욥기 QT21 211025월【지적 불가지론】욥기 12장 13~25

욥기 12장 13~2512:13 지혜와 권능이 하나님께 있고 모략과 명철도 그에게 속하였나니12:14 그가 헐으신즉 다시 세울 수 없고 사람을 가두신즉 놓지 못하느니라12:15 그가 물을 그치게 하신즉 곧 마르고 물을 내신즉 곧 땅을 뒤집나니12:16 능력과 지혜가 그에게 있고 속은 자와 속이는 자가 다 그에게 속하였으므로12:17 모사를 벌거벗겨 끌어가시며 재판장으로 어리석은 자가 되게 하시며12:18 열왕의 맨 것을 풀어…

ヨブ記 QT20 211023土【野ろばの子】ヨブ記 11章 12~20

ヨブ記 11章 12~2011:12 無知な人間も賢くなるだろう。野ろばの子が人として生まれるのなら。11:13 もし、あなたが心を定め、神に向かって手を伸べ広げるなら、11:14 もし、手に不法があればそれを遠ざけ、あなたの天幕に不正を住まわせないなら、11:15 そのとき、あなたは欠けのない者として顔を上げることができ、堅く立って恐れることはない。11:16 こうしてあなた自身は労苦を忘れ、これを流れ去った水のように思い出すだろう。11:17 あなたの一生は真昼よりも輝き、闇も朝のようになる。11:18 望みがあるので、あなたは安らぎ、守られて安らかに休む。11:19 横になっても、あなたを脅かす者はいない。多くの者があなたの好意を求める。11:20 しかし、悪者どもの目は衰え果て、彼らは逃れ場を失う。彼らの望みは、最後の一息にすぎない。   ツォファルが厳しい原則主義者だからヨブに、このような毒舌の助言をしているのではないと思います。自分に厳しい人は人に寛大です。おそらく彼は弱い人には強く、強い人に弱い人であるでしょう。ヨブに力あったときはヨブに対してこれほどの厳しいことを言うのはなかった思います。   ツォファルがヨブに言いました。「無知な人間も賢くなるだろう。野ろばの子が人として生まれるのなら12」「野ろばの子」と言ったのは、愚かで頑固なものだということです。野ろばとは家ロバとは違って、飼慣らされてない野生のロバですから人や荷物を載せたことがありません。だから暴れるのが当たり前です。ロバの立場では、自己の自由が奪われ、労働を強要させられてから抵抗するのが当然です。一方、人の立場では、野ろばの子というのは面倒な存在です。言うこと聞かないし、やらせる通りにしないし、体制と権威に屈しない存在が野ろばの子です。   ツォファルが、ヨブに対して野ろばの子といったということは、ヨブぐらい踏みにじってもいいと思っているからです。ということだから、彼の口から出てくる信仰の言葉は顔負けです。逆説的にも、私たちは、弱者に対する態度を通して神様に対する態度を確認することができます。イエス様が言われたように、最も弱い者にすることを見れば、神様に対する態度がわかります。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。マタイ25:40」   ツォファルは、ヨブが悔い改めれば、良くなると言っていますが、その根拠が分かりません。ツォファルは悔い改めというテコだけあれば、呪いと祝福を分けられるといいますが、悔い改めしなくても、幸せな人がおり、信仰に生きても困難を経験する人もいます。人間の幸福と不幸はそれほど単純な図式で説明できるものではありません。私が信じて救われ、金持ちになり、健康になったことではなく、私は信じたから貧しい者を助け、傷んでいる者を慰め、滅びる者を救いに導き出しというのが誠の意味の信仰の結果ではないでしょうか?   ツォファル自身は、今祝福の中にいるので、悔い改めることはないと勘違いしています。高度の高慢です。彼の声が大きいのもそのような理由です。ヤコブの手紙では、「多くの人が教師になってはいけません」と警告しています。口正しい言葉を言うと、自分が実際にそのよう人であると錯覚します。信じるということを言うから、自分はよく信じている思い込みます。それが牧師の危険な罠です。多くのことを確信的に知っているツォファルのような牧師になってはいけないと思うところです。

욥기 QT20 211023토【들나귀 새끼】욥기 11장 12~20

욥기 11장 12~2011:12 허망한 사람은 지각이 없나니 그 출생함이 들나귀 새끼 같으니라11:13 만일 네가 마음을 바로 정하고 주를 향하여 손을 들 때에11:14 네 손에 죄악이 있거든 멀리 버리라 불의로 네 장막에 거하지 못하게 하라11:15 그리하면 네가 정녕 흠 없는 얼굴을 들게 되고 굳게 서서 두려움이 없으리니11:16 곧 네 환난을 잊을 것이라 네가 추억할지라도 물이 흘러감…

ヨブ記 QT19 211022金【自家撞着】ヨブ記 11章 1~11

ヨブ記 11章 1~1111:1 さらに、ナアマ人ツォファルが答えた。11:2 ことば数が多ければ、言い返されないだろうか。人は唇で義とされるのだろうか。11:3 あなたの無駄話は、人を黙らせるだろうか。あなたが嘲るとき、あなたに恥を見させる者はいないのだろうか。11:4 あなたは言う。「私の主張は純粋だ。私はあなたの目に清い」と。11:5 しかし、神が語りかけ、あなたに対して唇を開いてくださっていたなら、11:6 神は知恵の奥義をあなたに告げ、知性を倍にしてくださったであろう。知れ。神があなたのために、あなたの咎を忘れてくださることを。11:7 あなたは神の深さを見極められるだろうか。全能者の極みを見出せるだろうか。11:8 それは天よりも高い。あなたに何ができるだろう。それはよみよりも深い。あなたが何を知り得るだろう。11:9 それを測ると、地よりも長く、海よりも広い。11:10 もし、神が通り過ぎたり、閉じ込めたり、あるいは法廷を召集したりするなら、だれが神を引き止められるだろう。11:11 確かに神は、不信実な者を知っておられる。不法を見て、それに気づかれないだろうか。   三番目の友人、ツォファルの考え方も因果応報に傾いています。ヨブの苦難は、その原因が罪にあり、悔い改めなければならないと非難する人するわけです。ツォファルは今までの二人の友人に比べて、露骨であり、攻撃的です。ツォファルが言っている義、恥、純粋、神のことば、知恵の奥義、知性の広さ、神の深さ、全能者の極み、天よりも高く、よみよりも深い、地よりも長く、海よりも広い等の表現は、果たしてツォファルの知識でしょうか?彼自らが経験した知識とは思えません。単純に耳で聞いた言葉を口にして並べているだけです。   このような人は、神様の義を語ることを好みますが、その裏には非難する目的があります。神様の愛を語っているようでも、自分の放縦と不従順を合理化しています。神様の全知全能を言っているようですが、自分は無責任であると主張するのです。信仰の言語は抽象的なものが多くあります。『禪林類聚』に「須弥山は高く頂きを見ることができず、海水は深く底が見えない。頭を回してぶつかるの自分自身」とあります。すなわち「お経を読みながら真理を求めますが、それは高く、広くて至らない、いつも自分自身にとどまっている」ということです。これが「自家撞着」の由来です。   神様のことを言いながら、自分が信じたいことを信じるのです。ツォファルの言葉そのものは間違っていないかもしれませんが、「自家撞着」であるが故、その言葉に力がありません。もし私たちの中に定義されないまま使っている抽象的な言語がなくなるならば、おそらく大きな空白が生じると思います。それが占めているところが大きいからです。しかし、その事実を知ることが大切です。それを認め、実体を知るために悩み続けることが、教会の課題です。そのような教会と信仰の告白は揺らぎません。

욥기 QT19 211022금【자가당착】욥기 11장 1~11

욥기 11장 1~11 11:1 나아마 사람 소발이 대답하여 가로되11:2 말이 많으니 어찌 대답이 없으랴 입이 부푼 사람이 어찌 의롭다 함을 얻겠느냐11:3 네 자랑하는 말이 어떻게 사람으로 잠잠하게 하겠으며 네가 비웃으면 어찌 너를 부끄럽게 할 사람이 없겠느냐11:4 네 말이 내 도는 정결하고 나는 주의 목전에 깨끗하다 하는구나11:5 하나님은 말씀을 내시며 너를 향하여 입을 여시고11:6 지혜의 오묘로…

ヨブ記 QT18 211021木【あきらめたいヨブ】ヨブ記 10章 13~22

ヨブ記 10章 1~1210:1 私のたましいはいのちを忌み嫌う。私は不平をぶちまけ、たましいの苦しみのうちに私は語ろう。10:2 私は神にこう言おう。「私を不義に定めないでください。何のために私と争われるのかを教えてください。10:3 あなたが人を虐げ、御手の労苦の実を蔑み、悪しき者たちのはかりごとに光を添えることは、あなたにとって良いことでしょうか。10:4 あなたには肉の目があるのですか。あなたは人間が見るように見られるのですか。10:5 あなたの日々は人間の日々のようなのですか。あなたの年は人の年のようなのですか。10:6 それで、私の咎を探し出し、私の罪を探り出されるのですか。10:7 私に悪しきことがないこと、あなたの手から救い出せる者がいないことを、あなたはご存じなのに。10:8 あなたの手が私をかたどり、私を造られました。それなのに、私を滅ぼし尽くそうとされます。10:9 思い出してください。あなたは私を粘土のようにして造られました。私を土のちりに戻そうとなさるのですか。10:10 あなたは私を乳のように注ぎ出して、チーズのように固め、10:11 皮と肉を私に着せて、骨と筋で編まれたではありませんか。10:12 恵みをもって私にいのちを与え、あなたの顧みが私の霊を守りました。   インドのある青年が、自分を生んだという理由で自分の親を告訴したことが話題になったことがあります。自分の人生は痛みであり、その人生が始まった責任は、自分の同意も得ずに出産した、親にあるということです。とんでもないこじつけですが、その青年は、おそらく哲学の観点の一つ、社会運動の「反出生主義(anti-natalism)」に基づいている人です。   反出生主義とは、文字通り生まれることに反対し、否定する哲学です。生きることが痛みだからです。だからといって死ぬことを勧めているのでもありません。死も痛みだからです。ですから、反出生主義は痛みの問題です。苦しむ人間の混乱の哲学です。低出産、少子化の現象も出産と育児が苦痛であるという観点によるものです。   ヨブは反出生主義者のように、自分の出生を呪います。3章でも、ヨブは死にたいことを言いました。しかし、7章では、再び生きることの希望を言っています。10章に来て再び人生を懐疑し、死を願っています。ヨブは水火の苦しみの中で気絶を繰り返しているのです。   哲学が苦痛を考えるのではなく、痛みが哲学を産みます。ドイツの哲学者ショーペンハウアーが反出生主義者であることは、幼いときに親に虐待されたからです。痛みが耐えられないと生きていることを呪いますが、しばらくよくなって余裕ができると、再び生きる希望を持ちます。   痛みを乗り越えられないときがあります。頑張れという言葉に力はありません。鎮痛剤一粒が入って痛みを和らげると生きる希望を持ちはじめます。神様が少しだけヨブを助けてくださるならば、ヨブはきっと諦めたいという絶望から、生きる希望を抱くようになるでしょう。

욥기 QT18 211021목【포기하고 싶은 욥】욥기 10장 13~22

욥기 10장 13~2210:13 그러한데 주께서 이것들을 마음에 품으셨나이다 이 뜻이 주께 있은 줄을 내가 아나이다10:14 내가 범죄하면 주께서 나를 죄인으로 인정하시고 내 죄악을 사유치 아니 하시나이다10:15 내가 악하면 화가 있을 것이오며 내가 의로울지라도 머리를 들지못하올 것은 내 속에 부끄러움이 가득하고 내 환난을 목도함이니이다10:16 내가 머리를 높이 들면 주께서 사자처럼 나를 사랑하시며 내게 주의 기이한 능력을…

ヨブ記 QT17 211020水【正しいも美しいあなた】ヨブ記 10章 1~12

ヨブ記 10章 1~1210:1 私のたましいはいのちを忌み嫌う。私は不平をぶちまけ、たましいの苦しみのうちに私は語ろう。10:2 私は神にこう言おう。「私を不義に定めないでください。何のために私と争われるのかを教えてください。10:3 あなたが人を虐げ、御手の労苦の実を蔑み、悪しき者たちのはかりごとに光を添えることは、あなたにとって良いことでしょうか。10:4 あなたには肉の目があるのですか。あなたは人間が見るように見られるのですか。10:5 あなたの日々は人間の日々のようなのですか。あなたの年は人の年のようなのですか。10:6 それで、私の咎を探し出し、私の罪を探り出されるのですか。10:7 私に悪しきことがないこと、あなたの手から救い出せる者がいないことを、あなたはご存じなのに。10:8 あなたの手が私をかたどり、私を造られました。それなのに、私を滅ぼし尽くそうとされます。10:9 思い出してください。あなたは私を粘土のようにして造られました。私を土のちりに戻そうとなさるのですか。10:10 あなたは私を乳のように注ぎ出して、チーズのように固め、10:11 皮と肉を私に着せて、骨と筋で編まれたではありませんか。10:12 恵みをもって私にいのちを与え、あなたの顧みが私の霊を守りました。   ヨブは自分に起こっていることを納得できず、神様に問いただします。誰にでも神様に向かって、「なぜ」と問う時が訪れます。自分の思いと神様の思いが違うので、それがぶつかり、混乱を起こします。   しかし、人生に現れた神様の恵みは歩みを振り返る時に悟られます。振り返るということは、もう当時に持っていた思いとは違う思いを持っているという意味です。その時に神様の御旨が悟られます。終わりだと思いましたが、振り返ってみると神様の始まりであったことに気づかされます   眺める視線が変わったからです。視線が変わると思いが変わり、それによって証しが残ります。イザヤはこう言いました。「「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。55:8、9」   作家の朴婉緖は、予期せぬ事故で息子を失いました。『一言てください』で毎晩獣のように泣き叫んだと言いました。しかし、その苦痛の後に予期せぬ信仰が与えられ、彼女は神様の御言葉を読み、それを書いた黙想を本に編んでいました。その本のタイトルは『正しいも美しいあなた』です。人生の局面は予期せず、様々な方法でやってきますが、神様を信頼できない状況というのはありません。    

욥기 QT17 211020수【옳고도 아름다운 당신】욥기 10장 1~12

욥기 10장 1~1210:1 내 영혼이 살기에 곤비하니 내 원통함을 발설하고 내 마음의 괴로운대로 말하리라10:2 내가 하나님께 아뢰오리니 나를 정죄하지 마옵시고 무슨 연고로 나로 더불어 쟁변하시는지 나로 알게 하옵소서10:3 주께서 주의 손으로 지으신 것을 학대하시며 멸시하시고 악인의 꾀에 빛을 비취시기를 선히 여기시나이까10:4 주의 눈이 육신의 눈이니이까 주께서 사람의 보는 것처럼 보시리이까10:5 주의 날이 어찌 인생의 날과…

ヨブ記 QT16 211019火【ヨブが求めていること】ヨブ記 9章 25~35

ヨブ記 9章 11~249:25 私の日々は飛脚よりも速い。それは飛び去って、幸せを見ることはない。9:26 それは葦の舟のように通り過ぎる。獲物をめがけて舞い降りる鷲のように。9:27 たとえ「不平を忘れ、悲しい顔を捨てて明るくふるまいたい」と私が言っても、9:28 自分のあらゆる苦痛に私はおびえています。私はよく知っています。あなたが私を潔白な者となさらないことを。9:29 私はきっと、悪しき者とされるでしょう。なぜ私は、空しく労するのでしょうか。9:30 たとえ私が雪の水で身を洗っても、灰汁で手を清めても、9:31 あなたは私を墓の穴に沈め、私が着る服は私を忌み嫌います。9:32 神は、私のように人間ではありません。その方に、私が応じることができるでしょうか。「さあ、さばきの座に一緒に行きましょう」と。9:33 私たち二人の上に手を置く仲裁者が、私たちの間にはいません。9:34 神がその杖を私から取り去り、その恐ろしさが私をおびえさせませんように。9:35 そうなれば、私は恐れず神に語りかけます。しかし今、私はそうではありません。   ヨブの言葉が無気力です。双方向ではなく、一方的だからです。神様には言葉届かず、友達とは言葉が通じないです。息苦しいヨブは自分と神様との間の仲裁者を求めます。「私たち二人の上に手を置く仲裁者が、私たちの間にはいません。神がその杖を私から取り去り、その恐ろしさが私をおびえさせませんように。33,34」神様と私の間に立ち、私の事情を知り、それを神様に執り成す人を探し求めていますが、そのような人はいません。   神様は神だからできなく、人は人だからできません。神様の神格を信じることはできます。人間が限界を認めることさえできれば、神様を信じることは難しくありません。しかし、人間が遠くにおられる絶対者を信じることでヨブの嘆きから逃れることはありません。絶対者なる神様は仲裁者なるイエス・キリストを通して会えるからであります。神格である神様は人格であるイエス・キリストを通して出会います。「神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。Ⅰテモテ2:5」   十字架は、神様であるイエス・キリストが神格を置いて、十字架に上がった人格の出来事です。神様の御言葉は人格的な啓示です。人格的な神様に出会ったということは、イエス・キリストに会ったということです。ヨブが切に求めていた仲裁者、イエス・キリストと話し合う一日をを祈ります。