을 여호와께 부르짖으니라15:12 사무엘이 사울을 만나려고 아침에 일찌기 일어났더니 혹이 사무엘에게 고하여 가로되 사울이 갈멜에 이르러 자기를 위하여 기념비를 세우고 돌이켜 행하여 길갈로 내려 갔다 하는지라15:13 사무엘이 사울에게…

Ⅰサムエル 黙想20【罪を造る王】230217(木) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 14:24~3514:24 さて、その日、イスラエル人はひどく苦しんでいた。サウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」と言って、兵たちに誓わせていた。それで兵たちはだれも食物を口にしていなかったのであった。14:25 この地はどこでも、森に入って行くと、地面に蜜があった。14:26 兵たちが森に入ると、なんと、蜜が滴っていたが、だれも手に付けて口に入れる者はいなかった。兵たちは誓いを恐れていたのである。14:27 しかし、ヨナタンは、父が兵たちに誓わせたことを聞いていなかった。彼は手にあった杖の先を伸ばして、蜜蜂の巣に浸し、それを手に付けて口に入れた。すると彼の目が輝いた。14:28 兵の一人がそれを見て言った。「あなたの父上は、兵たちに堅く誓わせて、『今日、食物を食べる者はのろわれる』とおっしゃいました。それで兵たちは疲れているのです。」14:29 ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。14:30 もしも今日、兵たちが、自分たちが見つけた敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を討ち取っていただろうに。」14:31 その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を討った。それで兵たちはたいへん疲れていた。14:32 兵たちは分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場で屠った。兵たちは血が付いたままで、それを食べた。14:33 すると、「ご覧ください。兵たちが血のままで食べて、主に罪を犯しています」と、サウルに告げる者がいた。サウルは言った。「おまえたちは裏切った。今、大きな石を転がして来なさい。」14:34 そしてサウルは言った。「兵の中に散って行って、彼らに言いなさい。『それぞれ自分の牛か羊を私のところに連れて来て、ここで屠って食べなさい。血のままで食べて主に罪を犯してはならない。』」兵はみな、その夜、それぞれ自分の手で牛を連れて来て、そこで屠った。14:35 サウルは主のために祭壇を築いた。これは、彼が主のために築いた最初の祭壇であった。   ヨナタンの特攻作戦によってイスラエルが勝機をつかむと、サウルはつられて自己感情に陶酔しています。サウルは兵士たちに敵に勝つまで何でも食べてはならないと言います。もし食べる人がいればその人は呪われるという悪談をしました。権力の使い方を知らない初心者王の稚気のような命令です。   成果に執着し、無理を始めます。そのため、権力は一方的、暴力的なものになり、功労主義に完璧主義が加わり、下部構造にある人々は死にかかっていきます。食べないということは、おそれらく悲壮に臨むということを目指していると思いますが、実は自分にそれほどの功労がないから、断食のジェスチャーを取ることでも功労の主導性を持ちたかったからだと思います。   しかし、食べられなかった兵士の戦闘力は低下し、危険になります。実戦で戦わなければならない兵士は疲れてペリシテ人を追いかけることもできませんでした。サウルが戦闘中の兵士に禁食したのは兵士たちの特別な精神力を要めたわけですが、まず普通の正気が必要な人はサウル自身です。   イスラエル軍はやがて戦利品として得た羊と牛を血のまま食べてしまうことになります。それは私たちが知っているようにイスラエルの律法違反です。すなわち、王は民を罪人にし迫っていきました。有罪は空腹の兵士らではなく、血のついた肉に目が回るように兵士らを飢えさせた王にあります。   人間に基本権が与えられなければ、人間は人間らしさを維持できず、露骨な罪にさらされてしまいます。指導者は罪を犯した者を探して罰するものではなく、基本権利の剥奪され、罪にさらされた人がいないかを探し、彼らの基本権を取り戻さなければならないものです。