다니엘 QT10 20201125수【왕이 돌아가야 할 자리】다니엘 4장28~37

다니엘 4장28~374:28 이 모든 일이 다 나 느부갓네살 왕에게 임하였느니라4:29 열 두달이 지난 후에 내가 바벨론 궁 지붕에서 거닐새4:30 나 왕이 말하여 가로되 이 큰 바벨론은 내가 능력과 권세로 건설하여 나의 도성을 삼고 이것으로 내 위엄의 영광을 나타낸 것이 아니냐 하였더니4:31 이 말이 오히려 나 왕의 입에 있을 때에 하늘에서 소리가 내려 가로되 느부갓네살 왕아…

ダニエル QT9 20201124火【ダニエルの三つの願い】ダニエル4章19~27

ダニエル4章19~2719 そのとき、ベルテシャツァルと呼ばれていたダニエルは、しばらくの間驚きすくみ、いろいろと思い巡らして動揺した。王は話しかけた。「ベルテシャツァルよ、この夢とその意味のことで動揺することはない。」ベルテシャツァルは答えた。「わが主よ、どうか、この夢があなたを憎む者たちに当てはまり、その意味があなたの敵に当てはまりますように。20 あなたがご覧になった木、すなわち、生長して強くなり、その高さが天に届いて、地のどこからも見え、21 葉が美しく実も豊かで、すべてのものの食べ物があり、その下に野の獣が住み、その枝に空の鳥が宿った木、22 王よ、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます。23 しかし王は、一人の見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。『その木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株は、鉄と青銅の鎖をかけて、地に、野の若草の中に残せ。彼を天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎ行くまで野の獣と青草を分け合うようにせよ。』24 王よ、その意味は次のとおりです。これは、わが主、王に届いた、いと高き方の決定です。25 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べて、天の露にぬれることになります。こうして、あなたの上を七つの時が過ぎ行き、ついにあなたは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。26 木の根株は残せと命じられていますので、天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立つでしょう。27 それゆえ、王よ、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによってあなたの罪を除き、また貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。」 イザヤの断食の祈りを読むとき、意外な衝撃を覚えます。断食の祈りの理由が、自分の目的を達成するために駄々をこねているわけではないからです。断食をして祈っているのに、なぜ神様は私の祈りを聞いてくださらないのか、という不満に対して、神様の答えは「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる」というものでした。イザヤの58章6-8節です。数日だけ飢えてみても人は人生の悲惨さと無力さを経験します。その貧しい心に感謝を覚え、弱者を振り返ることが断食して祈ることの有益です。   本日の本文が断食の祈りについて語るものではないのにイザヤの58章を思い出したのは、王が失権して牛のように草を食べる日が来るという預言があるからです。ダニエルは王の夢を聞いてから、王に訪れる衝撃的なことに驚き、悶えました。大きな木は、王の大きな力を指していますが、それは偉大ではない高慢の大きさです。木が高くても、空の下の小さな被造物にすぎません。空から降りてきた見張りの者がその木を切って荒野に投げ捨てます。王は逃亡者となって悲惨な日を過ごします。その日に一食のご飯となるが、まさに神様です。今までの必要の供給がいかに大切なものだったのかを知るようになります。   イザヤが伝えた断食する者にあるべき心は、駄々をこねる心ではなく、貧しい心で自分より弱者を振り返る心です。ネブカデネツァル王は恣意的な断食の祈りをしたわけではないですが、飢えなければならない日が来ます。その未来を預言するダニエルは、王に3つのことを求めます。まことの統治者は王ではなく神様であることを認めること、世界が王のものではないので神様の正義を行うこと、そして貧しい者を憐れむことです。 「…天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立つでしょう。それゆえ、王よ、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによってあなたの罪を除き、また貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。…4:26,27」   自分に酔う征服者は、元のあるべき姿に戻らなければなりません。食べるものがなければ飢えなければならない、飢えれば死ななければならない、という極めて当たり前とも言える人間の姿に戻るのです。王の権力と富は後ほど回復しますが、本当に回復しなければならないのは神様の前に立つ一人の人間です。1年の終わりの時に来ています。力と富は神様から来るということを認め、神様の正義を実践し、弱者を振り返る慈悲を回復するのはネブカデネツァル王だけが求められることではありません。  

다니엘 QT9 20201124화【다니엘의 세 가지 당부】다니엘 4장19~27

다니엘 4:19~274:19 벨드사살이라 이름한 다니엘이 얼마 동안 놀라 벙벙하며 마음이 번민하여 하는지라 왕이 그에게 말하여 이르기를 벨드사살아 너는 이 꿈과 그 해석을 인하여 번민할 것이 아니니라 벨드사살이 대답하여 가로되 내 주여 그 꿈은 왕을 미워하는 자에게 응하기를 원하며 그 해석은 왕의 대적에게 응하기를 원하나이다4:20 왕의 보신 그 나무가 자라서 견고하여지고 그 고는 하늘에 닿았으니 땅…

ダニエル QT8 20201123月【多神論者の証し】ダニエル4章1~18

ダニエル4章1~181 ネブカドネツァル王から、全地に住むすべての民族、国民、言語の者たちへ。あなたがたに平安が豊かにあるように。2 いと高き神が私に行われたしるしと奇跡を知らせることは、私の喜びとするところである。3 そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇跡のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。4 私ネブカドネツァルが私の家で心安らかに過ごし、私の宮殿で繁栄を極めていたとき、5 私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での、様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私をおびえさせた。6 私は命令を下し、バビロンの知者をみな、私の前に連れて来て、その夢の意味を告げさせようとした。7 呪法師、呪文師、カルデア人、占星術師たちが来たとき、私は彼らにその夢のことを話したが、彼らはその意味を私に告げることができなかった。8 最後にダニエルが私の前に来た。彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。私はその夢を彼に話した。9 「呪法師の長ベルテシャツァルよ、私は、聖なる神の霊がおまえにあり、どんな秘密もおまえには難しくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その意味を言ってもらいたい。10 私の寝床で幻が頭に浮かんだ。私が眺めていると、見よ、地の中央に木があった。それは非常に高かった。11 その木は生長して強くなり、その高さは天に届いて、地の果てのどこからもそれが見えた。12 葉は美しく、実も豊かで、その木にはすべてのものの食べ物があった。その木陰では野の獣が憩い、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われた。13 寝床で頭に浮かんだ幻の中で見ていると、見よ、一人の見張りの者、聖なる者が天から降りて来るではないか。14 彼は力強く叫んで、こう言った。『その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。15 ただし、その根株は、鉄と青銅の鎖をかけて、地に、野の若草の中に残せ。天の露にぬれさせて、地の青草を獣と分け合うようにせよ。16 その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、七つの時をその上に過ぎ行かせよ。17 この宣言は見張りの者たちの決定によるもの、この要請は聖なる者たちのことばによるもの。これは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最も低い者をその上に立てることを、いのちある者たちが知るためである。』18 私ネブカドネツァル王が見た夢とはこれだ。ベルテシャツァルよ、おまえはその意味を述べよ。私の国の知者たちはだれも、その意味を私に告げることができない。しかし、おまえにはできる。おまえには、聖なる神の霊があるからだ。」   4章はネブカデネツァルの二番目夢の話です。4章、2章と3章の後、かなり時間を過ぎた後のことです。バビロンの征服戦争も終わり、バビロン社会は安定していました。これまで夢の解釈とダニエルの3人の友たちを介して、王はすでに否定することができない、神の力を経験しました。   とはいえ、王が神様への信仰を持つことではありません。神様を見せてくれれば信じると言う人がいますが、神様を経験しても、神を信じることはしません。外部で起こる出来事や現象は、信仰のきっかくを提供することはありますが、信仰は自分の内部から起こることだからです。それは神様の存在について自信がないのではなくてそれを認め、変化すべき自分に対して自信がないからです。ということで経験したにもかかわらず、信じない状態を続きます。   王は権力を持っている人でありますが、言い換えれば、権力という鎖に縛られて自由がない人でもあります。王が神様を経験したのは、いくつかの事件だったかもしれませんが、帝国の宗教政策は、時間と手間をかけて体系的に変えなければなら面倒でかつ危険なことです。これに自信がない場合に「まだよく分からない」と言うことになります。信仰は、人生のありさまを変えるものであってその変化を恐れると、神様は「保留」状態になります。   王は神を経験し、それを自分の口で告白しましたが、バビロンの神、マルドゥクとベルも自分にとって大切な神でした。多神論の中で部分的な神様を認めているのです。人々は神秘があれば、そこに神を付与しますが、神秘な中の神秘は創造の神を知ることであり、救いの神が信じられる神秘です。   本文は王の詔書です。夢を見て、ダニエルがそれを解釈してから1年が経った後に、過去にあったそのことを回顧しながら書いたものです。夢に現れた豊かな木は帝国です。帝国は平安と繁栄していました。これは神によるものです。そして、その木を扱う存在が天から降りてきます。栄えと成功を与える方が神様であるならば、それを制限し、裁く方も神様です。   王は、この夢とその間の時間を過ごして新たに神様がイスラエルのだけの神ではなく、全世界の主であり、全能の神であることを告白します。人生が歩んできた道を振ふり返ってみたとき、神はないと言える人は誰もいません。目を隠しても空はあるように認めなくても、神様はおられます。神様がいないのではなく、神様を信じないだけです。  

다니엘 QT8 20201123월【다신론자의 간증】다니엘 4장1~18

다니엘 4:1~184:1 느부갓네살 왕은 천하에 거하는 백성들과 나라들과 각 방언하는 자에게 조서하노라 원하노니 너희에게 많은 평강이 있을지어다4:2 지극히 높으신 하나님이 내게 행하신 이적과 기사를 내가 알게 하기를 즐겨하노라4:3 크도다 그 이적이여 능하도다 그 기사여 그 나라는 영원한 나라요 그 권병은 대대에 이르리로다4:4 나 느부갓네살이 내 집에 편히 있으며 내 궁에서 평강할 때에4:5 한 꿈을 꾸고…

한국어 예배 (2020-11-22)

히브리서 2:11-1811 거룩하게 하시는 자와 거룩하게 함을 입은 자들이 다 하나에서 난지라 그러므로 형제라 부르시기를 부끄러워 아니하시고12 이르시되 내가 주의 이름을 내 형제들에게 선포하고 내가 주를 교회 중에서 찬송하리라 하셨으며13 또 다시 내가 그를 의지하리라 하시고 또 다시 볼지어다 나와 및 하나님께서 내게 주신 자녀라 하셨으니14 자녀들은 혈육에 함께 속하였으매 그도 또한 한 모양으로 혈육에…

日本語礼拝 (2020-11-22)

ヘブル人への手紙 2:11-1811 聖とする方も、聖とされる者たちも、みな一人の方から出ています。それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせずに、こう言われます。12 「わたしは、あなたの御名を兄弟たちに語り告げ、会衆の中であなたを賛美しよう。」13 また、「わたしはこの方に信頼を置く」と言い、さらに、「見よ。わたしと、神がわたしに下さった子たち」と言われます。14 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、15 死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。16 当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。17 したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。18 イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。

ダニエル QT7 20201121土【しかし、たとえそうでなくても】ダニエル3章13~23

ダニエル 3章13~23 13 ネブカドネツァルは怒り狂い、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来るように命じた。それでこの三人は王の前に連れて来られた。14 ネブカドネツァルは彼らに対して言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴよ。おまえたちは私の神々に仕えず、また私が建てた金の像を拝みもしないというが、本当か。15 今、もしおまえたちが、角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよい。しかし、もし拝まないなら、おまえたちは、即刻、火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか。」16 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは王に答えた。「ネブカドネツァル王よ、このことについて、私たちはお答えする必要はありません。17 もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。18 しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」19 すると、ネブカドネツァルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くするように命じた。20 また彼の軍隊の中の特に力の強い者たちに、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って、火の燃える炉に投げ込むように命じた。21 三人は、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られ、火の燃える炉の中に投げ込まれた。22 王の命令が急であり、炉が非常に熱かったので、その炎はシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを持ち上げた者たちを焼き殺した。23 この三人、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ちて行った。   金の斧と銀の斧の話は白いひげのお爺さんの話で知られていますが、この物語は本来イソップ寓話として描かれ、白いひげのお爺さんはギリシャ神話のエルメスです。   話に登場する二人の木こりの一人は真実な人で、もう一人はどん欲でずるい人でした。真実な木こりにとっては金の斧と銀の斧より大切なのは、自分が落としてしまった鉄の斧でした。それは不変の真実です。複雑ではありません。欲に縛られなければ、真実というのは単純で大胆なものです。あなたの斧は、金の斧か、銀の斧か、という質問に、私の斧は鉄の斧ですと言うべきです。   私たちは物語の結論を知っています。真実な木こりは真実を守ったゆえに、金の斧と銀の斧、鉄の斧すべてをいただき、どん欲でずるい木こりは自らの企みによって鉄の斧も失ってしまいました。真実が変わことはありませんが、ただ、それを守る人と、自分の利益のために真実を歪曲する人がいるだけです。   高い官職が与えられても、あるいは命が奪われても、真実はいつまでも真実です。真実を守る人であれば、自分が信じている神は金の像ではなく、天地を造られた父なる神であると言います。それは状況に応じて変わることではありません。   シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはこの危機の中、神様が助けてくださることを信じましたが、たとえそうでなくても、彼らはただ一人の神様に礼拝することを宣言します。真実を真実どおり守ることが信仰告白です。   つまり信仰を守るために命を捨てることではありません。誤解してはいけません。神様は殺す方ではなく、生かす方です。死ぬことで信仰を証明するのではなく、信仰は生きることで実現するものです。決して後者が前者より容易なことではないでしょう。   もちろん信仰を告白するときの状況が危険であったり、困難であったりする場合もあります。しかし、その結果を恐れず、真実を伝えるのです。死ぬほどの勇気があるかどうかが問われているのではなく、何が真実なのかが問われているからです。真実がなくて、勇気を出すことはありません。信じてもないことのために命をかける人はいないからです。   「しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」ダニエルの三人の友だちに命をかけるような特段の勇気や犠牲は描かれていません。彼らは単純かつ大胆でした。金の斧も銀の斧も必要ありません。ただ、鉄の斧を鉄の斧であると言うだけです。「しかし、たとえそうでなくても」変わらない真実、ただお一人の方を礼拝するのです。  

다니엘 QT7 20201121토【그리 아니하실지라도】다니엘 3장13~23

다니엘 3:13~233:13 느부갓네살 왕이 노하고 분하여 사드락과 메삭과 아벳느고를 끌어 오라 명하매 드디어 그 사람들을 왕의 앞으로 끌어온지라3:14 느부갓네살이 그들에게 물어 가로되 사드락, 메삭, 아벳느고야 너희가 내 신을 섬기지 아니하며 내가 세운 그 신상에게 절하지 아니하니 짐짓 그리하였느냐3:15 이제라도 너희가 예비하였다가 언제든지 나팔과 피리와 수금과 삼현금과 양금과 생황과 및 모든 악기 소리를 듣거든 내가 만든…

ダニエル QT6 20201120【全体主義の恐れの前に】ダニエル3章1~12

ダニエル 3章1~12 3:1 ネブカドネツァル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に建てた。3:2 そして、ネブカドネツァル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を招集し、ネブカドネツァル王が建てた像の奉献式に出席させることにした。3:3 そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカドネツァル王が建てた像の奉献式に集まり、ネブカドネツァル王が建てた像の前に立った。3:4 伝令官は力強く叫んだ。「諸民族、諸国民、諸言語の者たちよ。あなたがたはこう命じられている。3:5 あなたがたが角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞いたときは、ひれ伏して、ネブカドネツァル王が建てた金の像を拝め。3:6 ひれ伏して拝まない者はだれでも、即刻、火の燃える炉に投げ込まれる。」3:7 それで、すべての民が角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民族、諸国民、諸言語の者たちは、ひれ伏して、ネブカドネツァル王が建てた金の像を拝んだ。3:8 このため、この機会に、あるカルデア人たちが進み出て、ユダヤ人たちを中傷して言った。3:9 彼らはネブカドネツァル王に告げた。「王よ、永遠に生きられますように。3:10 王は、『角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞いたときは、すべてひれ伏して、金の像を拝め。3:11 ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め』と命令されました。3:12 あなたがバビロン州の行政をつかさどらせた何人かのユダヤ人がおります。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴです。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、お建てになった金の像を拝みもいたしません。」   ネブカドネツァル王が金の像を造りました。夢で見た金の像の頭が自分だということ、また当時世界最強の征服者であるという現実的な自信感が金の像を作ったかもしれません。しかし、夢と解き明かしの核心は、強者の自信感ではなく、肉体の虚しさにあります。ネブカデネツァルがその中核を理解していたようには思いません。   当時のバビロンとペルシャにおいて神像というのは一般的な文化でした。通常は、5メートルほどの像ですが、ネブカドネツァルが立てた像の大きさは、換算すると高さが30メートル、幅が3メートルにも及ぶ巨大なものでした。ヘロドトスという歴史家によれば、この神像はバビロンの神、ベルの像であり、22トンの金で造られたとされています。王はすべての官僚を呼び集め、雄大な神像の落慶式に参加して、それを拝するように命令しました。   そうでない場合の処罰まで明らかにしておきました。「ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。」拝するのは神だけでしょうか。王の威厳と業績を拝むことを意味しています。火の燃える炉は高い火力のカプセルのようなもので蜂の巣状の鉄作り、その上から蓋を開くことができ、横には、風の戸があって遠くからその中を見ることができる構造でした。   バビロン官僚は皆ベルの神像を本当に慕って拝したのか、それとも燃える炉に投げ入れると言う王が怖くて拝したのかは、分かりません。いずれにせよ皆が像を拝しました。ところが、そこに参加して神像に拝むべき官僚の中にはダニエルの3人の友、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴも含まれています。彼らは像を拝みませんでした。   これには、勇気が必要です。その勇気というのは、真の神様を信じているので、偶像に拝まないという原則的なこと以上に、現実的なものです。すべての人が敬拝している状況の中で自分だけがひれ伏さずに、立っていなければならない恐怖に対する勇気です。拝さなければ、社会的な不利益を受けなければならない、つまりイジメへの覚悟です。皆が忠誠をしている中で自分だけが不敬しなければならない、いわば逆走です。全体主義への恐れです。   中世には、信仰と礼拝を法に定めて強要し、近代は侵略と暴力をもって宗教を移植しようとしました。その全体主義の中で本当の礼拝は、窒息したわけであります。今も変わっていません。文化の伝統、愛国に名乗って宗教を統治のイデオロギーにする社会で自分一人それに抵抗するということは恐ろしいことです。   クリスチャンが神社参拝をしなければならかった時代の現実的な問題は何だったでしょうか?神様よりも当時の全体化された社会がより怖かったからです。私だけが違う、皆がやっているのに私だけは損を被る。それは文化であり、伝統であり、国民儀礼に過ぎないという偽りに耐えなければ、時代の偶像から抜け出すことはできません。   帝国の全体主義が抑圧していた信仰と礼拝ということについて話しましたが、もう一つの全体主義を言及しなければなりません。それは、教会が成している全体主義です。教会がもう一つの全体主義になって惰性に陥った儀式を行い、他人を強制することです。そういった体制で楽に礼拝していた時代のキリスト教会は健全ではありませんでした。全体の中に灰色の保護色を着たカメレオンになっては、コラムデオの礼拝をすることはできません。   私たちはしばしば「礼拝堂にはなく、世の中で礼拝者として生きる」ということを言います。でも実際にそれは怖いことです。教会に出席しなくてもよいという自由を言うのではない、世の中で平和ではなく、剣で生きるという宣戦布告です。主流化されていき、全体化されていく中で批判的改革意識を持って戦う個人の信仰によって教会は神様への本来の礼拝を守っていくことができるのです。