출애굽기 QT44 2105025화【안전을 위한 책임】출애굽기 21장 28~36

출애굽기 21장 28~3621:28 소가 남자나 여자를 받아서 죽이면 그 소는 반드시 돌로 쳐서 죽일 것이요 그 고기는 먹지 말 것이며 임자는 형벌을 면하려니와21:29 소가 본래 받는 버릇이 있고 그 임자는 그로 말미암아 경고를 받았으되 단속하지 아니하여 남녀를 막론하고 받아 죽이면 그 소는 돌로 쳐죽일 것이고 임자도 죽일 것이며21:30 만일 그에게 속죄금을 부과하면 무릇 그 명령한…

出エジプト記 QT43 20210524月【目には目を、歯には歯】出エジプト 21章 12~27

出エジプト記 21章 12~2721:12 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。21:13 ただし、彼に殺意がなく神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに、彼が逃れることができる場所を指定する。21:14 しかし、人が隣人に対して不遜にふるまい、策略をめぐらして殺した場合には、この者を、わたしの祭壇のところからであっても、連れ出して殺さなければならない。21:15 自分の父または母を打つ者は、必ず殺されなければならない。21:16 人を誘拐した者は、その人を売った場合も、自分の手もとに置いている場合も、必ず殺されなければならない。21:17 自分の父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない。21:18 人が争い、一人が石か拳で相手を打ち、その相手が死なないで床についた場合、21:19 もし彼が再び起き上がり、杖によって外を歩けるようになれば、打った者は罰を免れる。ただ彼が休んだ分を弁償し、彼が完全に治るようにしてやらなければならない。21:20 自分の男奴隷あるいは女奴隷を杖で打ち、その場で死なせた場合、その人は必ず復讐されなければならない。21:21 ただし、もしその奴隷が一日か二日生き延びたなら、その人は復讐されてはならない。奴隷は彼の財産だからである。21:22 人が人と争っていて、身ごもった女に突き当たり、早産させた場合、重大な傷害がなければ、彼はその女の夫が要求するとおりの罰金を必ず科せられなければならない。彼は法廷が定めるところに基づいて支払う。21:23 しかし、重大な傷害があれば、いのちにはいのちを、21:24 目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、21:25 火傷には火傷を、傷には傷を、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。21:26 人が自分の男奴隷の片目あるいは女奴隷の片目を打ち、目をつぶした場合、その目の償いとして、その奴隷を自由の身にしなければならない。21:27 また、自分の男奴隷の歯一本あるいは女奴隷の歯一本を打ち、折ったなら、その歯の償いとして、その奴隷を自由の身にしなければならない。   家庭と社会で起こる暴力とそれに伴う被害補償に対する規定です。暴力があれば、加害者と被害者が生じます。人を殺した者は必ず死にます。暴行致死の処罰は死刑なのです。このような正当な処罰があることによって被害者と家族を慰めることができるし、厳とした処罰があるがゆえに社会的な警覚心を維持することができます。   しかし、人が死んでも、それが故意の殺人ではない場合、加害者には生きる道を開いてあげます。遺族が復讐しないように避難所を設けます。致死に至らなかった暴力の場合は、加害者を殺さずに損害を賠償させます。もし奴隷が暴行事件を起こしたときは、その奴隷を殺すことによって発生する主人の財産権も慎重に配慮しています。   律法は、犯罪を善悪の白黒論理で語りません。視点は、罪の脅威から共同体の共生を守ることです。被害者への補償と加害者の処罰はもちろん、関連する利害関係と加害者の基本権まで保護しています。罪と一緒に生きていかなければならない人間に共生できるような仲裁をしているのです。   それから、自分の親に暴力を振る舞う存続暴力の場合は必ず殺すということです。物理的な暴力だけでなく、親に言葉の暴力を行使する者も殺します。これには、情状酌量の条項がありません。必ず死にます。律法は、罪が絶えない世の中で、最小限の人間性を守るために苦闘しているのです。   23節以降に「しかし、重大な傷害があれば、いのちにはいのちを、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、火傷には火傷を、傷には傷を、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。23-25」としました。いわゆる同害復讐法です。受けた分返します。   ところで、私たちは、これの意図を誤解しています。確かに受けた分を返すということになっていますが、厳密に言えば、受けた分だけ返すということです。恨みを込めて、定め以上の復讐をしてはいけないということです。そういう意味で「目に目、歯には歯」なのです。復讐はまた復讐を呼びます。復讐を重ねると人間は全滅します。   イエス様がこの御言葉を引用して教えられました。マタイ5章から「目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 38-44」   イエス様は同害復讐法もしないようにと言われました。イエスによって律法は、更新されたのです。しかし、それは行動の方法が変わったものであって精神が変わったのではありません。律法は、人間の罪が絶えないことを最初から知っていました。だから相互にあるべき最善の仲裁案の作ったのです。   イエス様によって律法が廃棄されたものではなくその中にある最善という意味が強調されました。罪が絶えない世と人間に赦しということより大きいな法はありません。イエス様はそのため来られました。それでなかったら、イエス様は私にも十字架に上がってあなたの罪の分の血を流しなさいと言われたはずです。罪というウイルスの中を生きる人間に唯一のワクチンは愛です。   マタイの残りの御言葉を読みます。「天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。 45-48」

출애굽기 QT43 2105024월【눈은 눈으로, 이는 이로】출애굽기 21장 12~27

출애굽기 21장 12~2721:12 사람을 쳐죽인 자는 반드시 죽일 것이나21:13 만일 사람이 고의적으로 한 것이 아니라 나 하나님이 사람을 그의 손에 넘긴 것이면 내가 그를 위하여 한 곳을 정하리니 그 사람이 그리로 도망할 것이며21:14 사람이 그의 이웃을 고의로 죽였으면 너는 그를 내 제단에서라도 잡아내려 죽일지니라21:15 자기 아버지나 어머니를 치는 자는 반드시 죽일지니라21:16 사람을 납치한 자가 그…

出エジプト記 QT42 20210522土【土の祭壇、削らない石の祭壇】出エジプト 20章 18~26

出エジプト記 20章 18~2620:18 民はみな、雷鳴、稲妻、角笛の音、煙る山を目の前にしていた。民は見て身震いし、遠く離れて立っていた。20:19 彼らはモーセに言った。「あなたが私たちに語ってください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお語りになりませんように。さもないと、私たちは死んでしまいます。」20:20 それでモーセは民に言った。「恐れることはありません。神が来られたのは、あなたがたを試みるためです。これは、あなたがたが罪に陥らないよう、神への恐れがあなたがたに生じるためです。」20:21 民は遠く離れて立ち、モーセは神がおられる黒雲に近づいて行った。20:22 主はモーセに言われた。「あなたはイスラエルの子らにこう言わなければならない。あなたがた自身、わたしが天からあなたがたに語ったのを見た。20:23 あなたがたは、わたしと並べて銀の神々を造ってはならない。また自分のために、金の神々も造ってはならない。20:24 あなたは、わたしのために土の祭壇を造りなさい。その上に、あなたの全焼のささげ物と交わりのいけにえとして、羊と牛を献げなさい。わたしが自分の名を覚えられるようにするすべての場所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。20:25 もしあなたが、わたしのために石で祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。それに、のみを当てることで、それを冒すことになるからである。20:26 あなたはわたしの祭壇に階段で上るようにしてはならない。その上で、あなたの裸があらわにならないようにするためである。   神様は祭壇を築くときに土で祭壇をつくるように命じます。石の祭壇を築くことがあっても、それを削ったり加工したりしてはいけません。それは、祭壇を作る材料や作り方を指定されたのではなく、祭壇が派手になるとき、礼拝を変質させてしまう人間の心を警戒したからです。   大きな建物を建て、さらに貴重なもので礼拝を飾るとき、私たちはそれを神様にささげるものであると思います。それは間違いありませんが、神様は、人間がそれを通して自身の功労意識と誇りを持つことを知っておられます。神様は礼拝というものがどのようにして本質を失い、さまようのかについて語られているのです。   コリント教会の危機は、コリント教会のために献身した特定の人々の功労意識にありました。彼らは党派を作り、分裂し、各自がより良い自分の祭壇を競争的に作りました。その祭壇はそれを作った人のものであって、神様が受けられる礼拝の祭壇ではありません。   説教壇が粗雑であってはいけませんが、とはいえ、説教壇が大きくて高価である必要はありません。流行りのようにクリスタル講壇も使いますが、木の箱でも構いません。高価で良いものだから聖物なのではなく、神様の礼拝のために丁寧に区別したものが聖物です。   金銀をもって飾り、その上に自分の名前を刻みたいなら、かえって土で作った方がよいでしょう。貴重な献金、大切な奉仕が礼拝になるためには、自分の名前を載せたいという欲を捨てなければなりません。神様が土で祭壇を築き、石を削らないようにされたのは、神様が礼拝の栄光を盗まれない方だからです。  

출애굽기 QT42 2105022토【토단과 깎지 않은 돌제단】출애굽기 20장 18~26

출애굽기 20장 18~2620:18 뭇 백성이 우레와 번개와 나팔 소리와 산의 연기를 본지라 그들이 볼 때에 떨며 멀리 서서20:19 모세에게 이르되 당신이 우리에게 말씀하소서 우리가 들으리이다 하나님이 우리에게 말씀하시지 말게 하소서 우리가 죽을까 하나이다20:20 모세가 백성에게 이르되 두려워하지 말라 하나님이 임하심은 너희를 시험하고 너희로 경외하여 범죄하지 않게 하려 하심이니라20:21 백성은 멀리 서 있고 모세는 하나님이 계신…

出エジプト記 QT41 20210521金【まだ、守られない法】出エジプト 20章 1~17

出エジプト記 20章 1~17 20:1 それから神は次のすべてのことばを告げられた。20:2 「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。20:3 あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。20:4 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。20:7 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。20:8 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。20:9 六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。20:10 七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。20:11 それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。20:13 殺してはならない。20:14 姦淫してはならない。20:15 盗んではならない。20:16 あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。20:17 あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」   十戒の4命令までは、神様に対するものであり、5命令から10命令までは、隣人愛の戒めです。ですから十戒は神の愛であり、また、隣人に対する愛です。十戒には礼拝の自由があり、労働権と安息の保証があります。家族の絆と財産と所有の権利を保護します。この十戒は、西洋世界の法制の発展に基礎となりました。人間の尊厳な権利が杭のように打ち込まれているのが十戒です。   日本も韓国もこの憲法を借用しています。ですから私たちの憲法精神を遡るとシナイ山に辿り着きます。私たちにある道徳的な判断があるなら、それはすでに十戒の空気の中で生きてきたからです。紀元後2021年を生き、一週間を生き、憲法の下で生きるなら、神様と関係なく生きるものは誰一人もいません。   十戒が律法の基本であると思いがちですが、十戒は、基本ではなく、最高のものです。十戒を守って生きる世界というものは、想像しがたいです。神様を認め、神様を意識し、神様のみに礼拝し、その心の中に自分のための貪欲の偶像の置かない人たちが生きている世界をまだ見たことがないからです。   生活の中で健康的な労働と安息のバランスがあり、搾取と抑圧がなく、すべての人が親を敬い、隣人を愛して憎むことなく、それらに危害を加えず、殴ることなく、浮気も不倫をなく、性暴力を振る舞わない、むさぼって奪うことなく、だましとらない、殺しあいのない世界を見たことがないから確か十戒はあるが、十戒が実現された世界は想像し難いです。   この十戒は、申命記5章にもう一度出てきます。荒野の世代が死に、次の世代がカナンの地に入る前にヨルダンの東で再度宣言されます。すべての時代を超えて守らなければならない最も人間らしく生きるための条件が十戒です。律法といって同じ律法ではありません。十戒は、律法と恵みが対立するような議論に巻き込まれるようなテーマではありません。人が人らしく生きるためには、誰もがこの法律を逃れることができないからです。

출애굽기 QT41 2105021금【아직 지켜지지 않은 법】출애굽기 20장 1~17

출애굽기 20장 1~1720:1 하나님이 이 모든 말씀으로 말씀하여 이르시되20:2 나는 너를 애굽 땅, 종 되었던 집에서 인도하여 낸 네 하나님 여호와니라20:3 너는 나 외에는 다른 신들을 네게 두지 말라20:4 너를 위하여 새긴 우상을 만들지 말고 또 위로 하늘에 있는 것이나 아래로 땅에 있는 것이나 땅 아래 물 속에 있는 것의 어떤 형상도 만들지 말며20:5 그것들에게…

出エジプト記 QT40 20210520金【近づけない神の御怒り】出エジプト 19章 16~25

出エジプト記 19章 16~2519:16 三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。19:17 モーセは、神に会わせようと、民を宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。19:18 シナイ山は全山が煙っていた。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。煙は、かまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。19:19 角笛の音がいよいよ高くなる中、モーセは語り、神は声を出して彼に答えられた。19:20 主はシナイ山の頂に降りて来られた。主がモーセを山の頂に呼ばれたので、モーセは登って行った。19:21 主はモーセに言われた。「下って行って、民に警告せよ。彼らが見ようとして主の方に押し破って来て、多くの者が滅びることのないように。19:22 主に近づく祭司たちも自分自身を聖別しなければならない。主が彼らに怒りを発することのないように。」19:23 モーセは主に言った。「民はシナイ山に登ることができません。あなたご自身が私たちに警告して、『山の周りに境を設け、それを聖なるものとせよ』と言われたからです。」19:24 主は彼に言われた。「下りて行け。そして、あなた自身はアロンと一緒に上れ。しかし、祭司たちと民は、主のところに上ろうとして押し破ってはならない。主が彼らに怒りを発することのないように。」19:25 そこでモーセは民のところに下りて行き、彼らに告げた。   イスラエルの民はエジプトを出てから3ヶ月後、つまりペンテコステになるときにシナイ山に着きました。神様はシナイ山で、イスラエルとともに契約を結ばれます。ところが、この契約が、初めてではありません。神様がアブラハム、イサク、ヤコブに言われたあの契約が成就され、具体化されていきます。神様の契約は、継承され、更新され、発展していきます。神様の約束どおりにイスラエルは大きな民族を遂げ、今は、神様とその共同体が契約をしているのです。   契約の日の朝から雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が鳴り響きました。山全体が火のつくようであってラッパの音が鳴りました。喜びと平和ではなく、大きな恐怖でした。ヘブル12章では、モーセ自身も深く恐れ震えると伝えます。神様の顕現は恐怖そのものだった。契約を立てる過程で、神様は、民が山に近づかないようにと警告されます。山に上がってくる者は必ず死ぬことを意味しています。   教会はできるだけ多くの人に伝道し、礼拝をささげることを勧めしますが、原則的に礼拝というのは、誰にでも許可されているものではありません。なぜなら、神様は、今怒り中におられるからです。御怒りの中におられる神様の前に恐れずに進む人はいません。罪を持った人間が聖なる神様に会うことになれば、御怒りのゆえに生き残る人間はいません。   人間が近づくと、神様が怒りを発すると言われます。神様は、罪を憎む、その怒りを隠しません。エペスの手紙によれば、人間は本質上怒りの子です。人間本来の本質的属性が罪によって滅びるしかない神様の怒りの対象であるということです。そして、神様の怒りは今も終わっていません。神様は愛であられるので、神様は今も罪に対して怒っておられます。   ただし、その怒りの中、例外的に憐れみの装置があります。モーセとアロンは神様のところに行くことが許されました。アロンは祭司になるため許可されました。レビ記で読んでいますが、イスラエルは神様の怒りの前に獣の血を流し、アロンの子の祭司を通して礼拝しました。   そして、ヘブル人への手紙を読んでいるように、大祭司はメルキゼデクの列に倣う、イエス・キリストです。イエス・キリストを通るときに怒りの中で憐れみを受けるのです。それによって礼拝できるようになったのです。ですから救いです。イエス様の血がなければ、人間の終わらない罪のゆえに終わらない神様の怒りによって未だに礼拝はできません。   人間の本質を怒りの子と定めたエペソ2章3節から続く4節以降は、「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。4,5」と述べました。   さらに続く14,16節で「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」イエスの血によって、憐れみの道が開かれ、礼拝ができるようになりました。恐れと感謝なしに礼拝することはできません。

출애굽기 QT40 2105020목【접근할 수 없는 하나님의 진노】출애굽기 19장 16~25

출애굽기 19장 16~2519:16 제 삼일 아침에 우뢰와 번개와 빽빽한 구름이 산 위에 있고 나팔소리가 심히 크니 진중 모든 백성이 다 떨더라19:17 모세가 하나님을 맞으려고 백성을 거느리고 진에서 나오매 그들이 산 기슭에 섰더니19:18 시내산에 연기가 자욱하니 여호와께서 불 가운데서 거기 강림하심이라 그 연기가 옹기점 연기 같이 떠오르고 온 산이 크게 진동하며19:19 나팔 소리가 점점 커질 때에…

出エジプト記 QT39 20210519水【祭司の王国、聖なる国民】出エジプト 19章 1~15

出エジプト記 19章 1~1519:1 エジプトの地を出たイスラエルの子らは、第三の新月の日にシナイの荒野に入った。19:2 彼らはレフィディムを旅立って、シナイの荒野に入り、その荒野で宿営した。イスラエルはそこで、山を前に宿営した。19:3 モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。19:4 『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。19:5 今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。19:6 あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」19:7 モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをすべて、彼らの前に示した。19:8 民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主の言われたことをすべて行います。」それでモーセは民のことばを携えて主のもとに帰った。19:9 主はモーセに言われた。「見よ。わたしは濃い雲の中にあって、あなたに臨む。わたしがあなたに語るとき、民が聞いて、あなたをいつまでも信じるためである。」それからモーセは民のことばを主に告げた。19:10 主はモーセに言われた。「あなたは民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、自分たちの衣服を洗わせよ。19:11 彼らに三日目のために準備させよ。三日目に、主が民全体の目の前でシナイ山に降りて行くからである。19:12 あなたは民のために周囲に境を設けて言え。『山に登り、その境界に触れないように注意せよ。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。19:13 その人に手を触れてはならない。その人は必ず石で打ち殺されるか、矢で殺されなければならない。獣でも人でも、生かしておいてはならない。』雄羊の角が長く鳴り響くときは、彼らは山に登ることができる。」19:14 モーセは山から民のところに下りて行って、民を聖別した。彼らは自分たちの衣服を洗った。19:15 モーセは民に言った。「三日目のために準備をしなさい。女に近づいてはならない。」   鷲は、子が大きくなると、崖の上の巣から子を追い出し、下に落とします。すると、まだ飛べない鷲の子はとめどなく墜落します。親鳥はそれを上から見ています。鷲の子が地面に触れる前に、大きな翼を広げて鷲の子を翼の上に乗せて飛びかけます。それを何回か繰り返すうちに鷲の子は飛べるようになります。   初めて巣から押し出され、下に落ちたときの鷲の子はこれで死ぬと思ったかもしれません。しかし、それが絶望にならないのは、親鷲が上からすべてを見ているからです。しかも、親鷲は鷲の子を救い出すことができる十分な力を持っています。「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。4」神様がイスラエルをそのように守り、保ちながら訓練してきたということです。   神様は荒野で、その恵みを思い起こさせ、さらにイスラエルに向かったビジョンを共有しておられます。祝福は絶望の瞬間に鷲の背中で乗せられたことにに止まらず、成熟した使命につながります。恵みを受けたのは、より大きな恵みを受けるためでした。荒野の羊飼いモーセは、イスラエルを救い出し、独立させる指導者となり、奴隷ヘブライ民族は祭司の国となります。これは、人が見た夢ではありません。人の努力の結果でもありません。神様が選び、恵みを与えた結果です。選らばれ、救われた恵みの上に、聖別された使命の恵みが与えられます。神様のご計画は、予期せぬ恵みです。   「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。5,6」奴隷においてエジプトは世界のすべてでした。しかし、神様は、彼らの視野を広げてくださいます。救いを経験したイスラエルにより広いところを眺める視野を与えます。神様はあらゆる民族とすべての歴史を治める方です。自分の食べ物しか分からなかった奴隷から、誰かのために生きる意味が始まります。   イスラエルは祭司の国となる祝福を受けるからです。祭司というのは、他人のために働く人です。人を神様へつなげる人が祭司です。祭司は、民の礼拝と祝福のためにとりなします。アロンの子ではなく、レビではなく、イスラエルが祭司の国になるという祝福のビジョンです。そして、イスラエルはその計画に従うと答えました。これからは、祝福の契約どおりに神様の御言葉を受け、それを身につけて生きる課題が残りました。