使徒の働き 黙想4 【ペテロの常況化】 20230622 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 2章 22~36

使徒の働き 2:22~362:22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。2:25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることはありません。2:26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。2:27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。2:28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。2:30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。2:31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。2:34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」   ペトロは詩篇16編と110編を取り出し、イエス様の死と復活を通した福音の核心を説教します。旧約を通してイエス·キリストの救いにスポットを当てているのです。詩篇の著者のダビデはユダヤ人にとって英雄です。ダビデが告白した「主」は、彼らが十字架につけた「イエス·キリスト」です。イエス・キリストが、贖いのためのささげものとなって十字架に付けられましたというのは、ユダヤ人にその責任を問う前に、神様が救いのための贖いのささげものであるイエス・キリストを与えてくださったことを強調しているのです。イエス・キリストは贖いとなって死なれました。贖いはユダヤ人がよく知っている概念です。だから、ユダヤ人にイエス・キリストを殺したことを反省しろということではなく、神様が私たちの救いのためにイエス・キリストを送ってくださったということをより大きな強調しているのです。ペトロは確かにユダヤ人が聞き分かるコードで福音を伝えています。   あらゆる時代と地域に、それぞれの思想と宗教、文化的なコードというものがあります。端子が会わないと接続できません。使徒の働きの前半部にペトロがユダヤ人を対象にして福音を伝えていたことと、ペトロの次、パウロがローマ人に福音を伝えたアプローチは明らかに違います。ペトロはユダヤ人が聞き分かる話で伝え、パウロはローマ世界観を持った人が分かる話しをもって伝えました。燃える福音の情熱があっても、相手を理解しなければ福音は救いの機能を果たせません。宣教神学において、「常況化(Contextualization)」という言葉があります。異なる文化と考え方の中で福音証拠のための表現様式を悩むことです。種ばかり持っていてもそれだけでは実を結ぶことはできません。土地にも関心を持たなければなりません。ペトロが旧約をもって福音を証し、ユダヤ人を「常況化」することは実に聖霊による知恵です。今ここでも聖霊がおられます。枝川愛の教会がこの変わる都市の中で変わらない福音を繋げるための福音のコネクタになることを願います。

사도행전 묵상4 【베드로의 상황화】 20230622 (목) 사도행전 2장 22~36

사도행전 2장 22~362:22 이스라엘 사람들아 이 말을 들으라 너희도 아는바에 하나님께서 나사렛 예수로 큰 권능과 기사와 표적을 너희 가운데서 베푸사 너희 앞에서 그를 증거하셨느니라2:23 그가 하나님의 정하신 뜻과 미리 아신대로 내어준바 되었거늘 너희가 법 없는 자들의 손을 빌어 못 박아 죽였으나2:24 하나님께서 사망의 고통을 풀어 살리셨으니 이는 그가 사망에게 매여 있을 수 없었음이라2:25 다윗이 저를…

使徒の働き 黙想3 【主の御名を呼び求める者】 20230621 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 2章 14~21

使徒の働き 2:14~212:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』   聖霊が臨んだ後のことについて一部の人々が皮肉って嘲笑すると、ペトロが起きあがり、説教を始めます。べテロは恐れて逃げていた人です。イエス様を否認していたペトロはもう別人になりました。状況を読みとり、時宜にかなって御言葉を思い出し、悟りをもって、立ち上がり、恐れずに語ることは、聖霊がその中におられるからです。   弟子たちは活発になって語り合いました。ペトロはヨエルの預言(ヨエル2章)を思い出します。「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。17」ビジョンとミッションを抱き始め、立ち上がって宣言します。神様の御言葉が思い出され、それを大胆に語ることは聖霊に属しているからです。   ヨエルの預言は終末に関することです。しかし、悲しくありません。 怖くもありません。 世が滅びるのが終末ではなく、イエス様が来られるのが終末だからです。イエス様を用いてこの世を生きることでしょうか。いいえ、人生を通じてイエス様を待つことです。イエス様が送ってくださった霊、聖霊に満たされている人は終末を宣言していますが、全世代が希望で浮き立っています。   「主の御名を呼び求める者はみな救われる。21」 本文最後の節です。滅亡という絶望の中で救いという希望を語ります。この単純な預言と夢と幻をこれからも単純に言い続けたいです。聞いた通りに、信じた通りに、言い続けたいです。それも聖霊の働きです。「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」

사도행전 묵상3 【주의 이름을 부르는 자】 20230621 (수) 사도행전 2장 14~21

사도행전 2장 14~212:14 베드로가 열 한 사도와 같이 서서 소리를 높여 가로되 유대인들과 예루살렘에 사는 모든 사람들아 이 일을 너희로 알게 할 것이니 내 말에 귀를 기울이라2:15 때가 제 삼시니 너희 생각과 같이 이 사람들이 취한 것이 아니라2:16 이는 곧 선지자 요엘로 말씀하신 것이니 일렀으되2:17 하나님이 가라사대 말세에 내가 내 영으로 모든 육체에게 부어 주리니…

使徒の働き 黙想2 【言葉が通じる人々】 20230620 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 2章 1~13

使徒の働き 2:1~132:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、2:6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。2:7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。2:8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。2:9 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、2:10 フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」2:12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。   五旬節に聖霊が臨まれます。聖霊が臨んでから人々は他国の言語で話し始めました。異言の祈りについては神学的背景によって意見が分かれていますが、神様の霊の働きを制限することはできません。異言の祈りはないと言えなければ、異言だけだとも言えません。それぞれ自分の祈り方で祈ればいいことです。   ただし、今朝の本文の核心は異言の祈りではありません。五旬節の聖霊降臨にあって他国の言葉は、神様に対する祈りの言語ではなく、人々とのコミュニケーションの言語でした。聞き取れない言葉で祈り始めたのではなく、言語が違って聞き取れなかった人たちが聞き取れるようにしゃべり始めた事件です。   ですから、聖霊が来られて一番先にされたことは福音が伝われる道に妨げている壁を崩したことです。言語が同じでも聞こうとしない人に伝える方法はありません。しかし、言語が違っても、聖霊の人が聖霊の人に会えば通じます。信仰と希望と愛の言葉は国境を超えて通じます。宣教ができない制限はありません。聖霊の言語を携えていきたいと願います。

사도행전 묵상2 【말 통하는 사람들】 20230620 (화) 사도행전 2장1~13

사도행전 2장1~132:1 오순절날이 이미 이르매 저희가 다 같이 한 곳에 모였더니2:2 홀연히 하늘로부터 급하고 강한 바람 같은 소리가 있어 저희 앉은 온 집에 가득하며2:3 불의 혀같이 갈라지는 것이 저희에게 보여 각 사람 위에 임하여 있더니2:4 저희가 다 성령의 충만함을 받고 성령이 말하게 하심을 따라 다른 방언으로 말하기를 시작하니라2:5 그 때에 경건한 유대인이 천하 각국으로부터 와서…

使徒の働き 黙想1【マッティア充員の意味】 20230619 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 1章 12~26

使徒の働き 1:12~261:12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。1:13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。1:14 彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。1:15 そのころ、百二十人ほどの人々が一つになって集まっていたが、ペテロがこれらの兄弟たちの中に立って、こう言った。1:16 「兄弟たち。イエスを捕らえた者たちを手引きしたユダについては、聖霊がダビデの口を通して前もって語った聖書のことばが、成就しなければなりませんでした。1:17 ユダは私たちの仲間として数えられていて、その務めを割り当てられていました。1:18 (このユダは、不義の報酬で地所を手に入れたが、真っ逆さまに落ちて、からだが真っ二つに裂け、はらわたがすべて飛び出してしまった。1:19 このことは、エルサレムの全住民に知れ渡り、その地所は彼らの国のことばでアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになっていた。)1:20 詩篇にはこう書いてあります。『彼の宿営が荒れ果て、そこから住む者が絶えますように。』また、『彼の務めは、ほかの人が取るように。』1:21 ですから、主イエスが私たちと一緒に生活しておられた間、1:22 すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から、だれか一人が、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」1:23 そこで彼らは、バルサバと呼ばれ、別名をユストというヨセフと、マッティアの二人を立てた。1:24 そしてこう祈った。「すべての人の心をご存じである主よ。この二人のうち、あなたがお選びになった一人をお示しください。1:25 ユダが自分の場所へ行くために離れてしまった、この奉仕の場、使徒職に就くためです。」1:26 そして、二人のためにくじを引くと、くじはマッティアに当たったので、彼が十一人の使徒たちの仲間に加えられた。   使徒の働きの第1章でイエス様は弟子たちに大宣教命令(8節)を下した後に昇天(9節)され、弟子たちはぽつんと残されました。もう弟子たちのそばにはイエス様はおらず、約束された聖霊もまだ来ていません。   そうするうちに2章を開くと、激しい風が吹いて来たような響きとともに聖霊が臨まれます。だから今朝の本文は空白期に起きたことであって、その内容はイエス様を売って自殺してしまったガイスカリオテ・ユダに代わる使徒を補充することでした。   承知の通り、聖霊が臨んだ後に使徒たちが力を受け、福音が伝われ、教会が建てられ始めました。宣教の主人公は聖霊であって、使徒の働きの全体で使徒の活躍というのは、主にペトロとパウロによるものです。ところで、第1章で知名度の弱いマッティアを補充していることにはどのような意味があるのでしょうか?   聖霊は無秩序、無分別、無対策の上に来られることではありません。使徒たちは一人を補充して12使徒の完全体を成し、さらに役割を分担し、聖霊を待ちました。聖霊が働かれることを認めるなら、人にできる大切な働きは「席守り」です。空白期の使徒たちはイエス様がエルサレムを離れずに待ちなさいと言われた「席守り」に従いました。 そして十二使徒という「席守り」にも従いました。   彼らがユダを評価した言葉を読んでみると、彼らにとって「席守り」がいかに大切だったかを示唆します「ユダが自分の場所へ行くために離れてしまった25」ユダは席から離れました。「席守り」がなかったのです。宣教は自分の力でできるものではなく、聖霊の力によって行われます。しかし、聖霊が臨み、聖霊が働く時、私は私の席を守っていることを願います。

사도행전 묵상1 【맛디아 충원의 의미】 20230619 (월) 사도행전 1장12~26

사도행전 1장12~261:12 제자들이 감람원이라 하는 산으로부터 예루살렘에 돌아오니 이 산은 예루살렘에서 가까와 안식일에 가기 알맞은 길이라1:13 들어가 저희 유하는 다락에 올라가니 베드로, 요한, 야고보, 안드레와 빌립, 도마와 바돌로매, 마태와 및 알패오의 아들 야고보, 셀롯인 시몬, 야고보의 아들 유다가 다 거기 있어1:14 여자들과 예수의 모친 마리아와 예수의 아우들로 더불어 마음을 같이하여 전혀 기도에 힘쓰니라1:15 모인 무리의…

Ⅱサムエル 黙想32【アラウナの打ち場】 20230531 (목) 枝川愛の教会Ⅱサムエル 24章 15~25

Ⅱサムエル 24:15~2524:15 主は、その朝から定められた時まで、イスラエルに疫病を下された。ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。24:16 御使いは、エルサレムを滅ぼそうと手を伸ばした。主はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼす御使いに言われた。「もう十分だ。手を引け。」主の使いは、エブス人アラウナの打ち場の傍らにいた。24:17 ダビデは、民を打っている御使いを見たとき、主に言った。「ご覧ください。この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたでしょうか。どうか、あなたの御手が、私と私の父の家に下りますように。」24:18 その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「上って行って、エブス人アラウナの打ち場に、主のために祭壇を築きなさい。」24:19 ダビデは、ガドのことばにしたがって、主が命じられたとおりに上って行った。24:20 アラウナが見下ろすと、王とその家来たちが自分の方に進んで来るのが見えた。アラウナは出て行き、地にひれ伏して、王に礼をした。24:21 アラウナは言った。「なぜ、わが主、王は、しもべのところにおいでになったのですか。」ダビデは言った。「あなたの打ち場を買って、主のために祭壇を築きたい。そうすれば民への主の罰は終わるだろう。」24:22 アラウナはダビデに言った。「わが主、王よ。お気に召す物を取って、お献げください。ご覧ください。ここに全焼のささげ物のための牛がいます。薪にできる打穀機や牛の用具もあります。24:23 王よ、このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、主が、あなたを受け入れてくださいますように。」24:24 しかし王はアラウナに言った。「いや、私は代金を払って、あなたから買いたい。費用もかけずに、私の神、主に全焼のささげ物を献げたくはない。」そしてダビデは、打ち場と牛を銀五十シェケルで買った。24:25 ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。主が、この国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルへの主の罰は終わった。   神様はダビデではなく、民に怒っておられます。民が死んでいくとダビデが神様にとりなします。一次的な原因がダビデ自分にあるから、自分を罰してくださいと神様に懇願しますが、疫病による死は止まりません。預言者ガドがダビデに、打ち場で祭壇を築きなさいと言います。支払わない真心はないです。ダビデはその命令に従ってアラウナにお金を払い、打ち場と牛を買って神様に全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げます。神様がその祈りとささげものを受けとってから災いは止まります。   アブラハムがイサクをささげたモリア山がアラウナの打ち場です。そして、この場所は後日エルサレムの神殿の一帯となり、そのあたりの丘がイエス様が十字架について和解のささげもので死なれたところです。時代が変わったからといって罪が消えるわけではなく、神様の怒りが止まることではありません。ただ、その場に信仰と犠牲があったこそ和解の恵みが与えられます。和解のためのイエス様の血ととりなしの犠牲があって、神様の怒りが止まりました。支払われた恵みです。イエス様の中にある和解です。これを持って第二のサムエル記も終わりました。6月から黙想文のアップロードをしばらく休みます。各自の黙想と互いの分かち合いがより豊かになることを祈ります。

사무엘하 묵상32 【아라우나의 타작마당】 20230531 (수) 사무엘하 24장15~25

사무엘하 24:15~2524:15 이에 여호와께서 그 아침부터 정하신 때까지 온역을 이스라엘에게 내리시니 단부터 브엘세바까지 백성의 죽은 자가 칠만인이라24:16 천사가 예루살렘을 향하여 그 손을 들어 멸하려 하더니 여호와께서 이 재앙 내림을 뉘우치사 백성을 멸하는 천사에게 이르시되 족하다 이제는 네 손을 거두라 하시니 때에 여호와의 사자가 여부스 사람 아라우나의 타작 마당 곁에 있는지라24:17 다윗이 백성을 치는 천사를 보고…