호세아 묵상 【어디로 끌려가는가】 20241011(금) 최종석 전도사

호세아 9:1-9 9:1 이스라엘아 너는 이방 사람처럼 기뻐 뛰놀지 말라 네가 음행하여 네 하나님을 떠나고 각 타작 마당에서 음행의 값을 좋아하였느니라 9:2 타작 마당이나 술틀이 그들을 기르지 못할 것이며 새 포도주도 떨어질 것이요 9:3 그들이 여호와의 땅에 거주하지 못하며 에브라임은 애굽으로 다시 가고 앗수르에서 더러운 것을 먹을 것이니라 9:4 그들은 여호와께 포도주를 부어 드리지 못하며…

ホセア黙想 【風を蒔いて、つむじ風を刈り取る】 202410010(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ホセア 8:1~148:1 「あなたの口に角笛を当てよ。鷲のようなものが、主の宮の上にいる。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえに背いたからだ。8:2 彼らはわたしに向かって叫ぶ。『わが神よ、私たちイスラエルは、あなたを知っています』と。8:3 イスラエルは善を退けた。敵は彼らに追い迫る。8:4 彼らは王を立てたが、わたしによってではない。首長を立てたが、わたしは知らない。彼らは自分の銀や金で自分のために偶像を造った。ただ断ち切られるために。8:5 サマリアよ、あなたの子牛は退けられる。わたしは彼らに向かって怒りを燃やす。いつになれば、彼らは罪のない者となれるのか。8:6 それはイスラエルから出たもの。それは職人が造ったもので、神ではない。サマリアの子牛は粉々に砕かれる。8:7 彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ないので、麦粉を作れない。作れたとしても、他国人がこれを食い尽くす。8:8 イスラエルは吞み込まれた。今や、彼らは国々の間にあって、だれにも喜ばれない器のようになった。8:9 彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリアへ上って行った。エフライムは愛を求めて贈り物をした。8:10 彼らが諸国の民に物を贈っても、今、わたしはそれらを集める。彼らは、王や首長への貢ぎによって間もなく汚されることになる。8:11 エフライムは祭壇を増やして罪を犯すようになった。それらは彼にとって罪を犯すための祭壇となった。8:12 わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののように見なす。8:13 わたしへのささげ物のいけにえとして彼らが肉を献げて食べたとしても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。彼らはエジプトに帰る。8:14 イスラエルは自分の造り主を忘れ、神殿をいくつも建てた。ユダは、城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放つ。火はその宮殿を焼き尽くす。」 北方のアッシリア帝国が鷲のように飛びかかり、イスラエルを覆うでしょう。イスラエルが神様の守りを受けられず、鷲にさらわれてしまうのは、イスラエルが神様を見捨てたからです。神様もそのようなイスラエルを見捨て、鷲の爪に渡されるでしょう。神様は、彼らが「信じている」と口にする言葉を信じてはおられません。また、彼らが捧げるという礼拝もお受けになりません。むしろ、それが偽りの信仰や偽りの礼拝だったなら、逆に信じることができたのかもしれません。問題は、彼らの誤解です。自分自身を疑わず、それを信仰だと確信していたために、振り返る機会さえも失ってしまったのです。変化の余地という観点から見るなら、信じているという錯覚の状態よりも、むしろ信じていない状態の方が良いのかもしれません。 北イスラエルは政治的な生存を求めてアッシリアに貢ぎ物を捧げていました。滅びる前からすでにアッシリアに屈服し、アッシリアに仕えていたのです。神様はこれを「イスラエルが自らの身を売った」と表現されました。それにもかかわらず、アッシリアは北イスラエルに侵攻し、サマリアを包囲して、イスラエルは紀元前722年、3年の歳月を経て滅亡しました。それは、イスラエルがエジプトと同盟を結ぼうとする二重外交を行ったからです。神様の霊が離れると、人間は愚かな判断と選択をするものです。イスラエルはアッシリアに対して卑屈になり、媚びへつらったものの、結局裏切られたのです。世を愛し、世に媚びても、結局世に裏切られることになるでしょう。 神様はイスラエルに対して、「風を蒔き、嵐を刈り取ることになる 7」と語られました。イスラエルが追い求め、頼りにしていたものすべてが、風のようなものであったからです。彼らが立てた王や役人は、民を助ける意思も力も持ち合わせていませんでした。自ら作り崇めた金の子牛がイスラエルを救うことができるでしょうか。彼らが信じ、媚びていたアッシリアによって滅ぼされたのですから、これらすべてが風に過ぎません。力や金、人に頼り、自分の知恵に頼ること、それこそが風を蒔くことです。イスラエルは吹く風をつかみ、それを地に蒔きましたが、その風の実は嵐となってイスラエルに襲いかかるでしょう。

호세아 묵상 【바람을 심었으니 광풍을 거둘 것이라】 2024110(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

호세아 8:1~148:1 나팔을 네 입에 댈지어다 대적이 독수리처럼 여호와의 집에 덮치리니 이는 무리가 내 언약을 어기며 내 율법을 범함이로다8:2 저희가 장차 내게 부르짖기를 나의 하나님이여 우리 이스라엘이 주를 아나이다 하리라8:3 이스라엘이 이미 선을 싫어 버렸으니 대적이 저를 따를 것이라8:4 저희가 왕들을 세웠으나 내게서 말미암지 아니하였고 저희가 방백들을 세웠으나 나의 모르는 바며 저희가 또 그 은,…

ホセア黙想 【片面しか焼けていないパン】 20241009(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ホセア 7:1~167:1 「わたしがイスラエルを癒やすとき、エフライムの咎、サマリアの悪はあらわになる。彼らが偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。7:2 しかし、彼らは考えもしない。わたしが彼らのすべての悪を覚えていることを。今、彼らの悪行は彼らを取り囲んで、わたしの面前にある。7:3 彼らは悪事によって王を、偽りによって首長たちを喜ばせる。7:4 彼らはみな姦通する者。パンを焼くときの燃えるかまどのようだ。生地がこねられてから、ふくらむまでは、燃え立つことをやめている。7:5 われわれの王の日に、首長たちは酒の熱で気分が悪くなり、王は嘲る者たちと手を握る。7:6 彼らは心をかまどのようにして、陰謀を企てる。夜通し、パンを焼く者は眠るが、朝になると、かまどは燃え立つ火のように燃えるのだ。7:7 彼らはみな、かまどのように熱くなって、自分をさばく者たちを食い尽くす。自分の王たちもみな倒れる。彼らのうちだれ一人、わたしを呼び求める者はいない。7:8 エフライムは、もろもろの民の中に混じり込む。エフライムは、片面しか焼けていないパンだ。7:9 他国人が彼の力を食い尽くしても、彼はそれに気づかない。白髪が生えても、彼はそれに気づかない。7:10 イスラエルの高慢はその顔に表れている。彼らは、自分たちの神、主に立ち返らず、このすべてがあっても、主を尋ね求めない。7:11 エフライムは愚かな鳩のようで、良識がない。エジプトを呼び求め、アッシリアに飛んで行く。7:12 彼らが赴くとき、わたしは彼らの上に網を張り、空の鳥のように彼らを引き降ろす。彼らの群れの音を聞くとき、わたしは彼らを懲らしめる。7:13 わざわいだ、彼らは。わたしから離れ去ったのだから。彼らは、踏みにじられるがよい。わたしに背いたのだから。わたしが贖い出そうとしているのに、彼らはわたしに向かってまやかしを言う。7:14 心からわたしに向かって叫ばずに、自分たちの床の上で泣きわめいている。穀物と新しいぶどう酒のためには群がって来る。しかし、わたしからは離れて行く。7:15 わたしが訓戒し、彼らの腕を強くしたのに、このわたしに対して悪事を企む。7:16 彼らはいと高き方に立ち返らない。彼らは欺きの弓のようだ。彼らの首長たちは、ののしったために剣に倒れる。これはエジプトの地で、嘲りのもととなる。」 信仰は個人的な感激から始まりますが、それが組織化され構造化されると、制度化された宗教になります。制度化された宗教は人々に信仰の枠組みと帰属感を提供し、共同体を形成して信仰の継承と伝統を築いていきます。また、社会に対して倫理や道徳の基準を提示します。その一方で、制度化された宗教には形式主義や自己欺瞞に陥る危険が高まります。礼拝儀式や規範が強調されますが、神様との人格的で内面的な交わりは弱くなる可能性があります。自分たちの教義や見解を絶対視し、それが排他的な差別や対立を引き起こすこともあります。政治的な利益や権力と結びついたときには、暴力や戦争さえも正当化する自己欺瞞と現実隠蔽の構造となることがあります。その時には、すでにその構造を確信しているため、振り返ることのできない霊的無力に陥っている可能性が高いのです。堕落しているにもかかわらず、堕落しているという自覚がないということです。 ホセア7章は、北イスラエルの罪と形式的な信仰による神様の怒りについて語っていますが、制度化されたイスラエルの宗教が人格性を軽視したときに示される限界でもあります。もちろん、イスラエルの堕落が制度化された宗教のせいだとは言えませんが、彼らの宗教的形式が存続していたにもかかわらず、問題の核心を理解できなかった原因について考えるべきです。制度化された宗教を非難しているのではありません。それが必然的に持つ落とし穴を認識し、対応する必要があるのです。歴史的意味を持つ教会は、世俗化、組織化、制度化を避けることはできないでしょう。しかし、いかなる場合でも、神様との個人的な関係と人格性を失ってはなりません。御言葉が生きていて、それを自分と時代を照らし合わせ、信徒と教会を変えていかなければ、信仰の情熱はむしろ自己欺瞞と現実隠蔽に繋がり、自分を客観視することができず、現実を直視することができなくなるでしょう。その結果、イスラエルのように頑固に滅びの道を歩むことになるのです。

호세아 묵상 【뒤집지 않은 전병】 20241009(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

호세아 7:1~167:1 내가 이스라엘을 치료하려 할 때에 에브라임의 죄와 사마리아의 악이 드러나도다 저희는 궤사를 행하며 안으로 들어가 도적질 하고 밖으로 떼 지어 노략질하며7:2 내가 그 여러 악을 기억하였음을 저희가 마음에 생각지 아니하거니와 이제 그 행위가 저희를 에워싸고 내 목전에 있도다7:3 저희가 그 악으로 왕을, 그 거짓말로 방백들을 기쁘게 하도다7:4 저희는 다 간음하는자라 빵 만드는 자에게…

ホセア黙想 【神を知ること】 20241008(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ホセア 6:1~116:1 さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。6:2 主は二日の後に私たちを生き返らせ、三日目に立ち上がらせてくださる。私たちは御前に生きる。6:3 私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。6:4 「エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る露のようだ。6:5 それゆえ、わたしは預言者たちによって彼らを切り倒し、わたしの口のことばで彼らを殺す。あなたへのさばきが、光のように出て行く。6:6 わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。6:7 ところが、彼らはアダムのように契約を破り、そこでわたしを裏切った。6:8 ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。6:9 盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは徒党を組み、シェケムへの道で人を殺す。彼らは実に淫らなことを行う。6:10 イスラエルの家にわたしはおぞましいことを見た。エフライムはそこで姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。6:11 ユダよ、あなたにも刈り入れが定まっている。わたしが、わたしの民を元どおりにするときに。」 6章1節から3節まではイスラエルの民の言葉であり、4節から再び神様が語られます。イスラエルの民は神様に立ち返ると言います。神様が懲らしめられるけれど、すぐに回復させてくださると期待しています。「さあ、主に立ち返ろう」で始まり、「主を知ることを切に追い求めよう」と訴える6章1-3節は、悔い改めと回復の期待の言葉としてよく引用される言葉ですが、実際には文脈上、神様に受け入れられた祈りではありませんでした。その悔い改めという言葉には、イスラエルが果たすべき過程と責任が省略されています。神様がイスラエルに求めておられるのは真実な悔い改めでありますが、イスラエルはそれを省き、神様に回復を求めているのです。 神様はこの無責任な美辞麗句の代表祈祷のような発言に誠意がないことを知っておられます。だからこそ、4節から始まる神様の御声は断固としています。「エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る露のようだ。4」 彼らからは一貫性を見出すことができません。神様は彼らに預言者を送られましたが、彼らは預言者を殺しました。神様はその裁きを免れることができないと語られます。悔い改めたかのように見え、祈ったかのように見えましたが、神様は裁きの預言で一喝されます。 「わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。6」 神様は非人間的な宗教を求められず、神様を知る知識の豊かさを望んでおられます。「知ろうとせずに信じるだけでいい」という言葉をよく耳にしました。「質問すると頭が大きくなる」という言葉を、まるで教義のように聞きました。しかし、それは誤解です。知れば知るほど信じることができるのです。すべてを知ることができるわけではありません。もう知ることができなくなった時、私たちは告白することができます。人間性をまるで信仰の敵のように言う人たちもいました。そのような雰囲気の中で、人間性と常識が後退し始めました。そのため、この時代のキリスト教が非知性的で非常識的な姿をしばしば見せるのです。それも誤解です。人間は神様から出たものですから、神様の中には人間性が豊かにあります。 病院で死を迎える高齢者が恐怖を感じると、「お家に帰ろう」とおっしゃいます。私の父も母も家に帰りたがっていましたが、病院で亡くなりました。住んでいたお家に連れて行くことはできませんでしたが、本来の家に帰られました。この地上で与えられた時間が終わると、すべての人が本家に帰らなければなりません。私たちは神様から出たものです。そこが見知らぬところにならないように、今、神様に帰りましょう。神様に帰る道は、神様を知る道と同じです。神様を知ることを愛したパウロの訴えで締めくくります。「すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。エペソ3:18-19)アーメン。

호세아 묵상 【하나님을 아는 것을 원하노라】 20241008(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

호세아 6:1~116:1 오라 우리가 여호와께로 돌아가자 여호와께서 우리를 찢으셨으나 도로 낫게 하실 것이요 우리를 치셨으나 싸매어 주실 것임이라6:2 여호와께서 이틀 후에 우리를 살리시며 제 삼일에 우리를 일으키시리니 우리가 그 앞에서 살리라6:3 그러므로 우리가 여호와를 알자 힘써 여호와를 알자 그의 나오심은 새벽 빛같이 일정하니 비와 같이, 땅을 적시는 늦은 비와 같이 우리에게 임하시리라 하리라6:4 에브라임아 내가…

호세아 묵상 【회개가 그렇게 쉽던가요】 20241007(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

호세아 5:1~155:1 제사장들아 이를 들으라 이스라엘 족속들아 깨달으라 왕족들아 귀를 기울이라 너희에게 심판이 있나니 너희가 미스바에서 올무가 되며 다볼 위에서 친 그물이 됨이라5:2 패역자가 살륙죄에 깊이 빠졌으매 내가 저희를 다 징책하노라5:3 에브라임은 내가 알고 이스라엘은 내게 숨기지 못하나니 에브라임아 이제 네가 행음하였고 이스라엘이 이미 더러웠느니라5:4 저희의 행위가 저희로 자기 하나님에게 돌아가지 못하게 하나니 이는 음란한…

ホセア黙想 【悔い改めってそんなに簡単ですか】 20241007(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ホセア 5:1~155:1 「祭司たちよ、これを聞け。イスラエルの家よ、心せよ。王の家よ、耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパで罠となり、タボルの上に張られた網となったからだ。5:2 曲がった者たちは殺戮を極めた。しかし、わたしは彼らすべてを懲らしめる。5:3 わたしはエフライムをよく知っている。イスラエルはわたしに隠されていない。今や、エフライムよ、あなたは姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。5:4 彼らは、自分の悪行を捨てて自分の神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあり、彼らが主を知らないからだ。5:5 イスラエルの高慢はその顔に表れている。イスラエルとエフライムは、自分の不義につまずき、ユダも彼らとともにつまずく。5:6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主が彼らから離れ去ったのだ。5:7 彼らは主を裏切り、他国人の子を生んだ。今や、新月の祭りが彼らとその地所を食い尽くす。5:8 ギブアで角笛を、ラマでラッパを吹き鳴らせ。ベテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ、うしろを警戒せよ。5:9 エフライムは懲らしめの日に、恐怖のもととなる。わたしはイスラエルの諸部族に、確かに起こることを知らせる。5:10 ユダの首長たちは、地境を移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。5:11 エフライムは虐げられ、さばかれて打ち砕かれる。彼が自ら進んで人の決め事に従って歩んだからだ。5:12 わたしはエフライムにはシミのようになり、ユダの家には腐れのようになる。5:13 エフライムは自分の病を見た。ユダは自分の腫れものを。エフライムはアッシリアに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたを癒やすことができず、あなたがたの腫れものも治せない。5:14 わたしが、エフライムには獅子のようになり、ユダの家には若い獅子のようになるからだ。わたし、このわたしが引き裂いて歩き、さらって行くが、助け出す者はだれもいない。5:15 わたしは自分のところに戻っていよう。彼らが罰を受け、わたしの顔を慕い求めるまで。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求める。」 語り手は神様です。神様は祭司と王族(1節)、すなわち宗教と政治の堕落を叱責されています。「曲がった者たちは殺戮を極めた」(2節)というのは、ホセア時代以前から続く王位の簒奪と反逆の過程で起こった反乱と殺戮を指しているのです。「イスラエルが姦淫を行って汚れた」(3節)というのは、肉体的にも霊的にもすべてのことを意味します。姦淫が一般化していたため、神様を裏切り偶像に夢中になったことを例えるには、それ以上の表現はなかったのでしょう。神様は彼らが「高慢である」(5節)とし、「主を裏切り、他国人の子を生んだ」(7節)と言われました。代を重ねるごとに神様への信仰の純粋さは失われ、混ざり合っていったのでしょう。それを神様は「他国人の子」と表現されました。神様が夫であり、妻であるイスラエルがバアルと浮気して子どもを産んだ、その子どもたちが生きている混乱した時代なのです。 6節では「彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主が彼らから離れ去ったのだ。」と言っています。イスラエルが羊や牛を引いて神様のもとに行くというのは、礼拝を捧げるという意味です。貴重な財産である家畜を捧げ物として捧げるということです。イスラエルが突然心を入れ替えたのではありません。彼らはそれをしなかったことは一度もないわけです。私たちは堕落したイスラエルがまるで放蕩息子のようにすべてを投げ捨てて生きていたように思いますが、そうではありません。彼らは礼拝も捧げ、献金もし、奉仕もしていました。しかし、それは形だけであり、伝統であり、文化でした。彼らは神様を愛したことがありませんでした。だからこそ、神様は彼らの物や宗教を受け取られなかったのです。 問題は行いの堕落ではなく、霊的な無能です。自分の堕落を認識せず、問題が何であるかもわからない知的および霊的無能状態こそが問題です。神様が語られる回復の条件は、イスラエルが罪を悟り、心から悔い改めることです。しかし彼らは罪を悔い改めたくないのではなく、罪が何であるかわからないのです。心から悔い改めないのではなく、真心とは何か、悔い改めとは何かを知らないのです。美辞麗句の演説を悔い改めの祈りだと思っています。言葉では常に悔い改めています。しかし、自分自身を欺いているこの恐るべき弊害の原因は「自分は信じている」という自己催眠です。このような人々にとって悔い改めは不可能です。石が叫ぶ方が早いでしょう。悔い改めをしないのではなく、できないのです。神様に戻らないのではなく、「自分は神様の中にいる」と固く信じているのです。 神様は彼らが悔い改めることができないことを知っています。それにもかかわらず神様が悔い改めを促しておられるのは、反省文を待っておられるのではなく、イスラエルの霊的無能を暴露しているのです。私たちはすでに歴史的事実を知っています。北イスラエルという国は最終的に滅びます。言い換えれば、北イスラエルは真に悔い改めなかったということです。いや、悔い改め不能だったのです。だから救済も不能でした。神様に立ち返るというのは、宗教的な形式を整えることではなく、神様を愛することです。しかし、愛するということは人の意志や決断だけでできることではありません。ですから、御言葉を通した日々の人格的な関係が大切です。愛は私と神様の間の人格的な関係でのみ生まれるものだからです。 私たちの時代は果たしてホセアの時代よりも敬虔な時代でしょうか。宗教も政治も神様を恐れず、裏切りと暴力は絶えません。宗教的儀式や行事はありますが、人々は絶えず神様ではなく世のものを貪ります。祭司も王も民も皆同じです。霊的な姦淫が資本主義的な合理的信仰になっています。しかし彼らは「よく信じている」と固く信じています。その信仰は「神様を信じていること」ではなく、「自分の信仰を信じていること」です。それは自己正当化のための信仰です。神様を信じる信仰の最強の敵は、自分の信仰を信じることです。イスラエルはその戦闘的無知のために滅びました。 ホセア書は、マラキ書とマタイによる福音書の間に入っても良い本です。悔い改め不能な人間が自らを解体し、神様のもとに帰ることはありません。イエス様でなければ、神様に戻ることはできません。神様を信じる唯一の方法は、人間の反省ではなく、ただイエス・キリストへの召しです。悔い改めに合格したからイエス様を信じるのではなく、イエス様を信じたからこそ、真の悔い改めが始まるのです。悔い改めは一時的で単発的なものではなく、人格的な告白と交わりという過程を通して行われるものだからです。ホセア書の結論がイエス・キリストであるという事実を言わざるを得ません。その時に滅びた北イスラエルの子孫たちが、今、彼らの地でイエス・キリストを信じることができれば、彼らは神様に戻る方法を見つけるでしょう。イエス様を愛することが、神様に戻る唯一の道だからです。

ホセア書 黙想 【彼を知り己を知れば】 20241005(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ホセア書 4:1-10 4:1 イスラエルの子らよ、主のことばを聞け。主はこの地に住む者を訴えられる。この地には真実もなく、誠実さもなく、神を知ることもないからだ。 4:2 呪いと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。 4:3 それゆえ、この地は喪に服し、そこに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに衰え果て、海の魚さえも一掃される。 4:4 「だれも口論してはならない。だれも人を責めてはならない。あなたの民は、祭司と口論する者のようだ。 4:5 あなたは昼つまずき、預言者も、あなたとともに夜つまずく。わたしはあなたの母を滅ぼす。 4:6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしもあなたを退け、わたしの祭司としない。あなたがあなたの神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れる。 4:7 彼らは増えるにしたがって、ますますわたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。 4:8 彼らは、わたしの民の罪のきよめのささげ物を貪り食い、民の咎に望みをかけている。 4:9 民も祭司も同じようになる。わたしはその生き方のゆえに彼らを罰し、その行いのゆえに彼らに報復する。 4:10 彼らは食べても満たされず、姦淫しても増えることはない。彼らが主を捨てて、姦淫を続けるからだ。     知ることが力、彼を知り己をしれば百戦百勝などの言葉、その他にも数多くの言葉が知ることの重要さ、知識の重要さについて論じ、実際に知ることは私たちの人生において凄く重要に位置づけられています。  それはただ世の中だけでなく、信仰においても同じでしょう。私たちはこの信仰の旅路を歩んでいくために御言葉を知らなければならない、自分のことを知らなければならない、そして神様のことを知らなければなりません。  御言葉は私たちが歩んでいくべき道を私たちに示し、その道がどのような道であるか、どのようにその道を歩むべきなのか、そして、その道の最後には何が待っているのかを、私たちに教えています。そのため、私たちは御言葉を知らなければなりません。  そして、その道を歩んでいかなければならない自分という存在がどのような存在であり、その道を果たしてどのように歩んでいけばいいのかを知り、私たちの唯一の希望である神様を知り、最終的にはその神様を切実に求めながら生きていかなければなりません。  一見、それぞれの分野の知識のように見えますが、この知識は一つにつながっている知識であります。私たちは神様を知ることを通して、その被造物である自分のことを知り、御言葉そのものである神様を知ることを通して御言葉を知ることができるようになるためです。  イスラエルの民は何よりも貴重なこの知識、神様を知る知識を捨て、神様を忘れてしまいました。その結果、彼らは世の中で何一つ知らないまま、どこへ行くべきか、どのように行くべきか、そのすべてを失い、滅びの道に自ら進んで行くことになってしまったのです。  このすべての知識と知恵の根本である神様を明確に知るために、その方が自ら私たちに御自分を示してくださった、その御言葉を通さなければ、その方を知ることはできません。そして御言葉を通して神様を知ることは、その神様によって造られたこの世の中で私たちが歩んでいくべき正しい道、生き方を私たちに示し、最終的には、私たちを永遠な勝利の道に導いてくれるでしょう。https://youtu.be/T0brT-UzAhI?si=8b_Cxja5NJ_n3hnk