伝道者の書 4:1~164:1 私は再び、日の下で行われる一切の虐げを見た。見よ、虐げられている者たちの涙を。しかし、彼らには慰める者がいない。彼らを虐げる者たちが権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。4:2 いのちがあって、生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人に、私は祝いを申し上げる。4:3 また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行われる悪いわざを見なかった者だ。4:4 私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた空しく、風を追うようなものだ。4:5 愚かな者は腕組みをし、自分の身を食いつぶす。4:6 片手に安らかさを満たすことは、両手に労苦を満たして風を追うのにまさる。4:7 私は再び、日の下で空しいことを見た。4:8 ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もいない人がいる。それでも彼の一切の労苦には終わりがなく、その目は富を求めて飽くことがない。そして「私はだれのために労苦し、楽しみもなく自分を犠牲にしているのか」とも言わない。これもまた空しく、辛い営みだ。4:9 二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。4:10 どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。4:11 また、二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。4:12 一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。4:13 貧しくても知恵のある若者は、忠告を受け入れなくなった年老いた愚かな王にまさる。4:14 そのような若者は、牢獄から出て王になる。たとえ、その王国で貧しく生まれた者であっても。4:15 私は見た。日の下を歩む生きている者がみな、王に代わって立つ、後継の若者の側につくのを。4:16 その民すべてには終わりがない。彼を先にして続く人々には。後に来るその者たちも、後継の者を喜ばない。これもまた空しく、風を追うようなものだ。 ソロモンの人生が虚しさのことが否定できないのは、人間が一様に虚しいことをしているからです。虐待する人がいて、虐待される人がいます。殴り合い、殺し合う群像ほど虚しいことはあるでしょうか。カインがアベルを殺したときから、人類はその虐待と人殺しを止めたことはありません。ソロモンはそれに絶望しているのです。嫉妬して憎み合うことを見て、ソロモンは虚しく絶望します。両手に食べ物をいっぱい握って、さらに食べると立ち向かう欲張りな人生を見て、絶望します。 人から受けた傷を神様に癒されると言いますが、おそらく神様がまた別の人を通して励まされます。人は信じられないから神様だけを信じると言いますが、それにもかかわらず人に希望を置き続きます。なのでソロモンは虚しい絶望の中で一つの慰めを言います。弱い人々が一緒に歩むのです。人々を避けて隠れるのではなく、連帯することです。一人より二人、二人より三人の方が良く、一本は切れるが、「三つ撚りの糸は簡単には切れない」と言います。 現代人は孤立しています。その孤立の溝はさらに深まるでしょう。この深い孤立の虚無と戦わなければならないのに、一人ではできません。連帯と言っても、絶えず裏切りがあると思います。にもかかわらず、もう人に頼り、期待をかけ続きます。一人が倒れると一人が起こします。一人では寒いですが、二人なら暖かくなります。三つ撚りの糸は簡単に切れません。夫婦も家族も教会も社会もすべての共同体にとって共感と連帯は弱い個人をつなげ、互いに異なる能力と価値を確認させます。トリプルワイヤーで連帯する共同体の中に新しい働きのための動力が生まれます。