Ⅱ列王記 黙想 【一緒に作る奇跡】 20240627(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 4:18~374:18 その子が大きくなって、ある日、刈り入れをする者たちと一緒にいる、父のところに出て行ったとき、4:19 父親に、「頭が、頭が」と言った。父親は若者に、「この子を母親のところに抱いて行ってくれ」と命じた。4:20 若者はその子を抱き、母親のところに連れて行った。この子は昼まで母親の膝の上に休んでいたが、ついに死んでしまった。4:21 彼女は屋上に上がって、神の人の寝台にその子を寝かせ、戸を閉めて出て行った。4:22 彼女は夫に呼びかけて言った。「どうか、若者一人と、雌ろば一頭を私のために出してください。私は急いで神の人のところに行って、すぐに戻って来ますから。」4:23 すると彼は、「どうして、今日あの人のところに行くのか。新月祭でもなく、安息日でもないのに」と言ったが、彼女は「かまいません」と答えた。4:24 彼女は雌ろばに鞍を置き、若者に命じた。「手綱を引いて進みなさい。私が命じなければ、手綱を緩めてはいけません。」4:25 こうして彼女は出かけて、カルメル山の神の人のところへ行った。神の人は、遠くから彼女を見つけると、若者ゲハジに言った。「見なさい。あのシュネムの女があそこに来ている。4:26 さあ、走って行って彼女を迎え、言いなさい。『あなたは無事ですか。あなたのご主人は無事ですか。お子さんは無事ですか』と。」彼女はそれにこう答えた。「無事です。」4:27 それから彼女は山の上にいる神の人のところに来て、彼の足にすがりついた。ゲハジが彼女を追い払おうと近寄ると、神の人は言った。「そのままにしておきなさい。彼女の心に悩みがあるのだから。主はそれを私に隠し、まだ私に知らせておられないのだ。」4:28 彼女は言った。「私がご主人様に子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか。」4:29 そこでエリシャはゲハジに言った。「腰に帯を締め、手に私の杖を持って行きなさい。たとえだれかに会っても、あいさつしてはならない。たとえだれかがあいさつしても、答えてはならない。そして、私の杖をあの子の頭の上に置きなさい。」4:30 その子の母親は言った。「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。」エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。4:31 ゲハジは二人より先に行って、その杖を子どもの頭の上に置いたが、何の声もなく、何の応答もなかった。そこで引き返してエリシャに会い、「子どもは目を覚ましませんでした」と報告した。4:32 エリシャが家に着くと、その子は寝台の上に死んで横たわっていた。4:33 エリシャは中に入り、戸を閉めて、二人だけになって主に祈った。4:34 それから、寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せ、自分の口をその子の口の上に、自分の目をその子の目の上に、自分の両手をその子の両手の上に重ねて、その子の上に身をかがめた。すると、その子のからだが温かくなってきた。4:35 それからエリシャは降りて、部屋の中をあちらこちらと歩き回り、また寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開けた。4:36 彼はゲハジを呼んで、「あのシュネムの女を呼んで来なさい」と言った。ゲハジが彼女を呼んだので、彼女はエリシャのところに来た。そこでエリシャは、「あなたの子どもを抱き上げなさい」と言った。4:37 彼女は入って来て彼の足もとにひれ伏し、地にひれ伏した。そして、子どもを抱き上げて出て行った。   シュネムの女の奉仕とエリシャの配慮で生まれた子どもが、ある日頭痛を訴えて急に死んでしまいます。シュネムの女は死んだ子どもをエリシャのために作った部屋に入れ、エリシャに会いにカルメル山へ出発します。悲しみや不安、動揺を示す形容詞は全くありません。シュネムの女は何にも振り回されず、ただエリシャに会い、エリシャを連れてくることにのみ集中します。シュネムの女はゲハジを相手にしませんが、それはゲハジを無視しているのではなく、エリシャにだけ集中しているからです。どんな助言者や協力者がいても、私を救う方はただイエス・キリストお一人であるように、シュネムの女にとってはエリシャお一人だけです。夫にエリシャに集中できるように頼み、死んだ子どもをエリシャの部屋に入れておきました。ゲハジを送ろうとするエリシャに対しても、断固として直接行かなければならないと言いました。   この件に関してはエリシャの状況判断が遅れています。むしろシュネムの女がエリシャをリードしています。子どもを生かす力は確かにエリシャにあります。しかし、生かしたいという切なる思いについては誰もシュネムの女には及びません。預言者ですが、神様はエリシャにこの出来事について知らせていませんでした。その理由をエリシャ自身も知らないと告白しましたが、それはシュネムの女の信仰の領域のためであるのでしょう。シュネムの女の子どもを失った母の切なる思いが息子を生かし、エリシャの使命を完成させました。エリシャに臨んだ神様の力はシュネムの女の息子を生かし、シュネムの女に臨んだ信仰と愛はエリシャに子を生かす力を与えました。真の同労者です。  

열왕기하 묵상 【함께 만드는 기적】 20240627(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 4:18~374:18 그 아이가 저으기 자라매 하루는 곡식 베는 자에게 나가서 그 아비에게 이르렀더니4:19 그 아비에게 이르되 내 머리야 내 머리야 하는지라 그 아비가 사환에게 명하여 그 어미에게로 데려가라 하매4:20 곧 어미에게로 데려갔더니 낮까지 어미의 무릎에 앉았다가 죽은지라4:21 그 어미가 올라가서 아들을 하나님의 사람의 침상 위에 두고 문을 닫고 나와서4:22 그 남편을 불러 이르되 청컨대…

Ⅱ列王記 黙想 【シュネムの女】 20240626(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 4:8~174:8 ある日、エリシャがシュネムを通りかかると、そこに一人の裕福な女がいて、彼を食事に引き止めた。それ以来、エリシャはそこを通りかかるたびに、そこに寄って食事をするようになった。4:9 女は夫に言った。「いつも私たちのところに立ち寄って行かれるあの方は、きっと神の聖なる方に違いありません。4:10 ですから、屋上に壁のある小さな部屋を作り、あの方のために寝台と机と椅子と燭台を置きましょう。あの方が私たちのところに来られるたびに、そこを使っていただけますから。」4:11 ある日、エリシャはそこに来て、その屋上の部屋に入って横になった。4:12 彼は若者ゲハジに言った。「ここのシュネムの女を呼びなさい。」ゲハジが呼ぶと、彼女はゲハジの前に立った。4:13 エリシャはゲハジに言った。「彼女にこう伝えなさい。『本当に、あなたはこのように、私たちのことで一生懸命骨折ってくれたが、あなたのために何をしたらよいか。王か軍の長に、何か話してほしいことでもあるか』と。」彼女はそれにこう答えた。「私は私の民の間で、幸せに暮らしております。」4:14 エリシャが「では、彼女のために何をしたらよいだろうか」と言うと、ゲハジは言った。「彼女には子がなく、それに、彼女の夫も年をとっています。」4:15 エリシャが、「彼女を呼んで来なさい」と言ったので、ゲハジが彼女を呼ぶと、彼女は入り口のところに立った。4:16 エリシャは言った。「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになる。」すると彼女は言った。「いいえ、ご主人様。神の人よ、このはしために偽りを言わないでください。」4:17 しかし、この女は身ごもり、エリシャが彼女に告げたとおり、翌年のちょうどそのころに男の子を産んだ。   エリシャの動線はシュネムという地域を頻繁に通ったようです。シュネムにはエリシャが来るたびに食事をもてなす女性がいて、彼女は夫と相談し、エリシャのために家に別棟を用意し、御言葉を準備する環境を提供しました。エリシャは感謝し感動して、その家に何が必要かを尋ねましたが、彼女は自分には何も不足しているものはないと言いました。王か軍の長に、何か話してほしい頼むことはなかったのです。しかし、エリシャは彼女に子どもがいないことを知り、来年のこの時期に息子を産むだろうと預言しました。彼女は信じませんでしたが、結局、エリシャの言葉通り妊娠し、翌年に息子を産みました。   一食をもてなすことは人の心ですが、命を授けるのは神様の力です。神が神であることを示す方法の一つが、一人を選んで用いることです。勢力ではありません。一人に神様の力が現れ、その人を通して神様の栄光が現れ、そして神様のご計画が進展します。ということで一人に賜物と力が与えられ、その一人には助け手や同労者が与えられます。誰がエリシャのような神様の人であるかはわかりませんが、神様の人には、神様を愛する人が同労者として与えられます。神の人エリシャを助けたシュネムの女性は、自分が期待も想像もしなかった最大の祝福を受けました。エリシャのような神の人とシュネムの女性のような同労者の歩みには証しが絶えません。  

열왕기하 묵상 【수넴 여인】 20240626(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 4:8~174:8 하루는 엘리사가 수넴에 이르렀더니 거기 한 귀한 여인이 저를 간권하여 음식을 먹게 한고로 엘리사가 그곳을 지날 때마다 음식을 먹으러 그리로 들어갔더라4:9 여인이 그 남편에게 이르되 항상 우리에게로 지나는 이 사람은 하나님의 거룩한 사람인 줄을 내가 아노니4:10 우리가 저를 위하여 작은 방을 담 위에 짓고 침상과 책상과 의자와 촛대를 진설하사이다 저가 우리에게 이르면 거기…

Ⅱ列王記 黙想 【油の壺一つと空の器】 20240625(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 4:1~74:1 預言者の仲間の妻の一人がエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは主を恐れていました。ところが、債権者が来て、私の二人の子どもを自分の奴隷にしようとしています。」4:2 エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。私に話しなさい。あなたには、家の中に何があるのか。」彼女は答えた。「はしためには、家の中に何もありません。ただ、油の壺一つしかありません。」4:3 すると、彼は言った。「外に行って、近所の皆から、器を借りて来なさい。空の器を。それも、一つや二つではいけません。4:4 家に入ったら、あなたと子どもたちの背後の戸を閉めなさい。そしてすべての器に油を注ぎ入れなさい。いっぱいになったものは、わきに置きなさい。」4:5 そこで、彼女は彼のもとから去って行き、彼女と子どもたちが入った背後の戸を閉めた。そして、子どもたちが次々と自分のところに持って来る器に油を注ぎ入れた。4:6 器がどれもいっぱいになったので、彼女は子どもの一人に言った。「もっと器を持って来なさい。」その子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。4:7 彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行ってその油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」   預言者の仲間が若くして亡くなり、その未亡人が困難な状況をエリシャに伝えて助けを求めました。彼らには借金があり、債権者が二人の息子を奴隷にしようとしている危機的な状況でした。エリシャは未亡人に「何か持っているものはありますか?」と尋ね、彼女は「油の壺一つしかありません」と答えました。エリシャは、借りられるだけの空の器を持ってくるように指示しました。未亡人が持ってきた器に油を注ぎ始めると、油は尽きることなく、器がすべて満たされました。器がなくなると油も止まりました。その油を売って借金を返済し、家族は生活できるようになりました。   今でも誰かの必要は満たされます。常に準備すべきことは二つあります。一つは、自分が持っている小さい油の壺、そしてもう一つは恵みを受け取るための最大限の器です。神様が用い始める時、制限されないように、自分の領域、才能、資源、情熱を準備することです。空の器の大きさは信仰の大きさです。そして、それを引き起こすのは自分が持っている小さなものです。自分が持っている小さな資源と、それに神の供給を受け入れる空の器が準備されるならば、恵みは無限に与えられるでしょう。資本や組織の準備ではなく、信仰が宿る空の器の準備です。自分が持っている一壺の油と、自分が準備する空の器とは何かを深く黙想し、それが満たされるのを待ちたいと思います。  

열왕기하 묵상 【기름 한 병과 빈 그릇】 20240625(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 4:1~74:1 선지자의 생도의 아내 중에 한 여인이 엘리사에게 부르짖어 가로되 당신의 종 나의 남편이 이미 죽었는데 당신의 종이 여호와를 경외한 줄은 당신이 아시는 바니이다 이제 채주가 이르러 나의 두 아이를 취하여 그 종을 삼고자 하나이다4:2 엘리사가 저에게 이르되 내가 너를 위하여 어떻게 하랴 네 집에 무엇이 있는지 내게 고하라 저가 가로되 계집종의 집에 한…

Ⅱ列王記 黙想 【代表性の原理】 20240624(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 3:13~273:13 エリシャはイスラエルの王に言った。「私とあなたの間に何の関わりがあるでしょうか。あなたの父の預言者たちや、母の預言者たちのところに行かれたらよいでしょう。」すると、イスラエルの王は彼に言った。「いや、モアブの手に渡すために、この三人の王を呼び集めたのは、主だ。」3:14 エリシャは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。もし私がユダの王ヨシャファテの顔を立てるのでなければ、私は決してあなたに目も留めず、あなたに会うこともしなかったでしょう。3:15 しかし今、竪琴を弾く者をここに連れて来てください。」竪琴を弾く者が竪琴を弾き鳴らすと、主の手がエリシャの上に下り、3:16 彼は次のように言った。「主はこう言われます。『この涸れた谷にはたくさんの水がたまる。』3:17 主がこう言われるからです。『風を見ず、大雨を見なくても、この涸れた谷には水があふれる。あなたがたも、あなたがたの家畜も、動物もこれを飲む。』3:18 これは主の目には小さなことです。主はモアブをあなたがたの手に渡されます。3:19 あなたがたは、城壁のある町々、立派な町々をことごとく打ち破り、すべての良い木を切り倒し、すべての水の源をふさぎ、すべての良い畑を石をもって荒らすでしょう。」3:20 朝になって、ささげ物を献げるころ、なんと、水がエドムの方から流れて来て、この地は水で満たされた。3:21 モアブ人はみな、王たちが自分たちを攻めに上って来たことを聞いた。よろいを着けることができる者はすべて呼び集められ、国境の守備に就いた。3:22 翌朝早く起きてみると、太陽が水の面を照らしていた。モアブ人は、向こう側の水が血のように赤いのを見て、3:23 こう言った。「これは血だ。きっと王たちが切り合って、同士討ちをしたに違いない。さあ今、モアブよ、分捕りに行こう。」3:24 彼らがイスラエルの陣営に攻め入ると、イスラエルは立ってモアブ人を討った。モアブ人はイスラエルの前から逃げた。イスラエルは攻め入って、モアブ人を討った。3:25 さらに、彼らは町々を破壊し、すべての良い畑にだれもが石を投げ捨てて石だらけにし、すべての水の源をふさぎ、すべての良い木を切り倒した。ただキル・ハレセテにある石だけが残ったが、その町も石を投げる者たちが取り囲み、これを打ち破った。3:26 モアブの王は、戦いが自分に不利になっていくのを見て、剣を使う者七百人を引き連れ、エドムの王のところに突き入ろうとしたが、果たせなかった。3:27 そこで、彼は自分に代わって王となる長男を取り、その子を城壁の上で全焼のささげ物として献げた。このことのゆえに、イスラエル人に対する激しい怒りが起こった。そこでイスラエル人は、そこから引き揚げて、自分の国へ帰って行った。   アハブの子、ヨラムがユダとエドムを連合し、モアブと戦争をしようとしています。北イスラエルのアハブを覚えているエリシャはヨラムを冷たく扱いますが、ユダの王ヨシャファテの顔を立てて連合軍を助けます。干ばつで苦しんでいた連合軍に水を提供し、モアブ軍は日の出で水が赤く染まるのを見て、それを連合軍同士の内紛によって血の水が流れていると勘違いし、先制攻撃を仕掛けましたが敗北します。窮地に立たされたモアブの王は、必死の抵抗の意思で自分の息子を人身供犠として捧げると、連合軍はこれを見て撤退します。まさに奇怪な状況です。ヨシャファテが北イスラエルとエドムと連合軍を組むのも奇妙ですし、その連合軍がエリシャに助けを求め、エリシャがそれに応じるのも奇妙です。モアブ軍が日の出に映る水を見て血の海だと思い略奪に出たことも奇怪であり、モアブの王が王子を敵軍の前で全焼のささげ物として捧げたことは驚愕すべきことです。連合軍はその光景に圧倒され、モアブを最後まで制圧せずに解散します。   エリシャがこの出来事に関与した唯一の理由は、ユダ王王ヨシャファテの要請です。エリシャは言いました。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。もし私がユダの王ヨシャファテの顔を立てるのでなければ、私は決してあなたに目も留めず、あなたに会うこともしなかったでしょう。3:14」エリシャが動いたのは、ヨシャファテという一人の正しい人の名前のためです。ヨシャファテが連合軍に加担したことが良かったのかどうかは分かりませんが、ヨシャファテが神様の人であるという代表性がエリシャを動かしたことは確かです。パウロはローマ人への手紙とコリント人への手紙においてこの代表性について語りました。最初のアダムが人類の代表として罪を犯し、その結果、罪と死が全人類に入りました。私は善と悪を知るの木の実を食べたことはありませんが、アダムの代表性の中でその結果が私の中にあります。第二のアダムであるイエス・キリストは、贖いの死と復活を通して、回復の代表性を持っておられます。代表性の中で罪が入り、代表性の中で救いを得ました。救いの代表性はイエス・キリストにありますが、私はそれを信じる信仰の代表性を持ってこの世を生きると願います。  

열왕기하 묵상 【대표성의 원리】 20240624(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 3:13~273:13 엘리사가 이스라엘 왕에게 이르되 내가 당신과 무슨 상관이 있나이까 당신의 부친의 선지자들과 당신의 모친의 선지자들에게로 가소서 이스라엘 왕이 저에게 이르되 그렇지 아니하니이다 여호와께서 이 세 왕을 불러 모아 모압의 손에 붙이려 하시나이다3:14 엘리사가 가로되 내가 섬기는 만군의 여호와의 사심을 가리켜 맹세하노니 내가 만일 유다 왕 여호사밧의 낯을 봄이 아니면 당신을 향하지도 아니하고 보지도…

列王記第二 黙想 【別れからの祝福】 20240621(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 2:1-14 2:1 主がエリヤを竜巻に乗せて天に上げようとされたときのこと、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。 2:2 エリヤはエリシャに「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから」と言った。しかしエリシャは言った。「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。 2:3 すると、ベテルの預言者の仲間たちがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「今日、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っていますが、黙っていてください」と答えた。 2:4 エリヤは彼に「エリシャ、ここにとどまっていなさい。主が私をエリコに遣わされたから」と言った。しかし彼は言った。「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコにやって来た。 2:5 するとエリコの預言者の仲間たちがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「今日、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っていますが、黙っていてください」と答えた。 2:6 エリヤは彼に「ここにとどまっていなさい。主が私をヨルダンへ遣わされたから」と言った。しかし彼は言った。「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、二人は進んで行った。 2:7 一方、預言者の仲間たちのうち五十人は、行って遠く離れて立った。二人がヨルダン川のほとりに立ったとき、 2:8 エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水が両側に分かれたので、二人は乾いた土の上を渡った。 2:9 渡り終えると、エリヤはエリシャに言った。「あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい。」するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と言った。 2:10 エリヤは言った。「あなたは難しい注文をする。しかし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことはあなたにかなえられるだろう。できないなら、そうはならない。」 2:11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行った。 2:12 エリシャはこれを見て、「わが父、わが父、イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫び続けたが、エリヤはもう見えなかった。彼は自分の衣をつかみ、それを二つに引き裂いた。 2:13 それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。 2:14 彼は、エリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられるのですか」と言った。エリシャが水を打つと、水が両側に分かれ、彼はそこを渡った。      中世時代に腐敗したキリスト教の歴史の中には、純粋な信仰を守るための闘いもありました。それは修道院運動です。修道院は世俗のものを捨て、修道院に入り、その中で敬虔な生活を学び、実践する場所でありました。教会が世俗化され、聖職者たちが腐敗して、自ら信仰を守ることが難しかった者たちにとって、その修道院という場所は夢みたいな場所であったでしょう。  御言葉を教えてくれる先生がいて、一緒に訓練する仲間たちがいて、どこでも誰とでも深い信仰の話ができる場所は、今の私たちにも夢みたいに思われる場所かもしれません。  エリヤの弟子としてその後ろをついていったエリシャの人生もそうだったでしょう。心強い先生がいて、仲間預言者たちがいて、いつも信仰の道について学べるところ、それがエリヤの隣でした。そして、今日の箇所と非常に似ている内容、その隣を離れたくない弟子たちの話は、新約聖書のイエス様の弟子たちを通しても見ることができます。  二つの話の重要な共通点は、先生との別れの時に与えられる神様の力です。  先生の隣を離れるということは、これから自分が誰かの先生になること、今まで先生の後をついていった道を、これからは自分が先に歩まなければならないということです。そのような思い責任を負うことになる弟子たちの不安と恐れは、彼らの足を止めるに十分なのでしょう。  しかし、夢みたいな修道院生活、夢みたいな先生の隣の場所は、いつか離れなければならない場所です。私たちは学んだことを私たちの中に止まらせるのではなく、学んだことを他人に与えなければならない者たちであるからです。  その旅に立つ者たちには神様が彼の霊を注いでくださいます。イエス様は私たちがその霊を通してイエス様ご自身がなさったことより、もっと大きなこともできると言われました。実際、私たちの最大の祝福、その夢みたいな瞬間は、修道院に住む時も、先生の隣にとどまる時にあるのではありません。その場所と分かれてからこそ初めて、私たちに最大の祝福が与えられるのです。  分かれるということ、その不安と恐れに向き合って世の中に進んでいく決断をしたイエス様の弟子たちを、神様は決して一人にさせません。新しい力を与えてくださり、新しい出会いを与えてくださり、その中でいつも彼らと共におられるのです。https://youtu.be/WZ39YWJU5pA?si=-24vz9taSVRHiWpE

열왕기하 묵상 【떠남 속에 주어지는 축복】 20240621(금) 최종석 전도사

열왕기하 2:1-14 2:1 여호와께서 회오리 바람으로 엘리야를 하늘로 올리고자 하실 때에 엘리야가 엘리사와 더불어 길갈에서 나가더니 2:2 엘리야가 엘리사에게 이르되 청하건대 너는 여기 머물라 여호와께서 나를 벧엘로 보내시느니라 하니 엘리사가 이르되 여호와께서 살아 계심과 당신의 영혼이 살아 있음을 두고 맹세하노니 내가 당신을 떠나지 아니하겠나이다 하는지라 이에 두 사람이 벧엘로 내려가니 2:3 벧엘에 있는 선지자의 제자들이…