갈라디아서 묵상 【무엇으로 말미암는가】 20241018(금) 최종석 전도사

갈라디아서 1:1-10 1:1 사람들에게서 난 것도 아니요 사람으로 말미암은 것도 아니요 오직 예수 그리스도와 그를 죽은 자 가운데서 살리신 하나님 아버지로 말미암아 사도 된 바울은 1:2 함께 있는 모든 형제와 더불어 갈라디아 여러 교회들에게 1:3 우리 하나님 아버지와 주 예수 그리스도로부터 은혜와 평강이 있기를 원하노라 1:4 그리스도께서 하나님 곧 우리 아버지의 뜻을 따라 이 악한…

ホセア黙想 【最後通告】 202410017(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ホセア 14:1~914:1 イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたは自分の不義につまずいたのだ。14:2 あなたがたはことばを用意し、主に立ち返れ。主に言え。「すべての不義を赦し、良きものを受け入れてください。私たちは唇の果実をささげます。14:3 アッシリアは私たちを救えません。私たちはもう馬に乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』と言いません。みなしごがあわれまれるのは、あなたによってです。」14:4 「わたしは彼らの背信を癒やし、喜びをもって彼らを愛する。わたしの怒りが彼らから離れ去ったからだ。14:5 わたしはイスラエルにとって露のようになる。彼はゆりのように花咲き、レバノン杉のように根を張る。14:6 その若枝は伸び、その輝きはオリーブの木のように、その香りはレバノン杉のようになる。14:7 その陰に住むものたちは、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふく。その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。14:8 エフライムよ。わたしと偶像との間に、どういう関わりがあるか。わたしが応え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。わたしから、あなたは実を得るのだ。」14:9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟れ。悟りのある者はだれか。その人はそれらのことをよく知れ。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、背く者はこれにつまずく。 ホセアは14章で終わります。神様はイスラエルに約束されます。イスラエルの上に露のように降り注ぎ、彼らがユリのように花を咲かせ、レバノンの杉のように根を張らせ、美しいオリーブの木のように、葡萄の香りのように、青々と茂る松の木のように豊かな実を結ぶと言われます。この平和で香り豊かな祝福の約束には前提があります。それは、イスラエルが御言葉を持って主なる神様のもとに立ち返り、牛を捧げる儀式よりも誠実な悔い改めの祈りで神様に向かうことです。力あるものに頼らず、神様に信頼し、偶像を作りそれに執着するのではなく、神様の前で謙虚に慈しみを求める必要があります。最後の9節は、それを知り、理解し、行動する者に祝福が与えられるという、まさに最後の通告で締めくくられています。 ホセア書14章は、北イスラエルが信じていたアッシリアに滅ぼされる数年前に与えられた最後の悔い改めへの呼びかけです。「最後通告」とは、最後に送られる警告です。それを読んで行わなければ、もはや機会はありません。しかし、イスラエルの民は結局、偶像崇拝と不従順の道から戻ることはありませんでした。彼らには熱意がありましたが、それは神様の方向とは逆方向への熱心さでした。彼らは宗教的な形式に従っていましたが、神様を愛してはいませんでした。本当に人格があれば問いかけたでしょうし、問題を理解していれば抵抗したはずです。彼らは意識的に不従順を選んだわけではありません。「信じない」と言ったのではなく、「信じる」と言いながらも、どう信じるべきかを知らなかったのです。間違った方向に進みながら、無意味な熱意と自負心だけで生き、滅びたのです。 2節で神様は、あなたがたはことばを用意し、主に立ち返れ」と語られます。しかし、彼らには言葉がありませんでした。御言葉を聞くことができませんでした。そのため、彼らは滅びました。アッシリアを信じた結果、アッシリアに滅ぼされ、自分自身の信仰を信じた結果、その信仰によって滅んだのです。私たちが従うべきは、時代の宗教ではなく、神様の御言葉です。幸いな人、救われた民は滅びる者たちの道に立ちません。足のともしび、道の光になるのは、ただ神様の御言葉だけです。敵を作って戦うのは政治のすることです。キリスト教の最大の敵は、キリスト教自身です。敵を作り出す者こそが敵なのです。敵は広場にはいません。敵は自分の部屋の奥、心の中で見つかるでしょう。誰かのせいで滅びるのではなく、自分自身の問題で滅びることに気づかなければなりません。ホセアの時代と今の時代は、見かけこそ違えど、本質は変わりません。そして、与えられた機会はそれほど長くはありません。

호세아 묵상 【최후의 통첩】 2024117(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

호세아 14:1~914:1 이스라엘아 네 하나님 여호와께로 돌아오라 네가 불의함을 인하여 엎드러졌느니라14:2 너는 말씀을 가지고 여호와께로 돌아와서 아뢰기를 모든 불의를 제하시고 선한바를 받으소서 우리가 입술로 수송아지를 대신하여 주께 드리리이다14:3 우리가 앗수르의 구원을 의지하지 아니하며 말을 타지 아니하며 다시는 우리의 손으로 지은 것을 향하여 너희는 우리 신이라 하지 아니하오리니 이는 고아가 주께로 말미암아 긍휼을 얻음이니이다 할찌니라14:4 내가…

ホセア黙想 【待ち続ける神様】 202410016(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ホセア 13:1~1613:1 「エフライムは震えながら語ったとき、イスラエルの中であがめられた。しかし、バアルのことで咎ある者となって死んだ。13:2 今、彼らは罪を重ね、自分のために銀で鋳物の像を造り、自分の考えで偶像を造った。これはみな、職人のわざ。彼らはこれについて言う。『人を献げる者たちは、子牛に口づけせよ』と。13:3 それゆえ、彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露のようになる。打ち場から吹き散らされる籾殻のように、また、穴から出る煙のようになる。13:4 しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、主である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はいない。13:5 このわたしは荒野で、干ばつの地であなたを知っていた。13:6 しかし牧草で満腹したとき、彼らは満ち足り、心は高ぶり、そうしてわたしを忘れた。13:7 わたしは彼らに対して獅子のようになり、豹のように道端で待ち伏せる。13:8 子を奪われた雌熊のように彼らに襲いかかり、彼らの胸をかき裂いて、その場で雌獅子のように食らう。野の獣は彼らを引き裂く。13:9 イスラエルよ、あなたは滅ぼされる。あなたの助け手である、わたしに背いたからだ。13:10 では、あなたの王はどこにいるのか。すべての町のうちで、あなたを救う者は。あなたをさばく者たちはどこにいるのか。かつてあなたが『私に王と高官たちを与えよ』と言った者たちは。13:11 わたしは、怒ってあなたに王を与え、また憤ってこれを奪い取る。13:12 エフライムの不義は束ねられ、その罪は蓄えられている。13:13 子を産む女の激しい痛みが彼のところに来るが、彼は知恵のない子で、時が来ても、母の胎から出て来ない。13:14 わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。13:15 彼は兄弟たちの中で栄えている。だが、東風が吹いて来て、主の息が荒野から立ち上り、水源は涸れ、泉は干上がる。それはすべての尊い器がある宝物倉を略奪する。13:16 サマリアは咎ある者となる。自分の神に逆らったからだ。彼らは剣に倒れ、幼子たちは八つ裂きにされ、妊婦たちは切り裂かれる。」 神様はイスラエルに対して、まるで懇願するように悔い改めを促し、回復を期待されますが、同時に厳粛に裁きを警告することを繰り返されます。それは、厳かな裁判官が法廷に座っている姿というよりも、まるで被告人に面会する家族のように感じられます。どんな凶悪な犯罪者にも肉親はいるものでしょう。罪を犯した者であっても、家族はその命を救おうと尽力せざるを得ません。非人間的な世の中にも、どこかには無条件の愛というものがあるはずです。神様がイスラエルを愛しておられるからこそそうされるのだと思いながらも、なぜか疑問は消えません。神様は救いも裁きもおこなえる方なのに、どうしてイスラエルを悔い改めさせることはできないのでしょうか?誰も応答しない世の中で、神様はなぜ、孤独に叫び、待ち続けておられるのでしょうか? 悔い改めはイスラエル自身がしなければならないことです。人格的な関係は機械的に成り立つものではありません。悔い改めは強制されてできるものではなく、人格的な選択であり、心の変化です。もし神様が彼らの心を無理やり変えたならば、それはもはや悔い改めではありません。人格的な関係に向けた意思を含まないものは、愛とは言えないのです。神様は待ち続けます。私たちはイスラエルが結局悔い改めることなく滅びることを知っています。イスラエルが滅びたのは、神様の待ちが終わったからではありません。イスラエルが滅びた後もその場に残るのは、神様の「待ち」です。滅びる前も、滅びた後も、神様は待ち続けておられるのです。神様が待っておられるというのは、沈黙であり、忍耐であり、警告であり、ときには怒りの裁きでもあります。滅びとは、怒りの爆発ではなく、待ち続けるためのもう一つの手段です。こうして待ち続け、回復へと導こうとされるのは、愛の中にある信頼のためなのです。

호세아 묵상 【하나님의 기다림】 2024116(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

호세아 13:1~1613:1 에브라임이 말을 발하면 사람이 떨었도다 저가 이스라엘 중에서 자기를 높이더니 바알로 인하여 범죄하므로 망하였거늘13:2 이제도 저희가 더욱 범죄하여 그 은으로 자기를 위하여 우상을 부어 만들되 자기의 공교함을 따라 우상을 만들었으며 그것은 다 장색이 만든 것이어늘 저희가 그것에 대하여 말하기를 제사를 드리는 자는 송아지의 입을 맞출 것이라 하도다13:3 이러므로 저희는 아침 구름 같으며 쉽게…

ホセア黙想 【イスラエルの名にふさわしく】 202410015(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

ホセア 11:12~12:1411:12 わたしは、エフライムの偽りと、イスラエルの家の欺きで囲まれている。しかしユダは、なお神とともに歩み、聖なる方に対して忠実である。」12:1 エフライムは風を飼い、一日中、東風の後を追う。重ねるのは虚偽と暴行。アッシリアと契約を結び、エジプトに油を送る。12:2 主には、ユダに対して言い分がある。主は、生き方に応じてヤコブを罰し、行いに応じて彼に報いる。12:3 ヤコブは母の胎で兄のかかとをつかみ、その力で神と争った。12:4 御使いと格闘して勝ったが、泣いてこれに願った。ベテルでは神に出会い、神はそこで彼に語りかけた。12:5 主は万軍の神。その呼び名は主。12:6 あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。12:7 商人は手に欺きの秤を持ち、虐げることを好む。12:8 エフライムは言った。「確かに私は富んでいる。私には力がある。私のすべての勤労の実があれば、私のうちに、罪となる不義は見つからない。」12:9 「しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、主である。例祭の日のように、再びあなたを天幕に住まわせる。12:10 わたしは預言者たちに語ってきた。わたしが多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示したのだ。」12:11 ギルアデは不法そのもの。いや、彼らはむなしいものとなった。ギルガルで雄牛が献げられたが、その祭壇も、畑の畝の石くれの山になる。12:12 ヤコブはアラムの地に逃げて行き、イスラエルは妻を迎えるために働いた。妻を迎えるために羊の番をした。12:13 主は一人の預言者によって、イスラエルをエジプトから連れ上り、一人の預言者によって、これを守られた。12:14 エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。彼の主は、その血の責任を彼の上に下し、彼のそしりに報いを返される。 神様が今、滅亡を警告し、悔い改めを促しておられる国の名前は「イスラエル」です。イスラエルは彼らの先祖であるヤコブの名前でもあります。創世記32章で、ヤコブが危機に直面したとき、神様と格闘し、勝利を収めたことで与えられた名前が「イスラエル」です。「その人は言った。『お前の名はもうヤコブではなく、イスラエルと呼ばれる。お前が神と人と争って勝ったからだ。』」創世記32:28。神様は北イスラエルにヤコブを思い起こさせます。それにはどんな理由があるのでしょうか?それは、今のイスラエルにとって何よりもヤコブの精神が必要だからです。イスラエルがその名前にふさわしい存在になるためには、あの日のヤコブを取り戻さなければなりません。 ヤコブは人生が絡み合っていた人でした。その絡まった糸を解きほぐしたのがヤボク川のほとりでの格闘です。ヤコブは神様、もしくは神様の御使いとレスリングをし、転んで足を折ったのではなく、関節が外れるほど必死に祈ったのです。自分自身と向き合うためには、全力で取り組まなければ何も始まりません。恵みに満ちた「悔い改めの祈り」などというものはありません。悔い改めは自分との辛い戦いを通して初めて可能となるものであり、それは必ず人生の方向を変えることになります。そのために、「悔い」と「改め」があるのです。悔いは辛く苦しいものであり、それを乗り越えた先に必ず改めがついてきます。自分を直視し、認めなければ悔いは果てしなく、改めは遠いものとなるのです。 ホセアの時代は、紀元前8世紀、ヤロブアム2世の統治期でした。私たちは滅亡の兆しを読み取れますが、彼らは日常の中でそれを感じてはいませんでした。経済は繁栄し、自信に満ち、外交によって安全保障が確保されていると思い込んでいました。しかし、好景気と不景気は循環し、国際社会には永遠の同盟など存在しません。力学的なバランスが取れなければ、すぐに崩壊してしまいます。神様が望んでおられるのは、経済や安全保障に頼るのをやめ、神様を意識し、自分の内面と戦い始めることです。今、最も急を要するのは、イスラエルが自己欺瞞を克服することです。自分と戦うことで悔い改めに至るわけですが、イスラエルは自分自身を欺いているため、戦うことができません。神様はそのことを切なる思いで求めておられるのです。

호세아 묵상 【이스라엘의 이름값】 2024115(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

호세아 11:12~12:1411:12 에브라임은 거짓으로 이스라엘 족속은 궤휼로 나를 에워쌌고 유다는 하나님 곧 신실하시고 거룩하신 자에게 대하여 정함이 없도다12:1 에브라임은 바람을 먹으며 동풍을 따라 가서 날마다 거짓과 포학을 더하며 앗수르와 계약을 맺고 기름을 애굽에 보내도다12:2 여호와께서 유다와 쟁변하시고 야곱의 소행대로 벌주시며 그 소위대로 보응하시리라12:3 야곱은 태에서 그 형의 발뒤꿈치를 잡았고 또 장년에 하나님과 힘을 겨루되12:4 천사와…

ホセア書 黙想 【約束の力】 20241012(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ホセア書 9:10-17 9:10 「わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見出し、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。バアル・ペオルにやって来たとき、彼らは恥ずべきものに身を委ね、自分たちが愛しているものと同じように、彼ら自身も忌まわしいものとなった。 9:11 エフライム。その栄光は鳥のように飛び去り、産むことも、身ごもることも、宿すこともない。 9:12 たとえ彼らが子どもを育てても、わたしは彼らに子を失わせ、人がいなくなるようにする。わたしが彼らを離れるとき、まことに、彼らにわざわいが来る。 9:13 エフライムは、わたしが見たところ、牧場に植えられたツロのようであった。しかし今や、エフライムはその子らを屠り場に連れ出さなければならない。」 9:14 主よ、彼らに与えてください。あなたは何をお与えになりますか。彼らに与えてください。死産の胎を、涸れた乳房を。 9:15 「彼らのすべての悪はギルガルにある。わたしはそこで彼らを憎んだのだ。彼らの悪い行いのゆえに、わたしは彼らをわたしの宮から追い出し、もはや彼らを愛さない。その首長たちはみな頑迷な者だ。 9:16 エフライムは打たれ、その根は枯れて、実も結ばない。たとえ子を産んでも、わたしはその胎の実である、いとし子を殺す。」 9:17 私の神は彼らを退ける。彼らが神に聞き従わなかったからだ。彼らは国々の間で、さすらい人となる。   イスラエル民族の起源となるのは、彼らの先祖アブラハムに神様から与えられた三つの約束です。カナンという地への約束、子孫への約束、そして祝福となることへの約束、  そして、神様はこの約束によって繰り返されるイスラエルの背きにも彼らに対して忍耐し、彼らを許しました。だからこそ、今日の箇所の神様の警告がさらに驚き、恐ろしく感じるのでしょう。  彼らが征服していた地、その栄光は全て奪われ、彼らはもう子供を産めないようになり、祝福の根源の民族であった彼らが拝んできた偶像のように忌まわしいものとなる。これが彼らが神様に対して犯した罪の結果です。  しかし、彼らが受けるようになる罪の結果は、新しく下されるものではありません。それは、元々彼らが受けるべき罪の対価であって、ただ神様の約束によって彼らは守られていたのです。このような恐ろしい出来事は神様の裁きとして新しく下される罰ではなく、本来私たちが受るべきことを受けるようになるだけのことです。  神様の約束が取り消されるということは、これほど恐ろしいことです。しかし幸いなことに、神様はその約束を決して取り消さない、忘れない真実なお方であります。そのため、私たちが覚えなければならないことは、私たちが今受けている全てのことが決して当たり前なことではないということ、神様の約束によって与えられ、守られていることであるという事実です。https://youtu.be/0ta5dCwn3ZE?si=oIIcaEIocjRrW2zO

호세아 묵상 【약속의 능력】 20241012(토) 최종석 전도사

호세아 9:10-17 9:10 옛적에 내가 이스라엘을 만나기를 광야에서 포도를 만남 같이 하였으며 너희 조상들을 보기를 무화과나무에서 처음 맺힌 첫 열매를 봄 같이 하였거늘 그들이 바알브올에 가서 부끄러운 우상에게 몸을 드림으로 저희가 사랑하는 우상 같이 가증하여졌도다 9:11 에브라임의 영광이 새 같이 날아 가리니 해산하는 것이나 아이 배는 것이나 임신하는 것이 없으리라 9:12 혹 그들이 자식을 기를지라도…

ホセア書 黙想 【どこに連れて行かれるか】 20241011(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ホセア書 9:1-9 9:1 イスラエルよ、喜ぶな。諸国の民のように楽しむな。あなたは自分の神に背いて姦淫したからだ。あなたはすべての麦打ち場で姦淫の報酬を愛した。 9:2 打ち場も踏み場も彼らを養わない。新しいぶどう酒も彼らを裏切る。 9:3 彼らは主の地に住むことはない。エフライムはエジプトに帰り、また、アッシリアで汚れた物を食べる。 9:4 彼らは主にぶどう酒を注がず、自分たちのいけにえで主を喜ばせない。彼らのパンは喪中のパンのようで、これを食べる者はみな身を汚す。彼らのパンは自分のためだけ。主の宮に持ち込むことはできない。 9:5 例祭の日、主の祭りの日に、あなたがたは何をするのか。 9:6 見よ。彼らが破壊を逃れても、エジプトが彼らを集め、メンフィスが彼らを葬る。彼らが慕う銀には、いらくさが、彼らの天幕には、あざみがはびこる。 9:7 刑罰の日が来た。報復の日が来た。イスラエルに知らせよ。預言者は愚か者、霊の人は気のふれた者だ。これは、あなたの大きな不義のゆえ、激しい敵意のゆえである。 9:8 エフライムの見張りは、私の神とともにいる。しかし預言者には、すべての道に罠が仕掛けられ、彼の神の家には憎しみがある。 9:9 彼らはギブアの日のように、心底まで堕落した。主は彼らの咎を心に留め、その罪を罰する。  「連れて行かれる」という言葉を見ると、最初に思い浮かぶイメージは否定的なイメージだと思います。自分が望むところに、自分の足で行くのではなく、誰かによって強制的に、自分の意志とは関係ないところに行かれるというのは、個々人の選択と自由を大事にする現時代とは似合わない姿であるためです。  しかし、今でも私たちは皆、どこかに連れて行かれています。その方向は滅びの方向か、命の方向か、ただこの二つの道だけです。この道にすべての人々が例外なくそれぞれ連れて行かれています。  今日の箇所は、イスラエル民が神様の御言葉を忘れ、偶像を拝み、偶像神の祭祀に従う姿を告げています。そして、その道は私たちがよく知っているように、滅びに向かう道でしょう。彼らは偶像崇拝に、自分たちの罪に、いつの間にか滅びの道に連れて行かれているのです。  その道の終着点に待っている滅びは、決して避けられるものではありません。当時の強い国力を持っていたエジプトに身を避けても、高価の銀を持っていても、安らかな天幕にいても、その滅びはついに彼らを見つけ、滅ぼすでしょう。  私たちにも同様に、私たちがこの世の中で滅びの道に連れて行かれるなら、この世の何も、最後に訪れるその滅びから救い出すことはできません。私たちがその滅びの道から抜け出すためには、ただ父なる神様に至る唯一の道であり真理であり命であるイエス様に従い、その命の道に連れて行かれること以外にはありません。  イエス様に連れて行かれるという表現が気まずく聞こえるかもしれませんが、実際、連れて行かれるということは物凄い恵みです。私たちがその命の道から抜け出そうとしても、自分の足で歩んで行けなくなっても、その最後にある命に至るまでイエス様が私たちを導き、連れて行ってくださるということであるからです。https://youtu.be/nrLoywuyTtQ?si=tMvvsK_5vYFhjjVY