民数記 黙想 【ピネハスの槍】 20250519(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 25:1~18 25:1 イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。 25:2 その娘たちが、自分たちの神々のいけにえの食事に民を招くと、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。 25:3 こうしてイスラエルはバアル・ペオルとくびきをともにした。すると、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。 25:4 主はモーセに言われた。「この民のかしらたちをみな捕らえて、主の前で、白日の下にさらし者にせよ。そうすれば、主の燃える怒りはイスラエルから離れ去る。」 25:5 そこでモーセはイスラエルのさばき人たちに言った。「あなたがたは、それぞれ自分の配下でバアル・ペオルとくびきをともにした者たちを殺せ。」 25:6 ちょうどそのとき、一人のイスラエル人の男がやって来た。彼は、モーセと、会見の天幕の入り口で泣いているイスラエルの全会衆の目の前で、一人のミディアン人の女を自分の兄弟たちに近づかせた。 25:7 祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスはそれを見るや、会衆の中から立ち上がり、槍を手に取り、 25:8 そのイスラエル人の男の後を追ってテントの奥の部屋に入り、イスラエル人の男とその女の二人を、腹を刺して殺した。するとイスラエルの子らへの主の罰が終わった。 25:9 この主の罰で死んだ者は、二万四千人であった。 25:10 主はモーセに告げられた。 25:11 「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、イスラエルの子らに対するわたしの憤りを押しとどめた。彼がイスラエルの子らのただ中で、わたしのねたみを自分のねたみとしたからである。それでわたしは、わたしのねたみによって、イスラエルの子らを絶ち滅ぼすことはしなかった。 25:12 それゆえ、言え。『見よ、わたしは彼にわたしの平和の契約を与える。 25:13 これは、彼とその後の彼の子孫にとって、永遠にわたる祭司職の契約となる。それは、彼が神のねたみを自分のものとし、イスラエルの子らのために宥めを行ったからである。』」 25:14 その殺されたイスラエル人の男、すなわちミディアン人の女と一緒に殺された者の名は、シメオン人の一族の長サルの子ジムリであった。 25:15 また殺されたミディアン人の女の名はツルの娘コズビであった。ツルはミディアンの父の家の諸氏族のかしらであった。 25:16 主はモーセに告げられた。 25:17 「ミディアン人を襲い、彼らを討て。 25:18 彼らは巧妙に仕組んだ企みによって、ペオルの事件であなたがたを襲ったからだ。ペオルの事件の主の罰の日に殺された彼らの同族の女、ミディアンの族長の娘コズビの一件だ。」   イスラエルの民はシッティムでモアブの女たちと不品行に陥った。それはモアブとミデヤンが仕掛けた罠であった。だが、たとえ罠だったとしても、言い訳の余地はない。不品行に巻き込まれたイスラエルの男たちは、やがてバアル・ペオルという偶像崇拝にまで関わっていった。このことにより神様の怒りが燃え上がり、彼らは死ななければならなかった。 疫病が蔓延し、多くの人が死にゆく緊迫した時、イスラエルの男ジムリという者が、ミデヤンの女を連れて会衆の前を平然と通り、自分の天幕へ入り、不品行を行った。全会衆が会見の幕屋の前で悔い改め、涙を流しているその時に、彼はそれを踏みにじり、あざけったのである。アロンの孫である祭司ピネハスは立ち上がり、一本の槍でその男女を一突きにして殺した。 ジムリはなぜ、そのような異常で無謀な挑発をしたのだろうか。ただ「イスラエルが堕落した」とひとくくりに語るには、彼の罪の質はあまりにも深刻である。その行動は、単なる不道徳や情欲では説明できない。神様の統治と共同体の秩序に対する侮辱であり、反逆行為であった。 ジムリはイスラエル社会の指導者であり、コズビもまたミデヤンの支配階級に属する女性だった。彼らの不品行は、実質的に政治的同盟であった。彼は権力と欲望を結託させ、神様の国の秩序をあざけったのである。権力に汚染された特権意識と、最小限の人間としての倫理すら踏みにじるようなこのような悪行が、共同体の中から断固として取り除かれることは、単なる裁きではなく、共同体を生かすために神様が施される愛のひとつのかたちなのである。

민수기 묵상 【비느하스의 창】 202505019(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 25:1~18 25:1 이스라엘이 싯딤에 머물러 있더니 그 백성이 모압 여자들과 음행하기를 시작하니라 25:2 그 여자들이 그 신들에게 제사할 때에 백성을 청하매 백성이 먹고 그들의 신들에게 절하므로 25:3 이스라엘이 바알브올에게 부속된지라 여호와께서 이스라엘에게 진노하시니라 25:4 여호와께서 모세에게 이르시되 백성의 두령들을 잡아 태양을 향하여 여호와 앞에 목매어 달라 그리하면 여호와의 진노가 이스라엘을 떠나리라 25:5 모세가 이스라엘…

民数記 黙想 【あなたを祝福する者は】 20250517(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

民数記 23:27-24:9 23:27 バラクはバラムに言った。「では、私はあなたを、もう一つ別の場所へ連れて行きましょう。もしかしたら、それが神の御目にかなって、あなたは私のために、そこから彼らに呪いをかけることができるかもしれません。」 23:28 バラクはバラムを、荒れ野を見下ろすペオルの頂上に連れて行った。 23:29 バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七匹の雄羊をここに用意してください。」 23:30 バラクはバラムが言ったとおりにして、祭壇に雄牛と雄羊を献げた。 24:1 バラムはイスラエルを祝福することが主の目にかなうのを見て、これまでのようにまじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。 24:2 バラムが目を上げると、イスラエルがその部族ごとに宿っているのが見えた。すると、神の霊が彼の上に臨んだ。 24:3 彼は、彼の詩のことばを口にして言った。「ベオルの子バラムの告げたことば。目の開かれた者の告げたことば。 24:4 神の御告げを聞く者、全能者の幻を見る者、ひれ伏し、目の開かれた者の告げたことば。 24:5 なんとすばらしいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。 24:6 それは、広がる谷のよう、また川のほとりの園のようだ。主が植えたアロエのよう、また水辺の杉の木のようだ。 24:7 その手桶からは水があふれ、種は豊かな水に潤う。王はアガグよりも高くなり、王国は高く上げられる。 24:8 彼をエジプトから導き出された神は、彼にとっては野牛の角のようだ。彼は自分の敵の国々を食い尽くし、彼らの骨をかみ砕き、矢をもって撃ち砕く。 24:9 雄獅子のように、また雌獅子のように、彼は身を伏せ、横たわる。だれがこれを起こせるだろう。あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。」  昨日に引き続き、バラムはバラクがイスラエルを呪うように諦めていませんでした。そこでまた別の場所からイスラエルを見つめ、今度こそ呪われるのではないかと期待を抱きます。  しかし、当たり前なことで、結果は変わりません。バラムは再び神様の御霊に導かれてイスラエルを祝福し始めます。昨日の本文と同様に、神様がご自身の言葉を成し遂げておられる姿です。  そして今日の本文ではもう一つ、神様が昔から語られてきた約束が現れています。イスラエルの起源、先祖アブラハムに対する神様の約束、「あなたを祝福する者は祝福を受け、あなたを呪う者は呪いを受ける」という約束です。  今日の本文のバラムは明らかに三度もイスラエルを祝福しました。そんなバラムを神様は確かに祝福されました。まるで目を閉じたまま偶像に頼る占いをしていたバラムが、その目を開き、神様の言葉を聞く者、全能者の幻を見る者となったのです。  神様が善しとされたのは、イスラエルを祝福したバラムではありません。バラムに祝福をもたらしたイスラエルであり、そのイスラエルと結ばれた約束なのです。  もしバラムがこのまま聖書の舞台から去ったならば、私たちはバラムが神様の祝福を受けて生涯を過ごしたと推測し、その人生をまとめられたでしょう。しかしその後の出来事を通して、バラムがイスラエルを呪い、その呪いの代価として自らも呪われ、悲惨な人生の終わりを迎える様子を目にします。  これは単なる「因果応報」の姿ではありません。神様の「約束」によるものです。私たちに与えられた救いもまた同じです。私たちの救いは、私たちのどんな善い行い、行いから得られる報酬によるのではありません。その救いは神様の約束によって私たちに与えられるのです。  だからこそ、私たちは安心しても良いです。バラムのように私たちも変わってしまうのではないかと心配になるかもしれませんが、神様はその後、さらに多くの約束を私たちに与えられ、私たちを必ず救いへ導くという御心を示してくださいました。私たちはただその約束を信頼し、神様の御心を感じながら、日々感謝して生きていけばよいのです。 https://youtu.be/VKfQkkszy4E?si=O9r1p2xMHpcc4rii

민수기 묵상【너를 축복하는 자를 축복하고】20250517(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

민수기 23:27-24:9 23:27 발락이 발람에게 또 이르되 오라 내가 너를 다른 곳으로 인도하리니 네가 거기서 나를 위하여 그들을 저주하기를 하나님이 혹시 기뻐하시리라 하고 23:28 발락이 발람을 인도하여 광야가 내려다 보이는 브올 산 꼭대기에 이르니 23:29 발람이 발락에게 이르되 나를 위하여 여기 일곱 제단을 쌓고 거기 수송아지 일곱 마리와 숫양 일곱 마리를 준비하소서 23:30 발락이 발람의…

民数記 黙想【変わることない視点】20250516(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

民数記 23:13-26 23:13 バラクは彼に言った。「では、私と一緒に彼らを見ることができる別の場所へ行ってください。その一部を見るだけで、全体を見ることはできませんが。そこから私のために彼らに呪いをかけてください。」 23:14 バラクはバラムを、セデ・ツォフィムのピスガの頂に連れて行き、そこで七つの祭壇を築き、どの祭壇にも雄牛一頭と雄羊一匹を献げた。 23:15 バラムはバラクに言った。「あなたはここで、自分の全焼のささげ物のそばに立っていてください。私はあちらで主にお会いします。」 23:16 主はバラムに会い、その口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰って、こう告げなければならない。」 23:17 それで、彼はバラクのところに帰った。すると、彼はモアブの長たちと一緒に、自分の全焼のささげ物のそばに立っていた。バラクは言った。「主は何をお告げになりましたか。」 23:18 バラムは彼の詩のことばを口にして言った。「立て、バラクよ。そして聞け。私に耳を傾けよ。ツィポルの子よ。 23:19 神は人ではないから、偽りを言うことがない。人の子ではないから、悔いることがない。神が仰せられたら、実行されないだろうか。語られたら、成し遂げられないだろうか。 23:20 見よ、私は、祝福せよとの命を受けた。神が祝福されたのだ。私はそれをくつがえすことはできない。 23:21 ヤコブの中に不法は見出されず、イスラエルの中に邪悪さは見られない。彼らの神、主は彼らとともにおられ、王をたたえる声が彼らの中にある。 23:22 彼らをエジプトから導き出された神は、彼らにとって野牛の角のようだ。 23:23 まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神が何をなさるかは、時に応じてヤコブに、すなわちイスラエルに告げられる。 23:24 見よ、一つの民を。それは雌獅子のように起き上がり、雄獅子のように身を持ち上げ、休むことはない。獲物を食らい、殺されたものの血を飲むまでは。」 23:25 バラクはバラムに言った。「彼らに呪いをかけることも祝福することも、決してしないでください。」 23:26 バラムはバラクに答えた。「私は、主が告げられることはみな、しなければならない、とあなたに言ったではありませんか。」  バラムを通じてイスラエルを呪おうとした計略に失敗したバラクは、今度はバラムを連れて別の場所に移動します。今度は以前イスラエルの民を見た場所とは異なる視点から、彼らの終わりだけが見える場所で予言をさせるのです。そうすれば、イスラエルに対する神様の祝福の内容が呪いに変わるのではないかと期待していたのです。  しかし、バラクのこの計略も見事に失敗します。神様はその場所でもバラムを通じてイスラエルの民を祝福させます。  バラクとバラムがイスラエルを見ている視点は変わりました。しかし、神様がイスラエルを見ている視点は変わることがありませんでした。ですが、以前の祝福とは異なる点があるとすれば、むしろそれがさらに明確な根拠を得たことです。それは、神様はすでに言われたことを覆すことがないということです。  私たちは、見る視点によって対象がどう見えるかが簡単に変わることがあります。それは、物体を見ても、人を見ても同じことです。私たちがどの角度から対象を見るかによって、その形も評価もはっきりと変わります。  罪の本性を持つ人間にとって、他の人を愛の視点で見ることは非常に難しいことです。むしろ、他の人の欠点を見てしまうことが私たちの現実です。  しかし、神様はいつでも私たちを愛の視点で見てくださっています。その視点は決して変わりません。なぜなら、神様がそう言われたからです。神様は言われたことを必ず成し遂げられます。  神様が私たちに与えてくださった救いの約束は、人間の約束とは異なります。約束の隙間を突こうとする人々とは違って、神様はその約束を信実に守られます。神様は私たちに与えられた約束を最後まで守り抜かれる方です。そして、その約束によって私たちは永遠の命に至るのです。 https://youtu.be/RCudJn-zWJs?si=YOgkqLJ7snjwcvt6

민수기 묵상【변하지 않는 시점】20250516(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

민수기 23:13-26 23:13 발락이 말하되 나와 함께 그들을 달리 볼 곳으로 가자 거기서는 그들을 다 보지 못하고 그들의 끝만 보리니 거기서 나를 위하여 그들을 저주하라 하고 23:14 소빔 들로 인도하여 비스가 꼭대기에 이르러 일곱 제단을 쌓고 각 제단에 수송아지와 숫양을 드리니 23:15 발람이 발락에게 이르되 내가 저기서 여호와를 만나뵐 동안에 여기 당신의 번제물 곁에 서소서…

民数記 黙想 【ろばが語るように】 20250515(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 22:41-23:12 22:41 朝になると、バラクはバラムを連れ出し、彼をバモテ・バアルに上らせた。バラムはそこからイスラエルの民の一部を見た。 23:1 バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七匹の雄羊をここに用意してください。」 23:2 バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムは、祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一匹を献げた。 23:3 バラムはバラクに言った。「あなたは、あなたの全焼のささげ物のそばに立っていてください。私は行って来ます。おそらく、主は私に会ってくださるでしょう。主が私にお示しになることを、あなたに知らせましょう。」そして彼は裸の丘に行った。 23:4 神がバラムに会われたので、バラムは神に言った。「私は七つの祭壇を整え、それぞれの祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一匹を献げました。」 23:5 主はバラムの口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰って、こう告げなければならない。」 23:6 彼がバラクのところに帰ると、見よ、バラクはモアブのすべての長たちと一緒に、自分の全焼のささげ物のそばに立っていた。 23:7 バラムは彼の詩のことばを口にして言った。「バラクは、アラムから、モアブの王は、東の山々から私を連れて来た。『来て、私のためにヤコブをのろえ。来て、イスラエルを責めよ』と。 23:8 私はどうして呪いをかけられるだろうか。神が呪いをかけない者に。私はどうして責めることができるだろうか。主が責めない者を。 23:9 岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。見よ、この民はひとり離れて住み、自分を国々と同じだと見なさない。 23:10 だれがヤコブのちりを数え、イスラエルの四分の一さえ数えられるだろうか。私が心の直ぐな人たちの死を遂げますように。私の最期が彼らと同じようになりますように。」 23:11 バラクはバラムに言った。「あなたは私に何ということをしたのですか。私の敵に呪いをかけてもらうためにあなたを連れて来たのに、今、あなたはただ祝福しただけです。」 23:12 バラムは答えた。「主が私の口に置かれること、それを忠実に語ってはいけないのですか。」   次の日の朝、バラクはバラムを連れて、イスラエルの宿営が見下ろせる高台、バアルの高き所に上ります。バラムはバラクに命じて、七つの祭壇を築き、それぞれに雄牛と雄羊を全焼のささげ物としてささげさせます。いけにえが終わった後、神様はバラムに語られます。バラムはその言葉をそのまま伝えることを誓い、戻ってきてイスラエルを呪うのではなく、かえって祝福します。バラクは怒りますが、バラムは「私は主が与えられた言葉以外には何も語れません」と断固として答えます。神様が呪われなかった者を、人間が呪うことはできず、神様が祝福された者を、止めることもできないのです。 この本文だけを読むと、バラムはかなり毅然とした預言者に見えます。バラクの圧力にも屈せず、神様の言葉をそのまま伝えます。言葉も態度も誠実で、揺らぎがありません。しかし民数記全体を通して見ると、バラムはこの時もなお邪な心を抱いていた人物でした。以前にも、神様の御心を明確に聞いたにもかかわらず、「もう一度神様に尋ねてみる」と言ったことを思い出しましょう。人は一つの出来事では判断できません。本当の誠実さは、繰り返しと一貫性の中で現れるものです。 5節には「主がバラムの口に言葉を授けられた」とあります。これは神様が彼の口そのものを直接取り扱われたことを意味します。神様はバラムの心や意志に任せず、彼の口を通して語られたのです。つまり、バラムがイスラエルを祝福したのは、神様がバラムの唇を通して力強く宣言された言葉だったのです。これは、神様がろばの口を開いて語らせたことの延長線上にあります。ろばの口をも用いられる神様が、不義のバラムの口をも用いて、イスラエルを祝福されたのです。 ヨハネの福音書11章では、神様はイエス様を殺そうとする大祭司カヤパの、「一人が民のために死ぬことが、国全体が滅びるよりも良い」という悪意ある陰謀の言葉さえも、福音の宣言として用いられました。神様は欺かれることも、損をすることもありません。 神様の御心は、人間の意図や状態を超えて、必ず成し遂げられます。人間は神様の意志に逆らうことはできません。神様の御心を知る人間にできることは、ただ自らの意志を点検し、従順に従うことだけです。今日一日、私たち人間に与えられた関心事は、「どのような心を抱き、どのような言葉を語るべきか」ということなのです。

민수기 묵상 【나귀가 말을 하듯】 202505014(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사 

민수기 22:41-23:12 22:41 아침에 발락이 발람과 함께 하고 그를 인도하여 바알의 산당에 오르매 발람이 거기서 이스라엘 백성의 진 끝까지 보니라 23:01 발람이 발락에게 이르되 나를 위하여 여기 일곱 단을 쌓고 거기 수송아지 일곱과 수양 일곱을 준비하소서 하매 민23:02 발락이 발람의 말대로 준비한 후에 발락과 발람이 매 단에 수송아지 하나와 수양 하나를 드리니라 민23:03 발람이 발락에게…

民数記 黙想 【欲張りが出会った神】 20250514(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 22:31~40 22:31 そのとき、主はバラムの目の覆いを除かれた。すると彼は、主の使いが道に立ちはだかり、抜き身の剣を手に持っているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。 22:32 主の使いは彼に言った。「何のために、あなたは自分のろばを三度も打ったのか。わたしが敵対者として出て来ていたのだ。あなたがわたしの道を踏み外していたからだ。 22:33 ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を避けた。もし、ろばがわたしから身を避けていなかったなら、わたしは今すでに、あなたを殺して、ろばを生かしていたことだろう。」 22:34 バラムは主の使いに言った。「私は罪を犯していました。あなたが私をとどめようと道に立ちはだかっておられたのを、私は知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」 22:35 主の使いはバラムに言った。「その人たちと一緒に行け。しかし、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ。」そこでバラムはバラクの長たちと一緒に行った。 22:36 バラクはバラムが来たことを聞いて、彼を迎えに、国境の端にあるアルノンの国境のイル・モアブまで出て来た。 22:37 バラクはバラムに言った。「私はあなたを迎えようと、人を遣わさなかったでしょうか。なぜ、私のところに来てくださらなかったのですか。私には、あなたをおもてなしすることが、本当にできないのでしょうか。」 22:38 バラムはバラクに言った。「ご覧なさい。私は今あなたのところに来ているではありませんか。私に何が言えるでしょう。神が私の口に置かれることば、それを私は告げなければなりません。」 22:39 バラムはバラクと一緒に行き、キルヤテ・フツォテに着いた。 22:40 バラクは牛と羊をいけにえとして献げ、それをバラムおよび彼とともにいた長たちにも贈った。   昨日の本文の設定が誤っていたようです。昨日の箇所は、バラムがモアブの王バラクからの最初の呪いの依頼を断る場面(14節まで)でした。バラムは神様の声をはっきりと聞いており、「イスラエルを呪ってはならない」という御心は明確でした。しかし、今日の本文では、より良い条件が提示されると、バラムは神様の御心をもう一度伺うと言い、心変わりの予兆を見せます。結局、彼はイスラエルを呪うために出発します。バラムは神様の言葉を自己流に解釈し、「行ってもよい」という許可にすり替えたのでしょう。御言葉を聞いてもそれを守ろうとしない人は、ついには自分に都合よく解釈してしまうのです。 道に出たバラムの前に、剣を持った主の御使いが立ちふさがりますが、彼には何も見えません。その一方で、彼が乗っていたろばは三度も御使いを見て反応します。最初は畑にそれ、二度目は石垣に足をこすりつけ、三度目は逃げ場がなくなってその場に伏してしまいます。霊的な感覚が完全に閉ざされたバラムは、この状況の意味を悟らず、怒りに駆られてろばを三度も打ちます。神様の預言者が神様の使いを見ず、口のきけない獣が神様を見たのです。 そのとき神様はろばの口を開いて語らせました。「あなたはなぜ、三度も私を打ったのですか?」バラムは怒って、「もし剣を持っていたなら、あなたを殺していただろう」と答えます。するとろばは静かに、しかしはっきりと問い返します。「私はあなたがずっと乗ってきたろばではありませんか?私がこんなことをしたことがありますか?」それは、今あなたが知らないことが起きているという事実を知らせようとする、ろばの親切な言葉でした。 つい先ほどまで神様の声を聞いていたバラムは、今や口のきけない獣から教訓を受ける者となりました。「見利忘義(利益を見て義を忘れる)」、欲にとらわれた瞬間、人は正義を忘れます。人間の欲望が神様の言葉を利用し、それを都合よく書き換え、正当化し始めるとき、神様の声は聞こえず、姿も見えなくなります。欲は人をそれほどまでに愚かにするのです。御言葉に親しんでいなかった者が、欲のために聖書の一節を引っ張って繰り返すとき、それはもはや神様の言葉ではありません。 「鹿を指して馬と言う(指鹿為馬)」、鹿を指して馬だと言ったところで、鹿が馬になるわけではありません。真理をねじ曲げ、利益のために偽りを真実と呼ぶのは、愚かさの極みです。日本語で最もきつい侮辱とされる「バカ(馬鹿)」という言葉は、「馬と鹿」の漢字で書かれています。これは「指鹿為馬」から来た言葉です。自分の利益のために神様を手のひらで覆おうとする者こそが、ろばに学ぶべき真の愚か者なのです。

민수기 묵상 【욕심쟁이가 만난 하나님】 202505014(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 22:31~40 22:31 때에 여호와께서 발람의 눈을 밝히시매 여호와의 사자가 손에 칼을 빼어 들고 길에 선 것을 보고 머리를 숙이고 엎드리니 22:32 여호와의 사자가 그에게 이르되 너는 어찌하여 네 나귀를 이같이 세 번 때렸느냐 보라 네 길이 내 앞에 패역하므로 내가 너를 막으려고 나왔더니 22:33 나귀가 나를 보고 이같이 세 번을 돌이켜 내 앞에서 피하였느니라…