黙示録 黙想 【144,000】 20241212(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

黙示録 14:1~13 14:1 また私は見た。すると見よ、子羊がシオンの山の上に立っていた。また、子羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていた。 14:2 また、私は天からの声を聞いた。それは大水のとどろきのようであり、激しい雷鳴のようでもあった。しかも、私が聞いたその声は、竪琴を弾く人たちが竪琴に合わせて歌う声のようであった。 14:3 彼らは御座の前と、四つの生き物および長老たちの前で、新しい歌を歌った。しかし、地上から贖われた十四万四千人のほかは、この歌を学ぶことができなかった。 14:4 この人たちは、女に触れて汚れたことがない者たちで、童貞である。彼らは、子羊が行く所、どこにでもついて行く。彼らは、神と子羊に献げられる初穂として、人々の中から贖い出されたのである。 14:5 彼らの口には偽りが見出されなかった。彼らは傷のない者たちである。 14:6 また私は、もう一人の御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は地に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、言語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。 14:7 彼は大声で言った。「神を恐れよ。神に栄光を帰せよ。神のさばきの時が来たからだ。天と地と海と水の源を創造した方を礼拝せよ。」 14:8 また、その御使いの後にもう一人、第二の御使いが来て言った。「倒れた、倒れた、大バビロンが。御怒りを招く淫行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた都が。」 14:9 また、彼らの後にもう一人、第三の御使いがやって来て、大声で言った。「もしだれかが獣とその像を拝み、自分の額か手に刻印を受けるなら、 14:10 その者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた、神の憤りのぶどう酒を飲み、聖なる御使いたちと子羊の前で火と硫黄によって苦しめられる。 14:11 彼らの苦しみの煙は、世々限りなく立ち上る。獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者には、昼も夜も安らぎがない。」 14:12 ここに、聖徒たち、すなわち神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける者たちの忍耐が必要である。 14:13 また私は、天からの声がこう言うのを聞いた。「書き記せ、『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである』と。」御霊も言われる。「しかり。その人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らとともについて行くからである。」   ヨハネは、シオン山に立つ子羊、すなわちイエス様とともにいる14万4千人を見ます。彼らの額には神の名と子羊の名が記されています。彼らは新しい歌を歌いますが、この歌は14万4千人だけが学び、歌うことができます。彼らは揺るがずにイエス様に従う人々です。 その時、3人の天使がメッセージを伝えます。最初の天使は福音を持ち、神に栄光を帰すよう叫びます。2番目の天使は、淫行によって全世界を混乱に陥れたバビロンの滅亡を宣言します。3番目の天使は、獣とその偶像を拝み、その印を受けた者たちに対する警告を伝えます。そして天から声が聞こえ、信仰と忍耐を持って主にあって死ぬ者は幸いであると宣言します。これは、彼らがその労苦を終え、安息に入るという約束です。 カルト新天地は14万4千という数字を特別視し、自分たちのその数字の枠に入らなければ救われないと教えます。また、淫行によって滅びるバビロンを既存の教会であるとし、これを破壊するよう教えます。そして、新天地を追従する中で受ける苦難を忍耐し、耐えるべきだと主張します。 しかし、14万4千人は個別の数字ではありません。象徴的な完全数であり、救われた全ての聖徒を象徴しています。新天地の教えは、排除されることや脱落することを恐れさせる心理的操作であり、恐怖に基づいた支配です。自分たちを正当化するために他者を非難する必要があるため、教会を敵視し破壊します。いつか労苦を終え、安息に入るためには、揺るがず、騙されず、負けずに子羊のそばに立たなければなりません。

요한계시록 묵상 【144,000】 20241212(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 14:1~13 14:1 또 내가 보니 보라 어린양이 시온 산에 섰고 그와 함께 십사만 사천이 섰는데 그 이마에 어린양의 이름과 그 아버지의 이름을 쓴 것이 있도다 14:2 내가 하늘에서 나는 소리를 들으니 많은 물소리도 같고 큰 뇌성도 같은데 내게 들리는 소리는 거문고 타는 자들의 그 거문고 타는 것 같더라 14:3 저희가 보좌와 네 생물과 장로들…

黙示録 黙想 【666】 20241211(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 13:11~18 13:11 また私は、別の獣が地から上って来るのを見た。それは、子羊の角に似た二本の角を持ち、竜が語るように語っていた。 13:12 この獣は、最初の獣が持っていたすべての権威を、その獣の前で働かせた。また、地と地に住む者たちに、致命的な傷が治った最初の獣を拝ませた。 13:13 また、大きなしるしを行い、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。 13:14 また、この獣は、あの獣の前で行うことが許されたしるしによって、地に住む者たちを惑わし、剣の傷を受けながらも生き返ったあの獣の像を造るように、地に住む者たちに命じた。 13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。 13:16 また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。 13:17 また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。 13:18 ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。   今回は、地から二番目の獣が上ってきます。この獣は子羊の角に似た二本の角を持っていますが、その言葉はサタンの言葉でした。見た目は天真らしく見えるものの、その実質は魔魂の性質を持っています。顔や服装は騙せましても、その言葉はその本質をよく表しているので、これを騙すことはできません。この獣は、海から上がってきた最初の獣の権威を代わりに行使し、人々に最初の獣を守るよう強要します。すべての人に右の手あるいは額に刻印を受けことを強要し、それを受けない人には生存のための買売を禁止されます。 「ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。13:18」 この御言葉から、666という数字が出てきます。これが一時、「ベリチップ(VeriChip)」と言われ、神学的論争を呼び起こしました。ベリチップとは、無線頻平識判(RFID)という技術を用い、人間の身体に埋め込むことができる小型チップを指します。これを「獣の数、666」として解釈する論が起こったのです。医療や金融システムが発展すると、この技術が実用化されることになり、これは「獣体制」、即ち「サタン的体制」に足を踏み入ることになると考えられました。 しかし、福音的な神学を持つ主要な教団や神学機関は、それを陰謀論と位置づけ、議論を終結させました。獣の刻印は物理的な印ではなく、サタンの体制に対する忠誠と同調を象徴するものです。獣の数字「666」は、不完全さと神に敵対するサタン的な体制を象徴しています。象徴的な言葉で書かれた黙示を文字通りに解釈すると、本来のメッセージを見失うことがあります。表面的で文字通りに読んでしまうと、黙示はただ恐怖に満ちたものとしてしか見えなくなります。 チップが内蔵され、データが中央で管理される社会は、恐ろしい統制社会です。全体や集団へと統合し、それを統制しようとする動きには、断固として反対し、抵抗しなければなりません。信仰と聖徒は自由であり、尊厳を持っています。それは動員や管理の対象ではありません。統制しようとする力に支配されないために、魂の自尊心を持って世の中に向き合うべきです。私たちが追求すべき政治的・経済的な体制は、多様性を守りつつ、相互補完的に進むことができる体制です。 ベリチップや「666」の話に恐れを抱き、右往左往して日常生活に支障をきたしていること自体が、知的にも霊的にも支配され、統制され、欺かれている証拠です。獣の数字から守られるべきことは、聖徒の日常が社会システムから切り離されることではなく、自分自身と隣人の自由、権利、そして尊厳を守ることです。クリスチャンとして、自ら経済的・政治的権力によって統制し、支配しようとする世の中に対して反対し、自由と尊厳を守らなければなりません。それが「666」を額や手に受けない聖徒の生き方なのです。

요한계시록 묵상 【666】 20241211(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 13:11~18 13:11 내가 보매 또 다른 짐승이 땅에서 올라오니 새끼양 같이 두 뿔이 있고 용처럼 말하더라 13:12 저가 먼저 나온 짐승의 모든 권세를 그 앞에서 행하고 땅과 땅에 거하는 자들로 처음 짐승에게 경배하게 하니 곧 죽게 되었던 상처가 나은 자니라 13:13 큰 이적을 행하되 심지어 사람들 앞에서 불이 하늘로부터 땅에 내려오게 하고 13:14 짐승…

요한계시록 묵상 【짐승에게 경배하는 사람들】 20241210(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 13:1~10 13:1 내가 보니 바다에서 한 짐승이 나오는데 뿔이 열이요 머리가 일곱이라 그 뿔에는 열 면류관이 있고 그 머리들에는 참람한 이름들이 있더라 13:2 내가 본 짐승은 표범과 비슷하고 그 발은 곰의 발 같고 그 입은 사자의 입 같은데 용이 자기의 능력과 보좌와 큰 권세를 그에게 주었더라 13:3 그의 머리 하나가 상하여 죽게된 것 같더니…

黙示録 黙想 【獣に拝む人々】 20241209(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

黙示録 13:1~10 13:1 また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒瀆する様々な名があった。 13:2 私が見たその獣は豹に似ていて、足は熊の足のよう、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と自分の王座と大きな権威を与えた。 13:3 その頭のうちの一つは打たれて死んだと思われたが、その致命的な傷は治った。全地は驚いてその獣に従い、 13:4 竜を拝んだ。竜が獣に権威を与えたからである。また人々は獣も拝んで言った。「だれがこの獣に比べられるだろうか。だれがこれと戦うことができるだろうか。」 13:5 この獣には、大言壮語して冒瀆のことばを語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。 13:6 獣は神を冒瀆するために口を開いて、神の御名と神の幕屋、また天に住む者たちを冒瀆した。 13:7 獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許された。また、あらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権威が与えられた。 13:8 地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。 13:9 耳のある者は聞きなさい。 13:10 捕らわれの身になるべき者は捕らわれ、剣で殺されるべき者は剣で殺される。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰が必要である。   海から一頭の獣が上がってくるのが見えました。その獣は十の角と七つの頭を持ち、角には王冠があり、頭には神をぎしる名が書かれています。その形はヒョウに似ており、足は熊のようで、口は獅子のようでした。さらに言えば、よろこばしくないこわくて恐ろしい存在が上がってきたのです。サタンは神の民を迫害するためにこの獣に権主と能力を与えました。 この獣の七つの頭のうちの一つが死んだかのように見えましたが、その傷が治って生き返ってきました。これは神秘で奇跡的な事でした。これを機に、世界中のすべての人がこの獣を疑うことなく従うようになります。人々は自分たちの理解を超えたことを目にするとすぐにひざまづきします。しかし、霊性とは、その神秘と超越の源泉を知ることです。ヨハネによる福音書にある御言葉を思い出します。「愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。Ⅰヨハネ4:1」 この獣にだまされたすべての族群、人々、言語、国々はこの獣を拝むようになります。おそらく、それが悪魔であると知らずに拝んでいたのでしょう。悪魔を見分けられなかったので、その悪魔に神の名を付けて拜してしまったのです。今も、神秘的な能力を追い求め、自分が望むことのために、自分が作った神を信じる人は無数にいます。神の御言葉から神を探すのではなく、神秘的な現象を追い求める人は多いのです。見分けることができなければ、情熱的に悪魔を依謹し、争闘的に神を迫害することになります。 しかし、命の書に名が記録されている神の民はこの獣を拜しません。これは自然なことです。これもヨハネによる福音書を思い起こします。「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。10:27 」。神の手帳に自分の名が記録されているかどうかはこれで判別できます。神の手帳に名が記録された人は、聞く耳を持っています。「耳のある者は聞きなさい。13:9」 耳は誰もが持っていますが、悪魔の言葉に耳を側てず、神の御言葉に耳を停める人こそが神の人なのです。 聖徒たちには、迫威が予告されています。辛い悪い事なしに信仰を続けられるなら最も良いのですが、信仰の真偽は火のような迫威によって精緻された純金のようなものです。合金や鍍金は火の前でそれを真似することはできません。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。7:13、14 耐え忍ばない人は信じられません。本物の信仰は人に追従せず、狭い道を大胆に歩んで行きます。 「捕らわれの身になるべき者は捕らわれ、剣で殺されるべき者は剣で殺される。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰が必要である。13:19」 裏切る者は裏切られ、人の血を流す者は自ら血の涙を流すでしょう。「そのとき、イエスは彼に言われた。剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。26:52」 聖徒の信仰と忍耐はただ一方的に待ち続けるだけではありません。恐れや損失を恐れず、冷静に見分け、そして見分けた途り良心に基づいて戦う信仰を守らなければなりません。

黙示録 黙想 【悪あがきを打ち破る証】 20241209(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 12:7~18 12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちは竜と戦った。竜とその使いたちも戦ったが、 12:8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。 12:9 こうして、その大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者が地に投げ落とされた。また、彼の使いたちも彼とともに投げ落とされた。 12:10 私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、投げ落とされたからである。 12:11 兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。 12:12 それゆえ、天とそこに住む者たちよ、喜べ。しかし、地と海はわざわいだ。悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、おまえたちのところへ下ったからだ。」 12:13 竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女を追いかけた。 12:14 しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前から逃れて養われるためであった。 12:15 すると蛇はその口から、女のうしろへ水を川のように吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。 12:16 しかし、地は女を助け、その口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。 12:17 すると竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを堅く保っている者たちと戦おうとして出て行った。 12:18 そして、竜は海辺の砂の上に立った。 11章では、第七のラッパが鳴り響き、神の国の完成と永遠の統治が始まることが宣言されます。12章に入ると、天で戦いが始まり、ミカエルと竜が戦います。この戦いで敗れた竜は天から地に追い出されます。この竜こそ悪魔、サタンです。天に住む者たちは喜びますが、地と海は災いによる苦難に見舞われます。敗北した竜、すなわち悪魔サタンは、自分の時がわずかしか残されていないことを知っているため、地で最後のあがきをするのです。サタンの本質は「欺く者」です。それは既に負けた事実を隠し、欺きや恐れで勝とうとします。サタンは全世界を惑わし、神の民に敵対します。 竜が地に追い出された後、男の子を産んだ女を迫害します。この男の子は、全ての国を治めるメシア、すなわちイエス・キリストを象徴しています。女は竜を避けて荒野に逃れ、神が備えた場所で特別な守りを受けます。竜が女を攻撃しようと、川のような水を吐き出しますが、地がその水を飲み込み、女を守ります。サタンの策略と最後のあがきは失敗し、神の民は変わることなく守られます。怒り狂った竜は、女の残りの子孫、すなわち神の戒めを守り、イエスの証を持つ者たちと戦うために準備を整えます。 どんな戦いであれ、戦いは緊張と恐れを伴うものです。戦うことは大変なことですが、避けられないことでもあります。イエスの証人として生きる限り、この戦いを避けることはできません。同時に、この戦いは「必ず勝てる戦い」でもあります。それは既に勝敗が決した戦いであり、サタンの欺きによる最後のあがきにすぎないからです。サタンは敗北者であり、恐れはサタンの欺きに過ぎません。本当に恐れるべきはサタンではなく、イエスの証を持つ者として生きないことです。私たちは自分の力で勝たねばならないのではありません。戦いに向かって進むなら、必ず勝利が約束されています。逃げ出さない限り、負けることはありません。何も起こらない卑怯者の平和を拒み、義のための証を持って立ち上がり、戦いに出ていきます。

요한계시록 묵상【발악을 이기는 증언】20241209(월)에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 12:7~17 12:7 하늘에 전쟁이 있으니 미가엘과 그의 사자들이 용으로 더불어 싸울쌔 용과 그의 사자들도 싸우나 12:8 이기지 못하여 다시 하늘에서 저희의 있을 곳을 얻지 못한지라 12:9 큰 용이 내어쫓기니 옛 뱀 곧 마귀라고도 하고 사단이라고도 하는 온 천하를 꾀는 자라 땅으로 내어쫓기니 그의 사자들도 저와 함께 내어 쫓기니라 12:10 내가 또 들으니 하늘에 큰…

요한계시록 묵상 【환상을 통한 확신】 20241206(금) 최종석 전도사

요한계시록 11:1-14 11:1 또 내게 지팡이 같은 갈대를 주며 말하기를 일어나서 하나님의 성전과 제단과 그 안에서 경배하는 자들을 측량하되11:2 성전 바깥 마당은 측량하지 말고 그냥 두라 이것은 이방인에게 주었은즉 그들이 거룩한 성을 마흔두 달 동안 짓밟으리라 11:3 내가 나의 두 증인에게 권세를 주리니 그들이 굵은 베옷을 입고 천이백육십 일을 예언하리라 11:4 그들은 이 땅의 주…

黙示録 黙想 【この巻物を食べなさい】 20241205(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 9:1~219:1 第五の御使いがラッパを吹いた。すると私は、一つの星が天から地に落ちるのを見た。その星には、底知れぬ所に通じる穴の鍵が与えられた。9:2 それが底知れぬ所に通じる穴を開くと、穴から大きなかまどの煙のような煙が立ち上り、太陽と空はこの穴の煙のために暗くなった。9:3 その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには、地のサソリが持っているような力が与えられた。9:4 そして彼らは、地の草やどんな青草、どんな木にも害を加えてはならないが、額に神の印を持たない人たちには加えてよい、と言い渡された。9:5 その人たちを殺すことは許されなかったが、五か月間苦しめることは許された。彼らの苦痛は、サソリが人を刺したときの苦痛のようだった。9:6 その期間、人々は死を探し求めるが、決して見出すことはない。死ぬことを切に願うが、死は彼らから逃げて行く。9:7 いなごたちの姿は、出陣の用意が整った馬に似ていた。頭には金の冠のようなものをかぶり、顔は人間の顔のようであった。9:8 また、女の髪のような毛があり、歯は獅子の歯のようであった。9:9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その羽の音は、馬に引かれた多くの戦車が戦いに急ぐときの音のようであった。9:10 彼らはサソリのような尾と針を持っていて、その尾には、五か月間、人々に害を加える力があった。9:11 いなごたちは、底知れぬ所の使いを王としている。その名はヘブル語でアバドン、ギリシア語でアポリュオンという。9:12 第一のわざわいは過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。9:13 第六の御使いがラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から、一つの声が聞こえた。9:14 その声は、ラッパを持っている第六の御使いに言った。「大河ユーフラテスのほとりにつながれている、四人の御使いを解き放て。」9:15 すると、その時、その日、その月、その年のために用意されていた、四人の御使いが解き放たれた。人間の三分の一を殺すためであった。9:16 騎兵の数は二億で、私はその数を耳にした。9:17 私が幻の中で見た馬と、それに乗っている者たちの様子はこうであった。彼らは、燃えるような赤と紫と硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄が出ていた。9:18 これら三つの災害、すなわち、彼らの口から出る火と煙と硫黄によって、人間の三分の一が殺された。9:19 馬の力は口と尾にあって、その尾は蛇に似て頭を持ち、その頭で害を加えるのである。9:20 これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った物から離れるということをせず、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないものを、拝み続けた。9:21 また彼らは、自分たちが行っている殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった。 第五のラッパと第六のラッパが吹き鳴らされると、災害の深刻さは一層増します。自然や環境だけでなく、人間の魂と命が損なわれ始めます。第五のラッパが吹き鳴らされると、天から落ちた悪しき存在が底なしの淵の鍵を受け取ります。その淵を開くとイナゴのようなものが出てきて、神様の印を額に受けていない人々を苦しめます。極限の苦痛を受けた人々は、むしろ死を願いますが、死ぬことさえできません。それは神様の保護を受けていない者たちの苦しみです。第六のラッパが吹き鳴らされると、ユーフラテス川に縛られていた四人の天使が解放されます。その四人の天使は人類の3分の1を殺します。   しかし、生き残った人々は依然として災害の理由を理解していません。それでもなお、神様に悔い改めることなく、罪悪から離れようとしません。彼らの罪とは、悪霊や偶像を崇拝すること、殺人、魔術、淫行、盗みだと言われています。彼らは偶像や悪霊を崇拝しても、金や銀、銅などの豪華なものを用いて崇拝していたことでしょう。また、人を殺し盗みを行うにしても、それを司法的に行っていたかもしれません。淫行をしても、それをロマンスだと思っていたことでしょう。自己合理化を繰り返していると、良心は麻痺し、基準は消え去り、ついには怪物となってしまいます。   罪というのは行為の問題だけではなく、自分自身を基準にして判断し、神様との関係を断絶させる根本的な態度、自己中心的な態度のことです。だからこそ、悔い改めないのではなく、悔い改めることができないのです。イザヤ書で神はこう言われました。「行って、この民に告げよ。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな イザヤ6:9、10」 神様の御言葉を黙想せず、自分を弁護することばかりを考える人々が陥る罠です。悔い改めるべきものが何かを知ること、それは神様に守られている人々が受ける恵みです。