사도행전 묵상15 【스데반과 창세기】 20230703 (월) 사도행전 7장 1~16

사도행전 7장 1~167:1 대제사장이 가로되 이것이 사실이냐7:2 스데반이 가로되 여러분 부형들이여 들으소서 우리 조상 아브라함이 하란에 있기 전 메소보다미아에 있을 때에 영광의 하나님이 그에게 보여7:3 가라사대 네 고향과 친척을 떠나 내가 네게 보일 땅으로 가라 하시니7:4 아브라함이 갈대아 사람의 땅을 떠나 하란에 거하다가 그 아비가 죽으매 하나님이 그를 거기서 너희 시방 거하는 이 땅으로 옮기셨느니라7:5…

使徒の働き 黙想14 【御使いの顔】 20230702 (日) 枝川愛の教会 使徒の働き 6章 8-15

使徒の働き 6章 8-15 6:8 さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。 6:9 ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。 6:10 しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。 6:11 そこで、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは、彼がモーセと神を冒瀆することばを語るのを聞いた」と言わせた。 6:12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。 6:13 そして偽りの証人たちを立てて言わせた。「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。 6:14 『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」 6:15 最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。 聖書に書かれているステパノの行跡は、いつもステパノ自身の力ではなく、聖霊の力で生きていった者でした。その知恵と聖霊に語ったステパノには、当時、学問で有名な町から来た人々も対抗することができませんでした。それ故、その人々がステパノに勝てる唯一の方法は卑怯な術を使うことでした。 真実を基にした嘘が一番効果的だという話があります。ステパノとの議論に勝てられなかった彼らは巧みに仕組まれた嘘をつき、ステパノを最高法院に引いて行くところまでは成功しました。 そこで、最高法院で席に着いていた人々がステパノを見た時の彼らの反応について聖書は‘彼の顔は御使いのように見えた’と語っています。この‘御使いのような顔’はいったいどんな顔でしょうか。現代の私たちは‘御使いのような顔’と言われたら、思い出すイメージが何個かあります。きれいな赤ちゃんの顔、純粋で良い人に見える顔、もしくは、だれもが見ても美しい、ハンサムな顔だと思われる顔など。しかし、今日聖書が語っているステパノの顔がこのような顔だったでしょうか。少し考えて見る必要があります。 今まで御使いに対してイスラエル民が持っていた思いはこのようにただ美しいだけのイメージではありません。彼らにとって神様に遣わされた御使いは偉大な存在であり、恐れるべきの存在であったでしょう。マタイの福音書ではこの姿がよく現れています。 “すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来sて石をわきに転がし、その上に座ったからである。その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった。その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、死人のようになった。”(マタイ28:2-4) 最高法院の人々がステパノから見た御使いの顔はこのように聖い、恐れるべきの顔だったかも知れません。 どれほど巧みに仕組まれた嘘も勝てないことがあります。それは‘真実’です。真理であるイエス・キリストを正しく伝えたステパノから見えた御使いの顔は、このような‘真実’から出て来た顔だったでしょう。私たちが信じているこの福音はこの世が巧みに仕組んだ嘘では勝てない‘真実’なものです。このような信仰をもって、大胆に福音を伝える私たちの顔も、最高法院の人々がステパノから見た顔と同じ顔でしょう。

사도행전 묵상14 【천사의 얼굴】 20230702 (일) 사도행전 6장 8-15

사도행전 6장 8-15 6:8 스데반이 은혜와 권능이 충만하여 큰 기사와 표적을 민간에 행하니 6:9 이른 바 자유민들 즉 구레네인, 알렉산드리아인, 길리기아와 아시아에서 온 사람들의 회당에서 어떤 자들이 일어나 스데반과 더불어 논쟁할새 6:10 스데반이 지혜와 성령으로 말함을 그들이 능히 당하지 못하며 6:11 사람들을 매수하여 말하게 하되 이 사람이 모세와 하나님을 모독하는 말을 하는 것을 우리가 들었노라…

使徒の働き 黙想13 【信仰の表彰状】 20230701 (土) 枝川愛の教会 使徒の働き 6章 1-7

使徒の働き 6章 1-7 6:1 そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。 6:2 そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。 6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、 6:4 私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」 6:5 この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、 6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。 6:7 こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。     日々その人数が増えていくエルサレム教会は、人が多くなったため、色々な問題を直面します。教会のリーダーとして奉仕してきた使徒たちは、毎日忙しい日常を過ごしながら、少しは疲れていたかもしれません。そこで、使徒たちは一つの大きな決断をします。 ‘そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。’(使徒6:1-7) 使徒たちはあまりにも忙しくて、お祈りに専念するように心を決めました。教会の中で起こっている色々な問題の原因が自分たちがお祈りしなかったことだと思っていたかも知れません。しかし、そのためには今まで使徒たちがしてきた奉仕を代わりにしてくれる人々を選らばなければなりませんでした。ここで驚くべきことが起こります。それはこの決断について聞いた弟子たちの反応です。彼らはこの状況を重荷に感じなく、‘喜んで受け入れ’、自分たちの中で教会に仕える人々を選びました。 その基準は‘御霊と知恵に満ちた、評判の良い人’でした。この言葉を私たちの言葉に変えると、‘信仰と日常の姿が他人の模範になる人’とも言えるでしょう。まるで、どこかの表彰状のようです。選ばれた七人の人々にこの事柄は、ただの重荷のような仕事を任されることではなく、一つの表彰状をもらったようだったかも知れません。 絶対とは言えないが、多くの子どもたちは、少なくとも幼いごろの私は表彰状をもらうと、それにもっと合う人になるために努力します。周りの子たちは、表彰された子がそれに合わない行いをすると、批判することもあるでしょう。このように表彰状はただの褒めを超え、後の行動にも影響を与えます。 神様はいつも私たちにこの表彰状を与えながら励ましてくださいます。既に私たちを義と認める素晴らしい表彰状を与えてくださいました。私たちが奉仕するのは他の表彰状をもらうためにも、奉仕するための能力があるからでもありません。既に私たちに表彰状を与えてくださった神様にお返しする喜びの反応です。 それ故、私たちの奉仕はエルサレム教会のような喜びに満ちる奉仕にならなければなりません。喜びがない、重荷のような奉仕は結局、問題を生み出します。私たちを義と認め、日々励ましてくださる神様に向かう感謝と喜びをもって、互いに仕え、教会に仕える私たちになりますように祈ります。      

사도행전 묵상13 【믿음의 표창장】 20230701 (토) 사도행전 6장 1-7

사도행전 6장 1-7 6:1 그 때에 제자가 더 많아졌는데 헬라파 유대인들이 자기의 과부들이 매일의 구제에 빠지므로 히브리파 사람을 원망하니 6:2 열두 사도가 모든 제자를 불러 이르되 우리가 하나님의 말씀을 제쳐 놓고 접대를 일삼는 것이 마땅하지 아니하니 6:3 형제들아 너희 가운데서 성령과 지혜가 충만하여 칭찬 받는 사람 일곱을 택하라 우리가 이 일을 그들에게 맡기고 6:4 우리는…

使徒の働き 黙想12 【この世が憎む名】 20230630 (金) 枝川愛の教会 使徒の働き 5章 17-42

使徒の働き 5章 17-42 5:17 そこで、大祭司とその仲間たち、すなわちサドカイ派の者たちはみな、ねたみに燃えて立ち上がり、 5:18 使徒たちに手をかけて捕らえ、彼らを公の留置場に入れた。 5:19 ところが、夜、主の使いが牢の戸を開け、彼らを連れ出し、 5:20 「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい」と言った。 5:21 彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間たちは集まって、最高法院、すなわちイスラエルの子らの全長老会を召集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を牢獄に遣わした。 5:22 ところが、下役たちが行ってみると、牢の中に彼らはいなかった。それで引き返して、こう報告した。 5:23 「牢獄は完全に鍵がかかっていて、番人たちが戸口に立っていました。しかし、開けてみると、中にはだれもいませんでした。」 5:24 宮の守衛長や祭司長たちは、このことばを聞くと、いったいどうなることかと、使徒たちのことで当惑した。 5:25 そこへ、ある人がやって来て、「ご覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、宮の中に立って人々を教えています」と告げた。 5:26 そこで、宮の守衛長は下役たちと一緒に出て行き、使徒たちを連れて来たが、手荒なことはしなかった。人々に石で打たれるのを恐れたのである。 5:27 彼らが使徒たちを連れて来て最高法院の中に立たせると、大祭司は使徒たちを尋問した。 5:28 「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、何ということだ。おまえたちはエルサレム中に自分たちの教えを広めてしまった。そして、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」 5:29 しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。 5:30 私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。 5:31 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。 5:32 私たちはこれらのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」 5:33 これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。 5:34 ところが、民全体に尊敬されている律法の教師で、ガマリエルというパリサイ人が議場に立ち、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、 5:35 それから議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん、この者たちをどう扱うか、よく気をつけてください。 5:36 先ごろテウダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどになりました。しかし彼は殺され、従った者たちはみな散らされて、跡形もなくなりました。 5:37 彼の後、住民登録の時に、ガリラヤ人のユダが立ち上がり、民をそそのかして反乱を起こしましたが、彼も滅び、彼に従った者たちもみな散らされてしまいました。 5:38 そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。 5:39 しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」議員たちは彼の意見に従い、 5:40 使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。 5:41 使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。 5:42 そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。…

사도행전 묵상12 【세상이 시기하는 이름】 20230630 (금) 사도행전 5장 17-42

사도행전 5장 17-42 5:17 대제사장과 그와 함께 있는 사람 즉 사두개인의 당파가 다 마음에 시기가 가득하여 일어나서 5:18 사도들을 잡아다가 옥에 가두었더니 5:19 주의 사자가 밤에 옥문을 열고 끌어내어 이르되 5:20 가서 성전에 서서 이 생명의 말씀을 다 백성에게 말하라 하매 5:21 그들이 듣고 새벽에 성전에 들어가서 가르치더니 대제사장과 그와 함께 있는 사람들이 와서 공회와…

使徒の働き 黙想11 【献身のとりひき】 20230629 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 5章 1~16

使徒の働き 5:1~165:1 ところが、アナニアという人は、妻のサッピラとともに土地を売り、5:2 妻も承知のうえで、代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いた。5:3 すると、ペテロは言った。「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺き、地所の代金の一部を自分のために取っておいたのか。5:4 売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか。どうして、このようなことを企んだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」5:5 このことばを聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。これを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。5:6 若者たちは立ち上がって彼のからだを包み、運び出して葬った。5:7 さて、三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。5:8 ペテロは彼女に言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのか。私に言いなさい。」彼女は「はい、その値段です」と言った。5:9 そこでペテロは彼女に言った。「なぜあなたがたは、心を合わせて主の御霊を試みたのか。見なさい。あなたの夫を葬った人たちの足が戸口まで来ている。彼らがあなたを運び出すことになる。」5:10 すると、即座に彼女はペテロの足もとに倒れて、息絶えた。入って来た若者たちは、彼女が死んでいるのを見て運び出し、夫のそばに葬った。5:11 そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。5:12 さて、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた。皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。5:13 ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に加わろうとはしなかったが、民は彼らを尊敬していた。5:14 そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。5:15 そしてついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせて、ペテロが通りかかるときには、せめてその影だけでも、病人のだれかにかかるようにするほどになった。5:16 また、エルサレム付近の町々から大勢の人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まって来た。その人々はみな癒やされた。   エルサレムの礼拝と宣教共同体は権力に屈することなく宣教を前進し、お互いのために自分の所有を共有して献身しました。それは政治的、経済的な論理に従うことではありませんでした。聖書と聖霊の導きに従ったと言えるでしょう。   今日の本文、アナニアとサッピラの話はエルサレム教会の献身というものから何がどのように離脱したのかを考えさせる出来事です。アナニアとサッピラは献身の行動が人々の評価と称賛を受けることになるということを知り、それに欲が出ました。   彼らは所有を売って一部は隠し、一部だけを渡しました。認められたいし、功労を褒められたいです。それは共同体の純粋な献身からみると、少しずれているのではなく、全く逆のことです。   報いを望む気持ちは誰にでもあります。だから教会は聖徒に報いを挟んで献身を求め、献身した人に階級や名誉で報うやり方で人と組織を動かしました。それは私たちの時代に明らかにあった事実です。そのため、教会は私有化と階級化という結果を産みました。   やってはいけないことはやってはいけません。献身は株の投資ではありません。教会は献身を装った不純な投資を受けることはしません。聖徒の上に聖徒を置くことはないからです。高くなった自分を自ら削らなければ切り落とされます。スピードが遅くてもいいですし、サイズが小さくてもいいです。教会は神のものです。それを認めた人々によって献身は続くでしょう。

사도행전 묵상11 【헌신의 거래】 20230629 (목) 사도행전 5장 1~16

사도행전 5장 1~165:1 아나니아라 하는 사람이 그 아내 삽비라로 더불어 소유를 팔아5:2 그 값에서 얼마를 감추매 그 아내도 알더라 얼마를 가져다가 사도들의 발 앞에 두니5:3 베드로가 가로되 아나니아야 어찌하여 사단이 네 마음에 가득하여 네가 성령을 속이고 땅 값 얼마를 감추었느냐5:4 땅이 그대로 있을 때에는 네 땅이 아니며 판 후에도 네 임의로 할 수가 없더냐 어찌하여…

使徒の働き 黙想10 【迫害の中で一つになる共同体】 20230628 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 4章 23~37

使徒の働き 4:23~374:23 さて、釈放された二人は仲間のところに行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。4:24 これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた。「主よ。あなたは天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方です。4:25 あなたは聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ、異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの国民はむなしいことを企むのか。4:26 地の王たちは立ち構え、君主たちは相ともに集まるのか、主と、主に油注がれた者に対して。』4:27 事実、ヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人たちやイスラエルの民とともに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、4:28 あなたの御手とご計画によって、起こるように前もって定められていたことすべてを行いました。4:29 主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。4:30 また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」4:31 彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。4:32 さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。4:33 使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。4:34 彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、4:35 使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、4:37 所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。   伝道してはいけないという警告を受けたペテロとヨハンは、解放されて戻り、兄弟たちと一緒に祈ります。祈りは、世の権力の愚かさを告発しますが、そのような状況でもより福音が進められるように知恵と賜物を求めています。苦難を取り除くための祈りではありませんでした。苦難の中でも燃えて善を行うことができるように信仰と勇気を求めました。ただ、危険から守ってくださることを願います。祈りが素晴らしいと思います。   その祈りが終わった時、祈ったところが揺れ、祈っていた人々は聖霊に満されました。教会に金があると、二つに分かれて争うところがあります。欲張りと高ぶりで満されたからです。しかし、迫害と脅威の中でも、聖霊に満たされる人がいます。その人は口を開いて言わざるを得ず、イエス様を伝えつづけます。それでも情熱は誇ることではないです。なぜなら、聖霊に満たされているからこそできることだからです。   一つを選択すると、一つをあきらめなければなりません。いや、上位価値に満足できれば、小さなものには執着しなくなります。経験上、信仰と実際は違うことがあります。ほとんどの人は、事実上、神様よりもお金の力を信じます。それを持っている人はそれを頼り、持っていない人は求めます。しかし、聖霊に満ちた人々はそれらを用いますが、それらを信じることはしません。   「さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。32」 自分のものを共同体のためにささげました。私有財産を認めなかったり、没収したりしたわけではありません。初代教会は社会主義ではありません。むしろ資本主義で最も大切な分かち合いを実践した共同体主義です。それはユダヤ社会から追い出され、不利益を受けていた初代教会の聖徒たちの基本的な必要を満たすためでした。   聖徒たちは自発的に貧しい聖徒のために自分の所有の一部をを売り払ってその代金を使徒たちの足のものに置きました。教会は各人の必要を把握し、それに応じて配ります。残りをあげたのではなく、大切なものをささげました。バルナバも土地を売って使徒たちの足の前に置きました。困難な場所、貧しいところ、病んでいるところを振り返り、ささげることができれば、今でも初代教会の共同体の献身は再現·実現可能です。しかし、本文の主題だけを確認しましょう。主題は不動産売却と代金献金ではありません。聖書と聖霊が支配する価値通りに生きることが主題です。