고린도후서 묵상17【속지만 않으면】220727(수) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 11:1~1511:1 원컨대 너희는 나의 좀 어리석은 것을 용납하라 청컨대 나를 용납하라11:2 내가 하나님의 열심으로 너희를 위하여 열심 내노니 내가 너희를 정결한 처녀로 한 남편인 그리스도께 드리려고 중매함이로다11:3 뱀이 그 간계로 이와를 미혹케 한 것 같이 너희 마음이 그리스도를 향하는 진실함과 깨끗함에서 떠나 부패할까 두려워하노라11:4 만일 누가 가서 우리의 전파하지 아니한 다른 예수를 전파하거나 혹…

Ⅱコリント16【誇りたいなら】2200726(火) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 10:12~1810:12 私たちは、自分自身を推薦している人たちの中のだれかと、自分を同列に置いたり比較したりしようとは思いません。彼らは自分たちの間で自分自身を量ったり、互いを比較し合ったりしていますが、愚かなことです。10:13 私たちは限度を超えて誇りません。神が私たちに割り当ててくださった限度の内で、あなたがたのところにまで行ったことについて、私たちは誇るのです。10:14 私たちは、あなたがたのところに行かなかったかのようにして、無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは他の人たちに先んじて、あなたがたのところにキリストの福音を携えて行ったのです。10:15 私たちは、自分の限度を超えてほかの人の労苦を誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間で私たちの働きが、定められた範囲の内で拡大し、あふれるほどになることを望んでいます。10:16 それは、あなたがたより向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して、ほかの人の領域ですでになされた働きを誇るためではありません。10:17 「誇る者は主を誇れ。」10:18 自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。   「誇る者は主を誇れ。17」というみことばは第一のコリントの手紙にも出てきますが、これはパウロがエレミヤ9章を引用したものです。「─主はこう言われる─知恵ある者は自分の知恵を誇るな。力ある者は自分の力を誇るな。富ある者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であり、地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ。─主のことば。9:23,24」   エレミヤとパウロの叱責は、教会が神様の知識の中で信仰の価値を見出さず、世の価値を教会に持ち込み、それを自慢することに対する懲らしめです。世で自慢できることがあれば、それも確かに自慢です。世のものといって無価値に引き下げることはしません。しかし、問題はそれが優れていると思ってしまう価値観の乏しさです。それがパウロがコリント3章で語った「肉に属する人、キリストにある幼子」です。 コリント教会は、雄弁が上手で、履歴が派手で外見がおしゃれな働き者を好んだようです。エルサレム教会の推薦書がないことを問題にしたことを見ると、出身の神学校や博士号のようなものを求めたかもしれません。需要は供給を生みます。韓国教会は、この見栄っ張りにおいてコリント教会に負けません。教会の中でさえそれを誇っているので、教会が世の付属になります。   パウロに誇れるものがないから誇らないことではありません。謙虚なふりをしようとすることでもありません。パウロにとって履歴書に書き込むようなことは意味がないです。ガラテヤの手紙でパウロは「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。6:14」と言いました。   パウロが引用したエレミヤの意味に戻って来れば、聖徒が誇るべきものは「神は主であり、地に恵みと公正と正義を行う者であること」です。自分で高めるために憐れみなく、公正もなく、偽りに生きてきた人々の履歴書は誇りになりません。見えるところ、あらわれるところで大声を出す人ではなく、隠れた所で神様を知る知識に仕える人が誇りの人です。そのような兄弟姉妹を主の中で思う存分誇りたいと思います。  

고린도후서 묵상16【자랑하려거든】220726(화) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 10:12~1810:12 우리가 어떤 자기를 칭찬하는 자로 더불어 감히 짝하며 비교할 수 없노라 그러나 저희가 자기로서 자기를 헤아리고 자기로서 자기를 비교하니 지혜가 없도다10:13 그러나 우리는 분량 밖의 자랑을 하지않고 오직 하나님이 우리에게 분량으로 나눠 주신 그 분량의 한계를 따라 하노니 곧 너희에게까지 이른 것이라10:14 우리가 너희에게 미치지 못할 자로서 스스로 지나쳐 나아간 것이 아니요 그리스도의…

Ⅱコリント15【要塞を打ち倒す力】2200725(月) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 10:1~1110:1 さて、あなたがたの間にいて顔を合わせているときはおとなしいのに、離れているとあなたがたに対して強気になる私パウロ自身が、キリストの柔和さと優しさをもってあなたがたにお願いします。10:2 私たちが肉に従って歩んでいると見なす人たちに対しては、大胆にふるまうべきだと私は考えていますが、そちらに行ったときに、その確信から強気にふるまわないですむように願います。10:3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。10:4 私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。10:5 私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。10:6 また、あなたがたの従順が完全になったとき、あらゆる不従順を罰する用意ができています。10:7 あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもキリストに属しているということを、もう一度よく考えなさい。10:8 あなたがたを倒すためにではなく、建てるために主が私たちに与えてくださった権威について、私が多少誇り過ぎることがあっても、恥とはならないでしょう。10:9 私は、手紙であなたがたを脅しているかのように思われたくありません。10:10 「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると弱々しく、話は大したことはない」と言う人たちがいるからです。10:11 そのような人は承知していなさい。私たちは、離れて書く手紙のことばどおりの者として、そちらに行ってもふるまいます。   パウロは、教会の秩序のために自分の使徒権を保護しなければなりませんでした。エルサレム教会への献金の件についても疑う人がいますし、けちをつけてパウロを引き下ろそうとする人々がいたからです。パウロの手紙を読んだ人々は、文章だけが上手いねと皮肉を言う人もいました。パウロ自身が新約聖書の主な著者になったように、パウロは文章に力がありました。ということで、彼らはパウロに容貌にも権威がなく、説教もうまくできず、人々の前では何も言えなかったので、手紙だけ厳しいねと皮肉したわけであります。   教会では意見が対立することがありますが、憎み始めると出口がありません。それで分裂や瓦礫をももたらします。小さな感情的な不満から始めますが、自己感情に思い込むので、さらい大きくなり、客観的で合理的に事案で考えられなくなります。いわゆる「確証バイアス」の怪物になります。教会が二つに分けて争い、和解せずにが、分裂してしまうのは、それぞれ自分の思いが神様の御心だと思い込む、確証バイアスの高慢と錯覚のためです。   ここでパウロはそれを打ち破って勝つことはできません。パウロは肉に従って戦ってはいませんと言いました。聖徒が持っている武器というのは、「要塞を打ち倒す力」と言います。この「要塞」というのは。悪魔の基地ではなく、それよりもひどい「自分自身の思い」です。5節の「議論」とは何ですか?自分にはまっている話です。「私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。5」これを翻訳すると「余計なことしないできちんと教会に仕えなさい」ということです。息を整え、視線を変えてみると、「要塞を打ち倒す力」が臨むでしょう。

고린도후서 묵상15【견고한 진을 파하는 능력】220725(월) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 10:1~1110:1 너희를 대하여 대면하면 겸비하고 떠나 있으면 담대한 나 바울은 이제 그리스도의 온유와 관용으로 친히 너희를 권하고10:2 또한 우리를 육체대로 행하는 자로 여기는 자들을 대하여 내가 담대히 대하려는것 같이 너희와 함께 있을 때에 나로 하여금 이 담대한 태도로 대하지 않게 하기를 구하노라10:3 우리가 육체에 있어 행하나 육체대로 싸우지 아니하노니10:4 우리의 싸우는 병기는 육체에 속한…

Ⅱコリント14【良いわざのための恵み】2200723(土) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 9:1~99:1 聖徒たちのためのこの奉仕については、これ以上書く必要はありません。9:2 私はあなたがたの熱意を知り、そのことでマケドニアの人々にあなたがたのことを誇って、アカイアでは昨年から準備ができていると言ったのです。あなたがたの熱心は多くの人を奮い立たせました。9:3 私が兄弟たちを送るのは、あなたがたについての私たちの誇りが、この点で空しくならないためであり、私が言っていたとおりに準備していてもらうためです。9:4 そうでないと、もしマケドニアの人々が私と一緒に行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろんですが、私たちも、このことを確信していただけに、恥をかくことになるでしょう。9:5 そこで私は、兄弟たちに頼んで先にそちらに行ってもらい、あなたがたが以前に約束していた祝福の贈り物を、あらかじめ用意しておいてもらうことが必要だと思いました。惜しみながらするのではなく、祝福の贈り物として用意してもらうためです。9:6 私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。9:7 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。9:8 神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。9:9 「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる」と書かれているようにです。   マゲドニアの聖徒たちは,経済的な困難の中でもエルサレム教会のために多くの献金をささげました。パウロは、テトスと兄弟たちにこれの管理と運版を委ねます。実は、コリント教会の聖徒たちは、1年前からエルサレム教会のための献金を準備していました。パウロがそのような事実をマゲドニアの聖徒たちに話して挑戦を与えたからマゲドニアから多くの献金があったのです。   一方、コリント教会は1年前に約束をしただけで、これまで教会にさまざまな問題があったので、集まった献金が準備されていなかったです。パウロはそれを気にしています。ということで、パウロは自分が訪問する前にテトスたちを先に送り、献金を準備させます。パウロがコリント教会を訪れるときは、マケドニアの兄弟たちも一緒に行くので、コリント教会が約束を守らなければ、マケドニアの聖徒たちは失望し、パウロも立場も困ります。   パウロはコリント教会の聖徒たちに心構えに注意しています。「わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。」いやいやながらでなく、喜んで参加するように呼びかけます。大きく仕えると大きく喜びます。彼らに豊かさを与えられたのは、良いわざにあふれるようになるためです。これはコリント教会の信仰の問題が解決されたので、付け加えて献金をお願いをしていることではありません。お金の問題になると、まだ隠しておいた信仰の真実が如実に現れます。機会があるたびに良いわざに努めば、「彼の義は永遠にとどまる。」と言います。与えられたものに仕えることはしません。それは使います。神様と人に仕えるために使うこと、永遠にとどまる義のために使うことを祈ります。  

고린도후서 묵상14【착한 일을 하기 위한 은혜】220723(토) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 9:1~99:1 성도를 섬기는 일에 대하여 내가 너희에게 쓸 필요가 없나니9:2 이는 내가 너희의 원함을 앎이라 내가 너희를 위하여 마게도냐인들에게 아가야에서는 일년 전부터 예비하였다 자랑하였는데 과연 너희 열심이 퍽 많은 사람들을 격동시켰느니라9:3 그런데 이 형제들을 보낸 것은 이 일에 너희를 위한 우리의 자랑이 헛되지 않고 내 말한 것 같이 준비하게 하려 함이라9:4 혹 마게도냐인들이 나와…

Ⅱコリント13【財政管理】2200722(土) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 8:16~248:16 神に感謝します。私があなたがたのことを思っているのと同じ熱心を、神はテトスの心にも与えてくださいました。8:17 彼は私の勧めを受け入れ、大変な熱意をもって、自分から進んであなたがたのところに行こうとしています。8:18 私たちはテトスと一緒に一人の兄弟を送ります。この人は福音の働きによって、すべての教会で称賛されています。8:19 そればかりでなく、彼は、この恵みのわざに携わる私たちの同伴者になるようにと、諸教会の任命を受けています。私たちはそのわざに、主ご自身の栄光と私たちの熱意を現すために仕えています。8:20 私たちは、自分たちが携わっているこの惜しみないわざについて、だれからも非難されることがないように努めています。8:21 主の御前だけでなく、人々の前でも正しくあるように心がけているのです。8:22 また、彼らと一緒にもう一人、私たちの兄弟を送ります。この兄弟が多くのことについて熱心であることを、私たちは何度も認めることができました。彼は今、あなたがたに深い信頼を寄せ、ますます熱心になっています。8:23 テトスについて言えば、彼は私の仲間であり、あなたがたのために働く同労者です。私たちの兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者であり、キリストの栄光です。8:24 ですから、あなたがたの愛の証拠と、あなたがたを私たちが誇りとしている理由を、彼らに対して、諸教会の前に示してほしいのです。   エルサレムに送る献金は、各教会で募金したもので、相当の金額だったたと思います。パウロはそれを企画し、推進しましたが、当然にそれを執行することはしません。テトスともう一人の管理者とペアを組み、管理と運搬を一任し、自分はかかわりません。先日、教会財政の問題についても言及しましたが、教会はお金がなくて滅びるのではなく、お金をきちんと管理しないので倒れるのです。財政は、定められた原則と手続きに従って執行されなければならず、牧師や財政担当者であってもそれを任意に決めたり、使ったりすることはできません。パウロに対して好意的でない勢力があったので,パウロはさらに注意しなければなりませんでした。人間は牽制がなければ鈍ってしまいます。しかし、すべての状況は善に向かっていく条件になります。大変な所のために一つになって献金する聖徒らの愛、透明な財政管理の力、信頼できる奉仕者がいるのは教会の財産です。

고린도후서 묵상13【재정관리】220722(금) 에다가와 사랑의 교회

고린도후서 8:16~248:16 너희를 위하여 같은 간절함을 디도의 마음에도 주시는 하나님께 감사하노니8:17 저가 권함을 받고 더욱 간절함으로 자원하여 너희에게 나아갔고8:18 또 저와 함께 한 형제를 보내었으니 이 사람은 복음으로서 모든 교회에서 칭찬을 받는 자요8:19 이뿐 아니라 저는 동일한 주의 영광과 우리의 원을 나타내기 위하여 여러 교회의 택함을 입어 우리의 맡은 은혜의 일로 우리와 동행하는 자라8:20 이것을…

Ⅱコリント12【この恵み】2200721(木) 枝川愛の教会

Ⅱコリント 8:1~158:1 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。8:2 彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。8:3 私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、8:4 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。8:5 そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。8:6 それで私たちは、テトスがこの恵みのわざをあなたがたの間で始めたからには、それを成し遂げるようにと、彼に勧めました。8:7 あなたがたはすべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちからあなたがたが受けた愛にもあふれています。そのように、この恵みのわざにもあふれるようになってください。8:8 私は命令として言っているのではありません。ただ、他の人々の熱心さを伝えることで、あなたがたの愛が本物であることを確かめようとしているのです。8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。8:10 この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは献金を実行することだけでなく、その志を持つことも、昨年から始めて他に先んじていました。8:11 ですから今、それをやり遂げなさい。喜んでしようと思ったとおりに、持っているものでやり遂げてください。8:12 喜んでする思いがあるなら、持っていないものに応じてではなく、持っているものに応じて受け入れられるのです。8:13 私は、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、むしろ平等になるように図っています。8:14 今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。8:15 「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった」と書いてあるとおりです。   パウロはコリント教会ともめている中でも、より厳しい状況にある教会のためにコリント教会の聖徒たちに献金をお願いしています。マケドニア教会は、「満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました」と言います。マケドニア教会とは、ピリピ教会とデサロニケ教会をいいます。ピリピ人への手紙を読んでみると、コリントの手紙とは異なり、感謝と喜びがあふれます。彼らはパウロを忠実にサポートしました。パウロはコリント教会に対し、信仰と言葉と知識が優れていますが、「この恵み」、すなわちエルサレム教会のために献金することにおいても優れるようにお勧めします。   本家であるエルサレム教会が飢饉で大変になったとき、パウロは自分が開拓した地中海周辺の教会に献金を頼み、エルサレム教会に伝えました。パウロにとって、それらの教会は一つの神様の教会であるからです。それは経済的困難に直面したエルサレム教会のためのものでもあり、異邦教会が聖なる公同の教会、聖徒の交わりによって、公教会の一員として認められ、編入される機会でもありました。そういうことで、パウロはエルサレム教会に送る献金の募金について本気でした。   最近、日本で政治家を狙った銃器狙撃事件があり、背景には宗教団体に財産を捧げた被害者の恨みがありました。オウムしんりきょうのテロ事件の後、日本は宗教に対して硬直しましたが、今回の統一教会の財産献納事件ができたため、宗教に対する不信はさらに深まるものと見られます。統一教という類似宗教だけでなく、韓国の制度権の教会の中でも財政問題で多くの問題を起こしており、それによる分乱と失望は、脱宗教化を加速させています。   そんな恥と偏見の時代に生きますが、パウロが言った「この恵み」、つまり自分も豊かでない中で、大切なものを分け与える恵み、自分の大切なことをささげる恵みは、信仰においてあきらめたり、置き換えることができないものです。信仰にとって、それは選択ではなく、必須であり、一体です。疑いと非難の時代に献金について数多くの見解と主張があふれ出てきていますが、明らかなことは、神様のためにお金を使わない人は、結局神様を信じることはできないという事実です。これに、献金をしなければ神様を信じることができないのかという質問が出てくると思いますが、人は自分が価値があると思うところにお金を使い、その原則は絶対に不変で、「yes」と答えるしかありません。   神様にささげるということは、堕落した宗教に財産を奪われるのと違います。 「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった。15」これは出エジプト記16章の神様がイスラエルの民にマナを与えたお話です。マナは毎朝降り、二日分を取っても一日分しか食べられませんでした。たくさんのことを蓄積した人が豊かな人ではなく、貪らず恵みの中に分け与える人が豊かな人です。邪悪な宗教団体がその良いことを悪用しただけです。 たくさんのことをささげるとたくさんの祝福を受けると言いたくありません。祝福の定義もされていないからです。ただ、惜しみなくささげ、仕えながら生きること、それがすでに祝福であると言いたいのです。それを実践せずに、口で信仰を語ってみても、信仰というものの実体を見つけることはできません。