사도행전 묵상21 【속되다 하지 말라】 20230713 (목) 사도행전 10장 1~16

사도행전 10장 1~1610:1 가이사랴에 고넬료라 하는 사람이 있으니 이달리야대라 하는 군대의 백부장이라10:2 그가 경건하여 온 집으로 더불어 하나님을 경외하며 백성을 많이 구제하고 하나님께 항상 기도하더니10:3 하루는 제 구시쯤 되어 환상 중에 밝히 보매 하나님의 사자가 들어와 가로되 고넬료야 하니10:4 고넬료가 주목하여 보고 두려워 가로되 주여 무슨 일이니이까 천사가 가로되 네 기도와 구제가 하나님 앞에 상달하여…

使徒の働き 黙想20 【アイネアとタビタ】 20230712 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 9章 32~43

使徒の働き 9:32~439:32 さて、ペテロがあらゆるところを巡回していたときのことであった。彼は、リダに住む聖徒たちのところにも下って行った。9:33 そこで彼は、アイネアという名で、八年間床についている人に出会った。彼は中風であった。9:34 ペテロは彼に言った。「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださいます。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると、彼はただちに立ち上がった。9:35 リダとシャロンに住む人々はみなアイネアを見て、主に立ち返った。9:36 またヤッファに、その名をタビタ、ギリシア語に訳せばドルカスという女の弟子がいた。彼女は多くの良いわざと施しをしていた。9:37 ところが、そのころ彼女は病気になって死んだ。人々は遺体を洗って、屋上の部屋に安置した。9:38 リダはヤッファに近かったので、ペテロがそこにいると聞いた弟子たちは、人を二人、彼のところに遣わして、「私たちのところまで、すぐ来てください」と頼んだ。9:39 そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところに来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。9:40 ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈った。そして、遺体の方を向いて、「タビタ、起きなさい」と言った。すると彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がった。9:41 そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちを呼んで、生きている彼女を見せた。9:42 このことがヤッファ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。9:43 ペテロはかなりの期間、ヤッファで、シモンという皮なめし職人のところに滞在した。   ペトロが中風病者のアイネアを起こし、すでに死んだタビタを救う話です。この場面で私たちはイエス様が38年間の中風病者を治したことを思い出し、すでに死んだ少女を生き返らせたタリタ、クムの事件も思い出します。イエス様が行っていた奇跡がペトロの時代にも再現され、イエス様のタリタ、クムはペトロのダビダ、クムになりました。   使徒時代の奇跡が今も起きるのか、今は止まったのかという神学的立場の違いから、いわゆる賜物中止論と賜物持続論の議論があります。ほとんど自分が属している教派の立場に従います。(自己信仰に無責任にも…)いわゆる福音主義または改革主義というところは賜物中止論です。奇跡や体験を求めず、御言葉を大切にする方で、一方は聖霊派、賜物派というペンテコステ系統は賜物持続主義を主張します。異言や癒し体験などを大切にしています。   私は両方とも信じていません。それは信じる問題ではなく、一生を通して経験しながら確認しなければならない問題だからです。あるのにないとは言えないし、ないのにあると言い張ることはできません。または、意味が隠れていたり、形が変わったのかもしれません。どのような教団と教派に属したからといって決まる問題ではありません。賜物中止論を支持する人も病気になったら癒しを祈りますし、賜物持続論を支持する人も病と死から逃れることはできません。   神様は今も病人を治して死んだ人を生き返らせることができる方だと信じています。しかし、神様を信じることが癒しや長生き、神秘的体験のためのものではありません。ひたすら自分のために神様の奇跡と経験を利用しようとするのことは気の毒で、神様を制限して否定するのも愚かです。私は神様の超自然的な臨在と働きを信じ、祈ります。しかし、いかなる現象や体験がなくても、それが信仰に影響しません。   治された人もいつかまた病気になり、生き返った人もまた死にます。だからこの癒しの奇跡は信じようともしない頑固な人々を注目させるためのものです。 使徒の働きにおける癒しは、魂の救いのための宣教のシグナルです。福音を信じて魂が救われる目的に向かう過程で起こることです。奇跡ではなく、行われている宣教に目を止めるべきです。

사도행전 묵상20 【애니아와 다비다】 20230712 (수) 사도행전 9장 32~43

사도행전 9장 32~439:32 때에 베드로가 사방으로 두루 행하다가 룻다에 사는 성도들에게도 내려갔더니9:33 거기서 애니아라 하는 사람을 만나매 그가 중풍병으로 상 위에 누운지 팔년이라9:34 베드로가 가로되 애니아야 예수 그리스도께서 너를 낫게 하시니 일어나 네 자리를 정돈하라 한대 곧 일어나니9:35 룻다와 사론에 사는 사람들이 다 그를 보고 주께로 돌아가니라9:36 욥바에 다비다라 하는 여제자가 있으니 그 이름을 번역하면…

使徒の働き 黙想19 【バルナバのミッション】 20230711 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 9章 23~31

使徒の働き 9:23~319:23 かなりの日数がたち、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、9:24 彼らの陰謀はサウロの知るところとなった。彼らはサウロを殺そうと、昼も夜も町の門を見張っていた。9:25 そこで、彼の弟子たちは夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁伝いにつり降ろした。9:26 エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。9:27 しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。9:28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。9:29 また、ギリシア語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていたが、彼らはサウロを殺そうと狙っていた。9:30 それを知った兄弟たちは、彼をカイサリアに連れて下り、タルソへ送り出した。9:31 こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。   パウロがキリスト教を知らなかったように、キリスト教もパウロのことを知りませんでした。誰もが新しいものを受け入れることには時間がかかるからです。ところが、中には開放的で柔軟で、状況判断が早く、態勢転換がよくできる人もいます。ダマスコのアナニア、エルサレムのバルナバがそのような人でした。皆が恐れ、疑っていた時に、アナニアはパウロをピックアップし、バルナバがパウロを見つけ、使徒たちと教会にパウロを推薦して弁護しました。   バルナバは人を見る目と人を重用することに力がある人だと思います。アンテオケでパウロと一緒に共同牧会をし、1次伝道旅行をする時に、パウロに主導権を与えました。2次伝道旅行ではマルコを一行に推薦する問題でパウロと葛藤を起こしましたが、後日、パウロは自分が間違っていることを認め、マルコを受け入れます。   人事検証能力や管理能力は、パウロよりバルナバの方が優れていたかもしれません。バルナバの器には多くの人が入れます。可能性を見つけ、待ちながら、働き人として立てていくことができます。教会が争っている時代に、自分より他人を優れた者と思い、相手の賜物を見つけ、フォローするバルナバのリーダーシップは美しいです。神の国では、誰かの働き人は、必ず誰かの手によって導かれ、立てられます。教会にバルナバが多くいれば、パウロのような人材が多くなります。

사도행전 묵상19 【바나바의 미션】 20230711 (화) 사도행전 9장 23~31

사도행전 9장 23~319:23 여러 날이 지나매 유대인들이 사울 죽이기를 공모하더니9:24 그 계교가 사울에게 알려지니라 저희가 그를 죽이려고 밤낮으로 성문까지 지키거늘9:25 그의 제자들이 밤에 광주리에 사울을 담아 성에서 달아 내리니라9:26 사울이 예루살렘에 가서 제자들을 사귀고자 하나 다 두려워하여 그의 제자 됨을 믿지 아니하니9:27 바나바가 데리고 사도들에게 가서 그가 길에서 어떻게 주를 본 것과 주께서 그에게 말씀하신…

使徒の働き 黙想18 【アナニアとパウロのミッション】 20230710 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 9章 10~22

使徒の働き 9:10~229:10 さて、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主が幻の中で「アナニアよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。9:11 すると、主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』と呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロという名のタルソ人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。9:12 彼は幻の中で、アナニアという名の人が入って来て、自分の上に手を置き、再び見えるようにしてくれるのを見たのです。」9:13 しかし、アナニアは答えた。「主よ。私は多くの人たちから、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。9:14 彼はここでも、あなたの名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから与えられています。」9:15 しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。9:16 彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」9:17 そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」9:18 するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、9:19 食事をして元気になった。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいて、9:20 ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。9:21 これを聞いた人々はみな驚いて言った。「この人はエルサレムで、この名を呼ぶ人たちを滅ぼした者ではないか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではなかったか。」9:22 しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。   パウロは見ることができず、飲食も切っていました。しかし、キリスト者にとってパウロという迫害者は依然として恐ろしい存在です。まだパウロの回心の真偽が分からない状態でパウロを訪ねるのは危険を伴う冒険です。ところが、ダマスコにいたアナニアという教会の指導者がパウロを訪ねて回復させ、洗礼を授けます。それはアナニアが神様から受けたミッションでした。 いつも聞き従うためには勇気というものが必要です。   今日の本文にはアナニアのミッションが出ていますが、パウロのミッションも一緒に出ています。二人のミッションは恐いものです。「しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。9:15,16」 アナニアがミッションに従うためには恐ろしいパウロのところに行かなければならず、パウロがミッションに従うためにはヘブライ世界とローマ世界で荒々しい攻撃を受けなければなりませんでした。   パウロは多くの教会を建てました。しかし、パウロが建てた教会は今すべてなくなっています。時代の教会は時代とともに消え去ります。だからといって虚しいわけではありません。パウロが残したものとアナニアが残したものは同じものであって福音を持った使命者です。アナニアはダマスコのディアスポラ教会の指導者の働きで、パウロは地中海世界の開拓宣教師として歩みましたが、彼らのミッションは同で、福音の使命を持った人を立てることでした。建物と組織は時間が経つことにつれ崩れ、消えていきます。教会を建てるということは人を立てることです。その人が次の時代の使命を負って行きます。使命ある人は次の使命者に会います。

사도행전 묵상18 【아나니아와 바울의 미션】 20230710 (월) 사도행전 9장 10~22

사도행전 9장 10~229:10 그 때에 다메섹에 아나니아라 하는 제자가 있더니 주께서 환상 중에 불러 가라사대 아나니아야 하시거늘 대답하되 주여 내가 여기 있나이다 하니9:11 주께서 가라사대 일어나 직가라 하는 거리로 가서 유다 집에서 다소 사람 사울이라 하는 자를 찾으라 저가 기도하는 중이다9:12 저가 아나니아라 하는 사람이 들어와서 자기에게 안수하여 다시 보게 하는 것을 보았느니라 하시거늘9:13 아나니아가…

使徒の働き 黙想17 【危機と従順】 20230706 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 8章 2~13

使徒の働き 1~168:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。8:3 サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。8:4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。8:5 ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。8:6 群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。8:7 汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。8:8 その町には、大きな喜びがあった。8:9 ところで、以前からその町にはシモンという名の人がいた。彼は魔術を行ってサマリアの人々を驚かせ、自分は偉大な者だと話していた。8:10 小さい者から大きい者まで、すべての人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、『大能』と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。8:11 人々が彼に関心を抱いていたのは、長い間その魔術に驚かされていたからであった。8:12 しかし人々は、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えたことを信じて、男も女もバプテスマを受けた。8:13 シモン自身も信じてバプテスマを受けると、いつもピリポにつき従って、しるしと大いなる奇跡が行われるのを見ては驚いていた。   スデパノの殉教後、サウロは残党を討伐するということでさらに教会共同体を迫害していきます。これによって確かに危機感が高まっていることですが、神様はこれによって破局に追い込ませるためではなく、かえて機会を開いていくためであります。スデパノの殉教の血の上に、散らばる人々を通して宣教が地境が広がるようになります。密度が高いところから広い地域に散らばると、宣教の布石が置かれることになります。   人間の観点というのは制限的であり、見える状況の裏に隠れている意味まで把握できない場合が多くあります。特に危機的状況の中では恐れと不安という感情が状況に閉じ込みます。しかし、人間にとって危機の状況でも、神様にとっては新しい計画をです。それを信じなければなりません。   人がすべての状況に対して神様の観点から理解することはできません。私たちには完全なる認識がないからです。しかし、聞き従うことはできます。だから、従順ということが偉大なる知恵です。スデパノがなくなり、人々は散らばりましたが、初代教会の聖徒たちは福音を伝えることにもっぱら従順していきます。ピリポは、大切な仲間のスデパノを失い、自分も危険が攻められていますが、宣教活動は止まりません。状況に縛られず、従いたいと願います。

사도행전 묵상17 【위기와 순종】 20230706 (목) 사도행전 8장 2~13

사도행전 8장 2~138:2 경건한 사람들이 스데반을 장사하고 위하여 크게 울더라8:3 사울이 교회를 잔멸할새 각집에 들어가 남녀를 끌어다가 옥에 넘기니라8:4 그 흩어진 사람들이 두루 다니며 복음의 말씀을 전할새8:5 빌립이 사마리아 성에 내려가 그리스도를 백성에게 전파하니8:6 무리가 빌립의 말도 듣고 행하는 표적도 보고 일심으로 그의 말하는 것을 좇더라8:7 많은 사람에게 붙었던 더러운 귀신들이 크게 소리를 지르며 나가고…

使徒の働き 黙想16 【最も恐ろしい敵】 20230705 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 7章 51~8章 1

使徒の働き 7章 51~8章 17:51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。7:53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。   いわゆる神本主義を主張する人に、その反対概念で人本主義を排撃しますが、聖書の人物を偉人伝の教訓と仰ぐことこそ人本主義の産物です。もちろん聖書の中に偉大な人もおり、教訓的なメッセージがありますが、それが主題ではありません。聖書の中から人を発見する時は、恥ずかしく、神様を発見する時は少しでも信仰が芽生えてきます。そして、それは同じものです。神様を知れば知るほど自分が見え、自分を知れば知るほど神様を求めざるえないです。   ユダヤ人は、旧約聖書の預言者たちが自分たちの血筋と信仰の祖先だと考えていました。しかし、実際には彼らの祖先は預言者たちを拒絶し、迫害し、殺した人々です。時間が経つと迫害した人が迫害された人の栄光に乗り込みます。そしてその伝統と自負心が信仰であるかのように思い込みます。その伝統というものにどのような意味があるのかを絶えず質問しなければ、ついに神様ではないものに仕えてしまいます。スデパノは、神様を信じると言いながら、矛盾している彼らの卑劣を批判します。   信仰の敵は何でしょうか。ユダヤ人は信仰の敵がスデパノであると考え、スデパノを殺しました。しかし、敵は外にいるのではありません。不信仰にあることでもありません。 最も恐ろしい敵は、私の中にある根拠のない伝統と自負心です。そのような人は聖書から神を見つけることができず、人を見つけようとします。彼らは自分に悲惨さを見つけられず、誇りを言い出します。パウロとユダヤ人は宗教的な誇りという偶像を仕え、スデパノを殺しました。歪んだ信仰というのはいかに恐ろしいことでしょうか。神様の前で素直になることで信仰は生きていることができます。