크리스마스 묵상 【아기 예수의 울음소리】 20241225(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

누가복음 2:1~14 2:1 이때에 가이사 아구스도가 영을 내려 천하로 다 호적하라 하였으니 2:2 이 호적은 구레뇨가 수리아 총독 되었을 때에 첫번 한것이라 2:3 모든 사람이 호적하러 각각 고향으로 돌아가매 2:4 요셉도 다윗의 집 족속인고로 갈릴리 나사렛 동네에서 유대를 향하여 베들레헴이라 하는 다윗의 동네로 2:5 그 정혼한 마리아와 함께 호적하러 올라가니 마리아가 이미 잉태되었더라 2:6 거기…

クリスマス 黙想 【赤んぼイエスの泣き声】 20241225(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ルカによる福音書 2:1~14 2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。 2:2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。 2:3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。 2:4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 2:5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。 2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、 2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。 2:8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。 2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」 2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。 2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」   ローマ皇帝アウグストゥスの命令によって、ヨセフとマリアは人口調査のためにベツレヘムへ向かうことになりました。この旅は単なる行政手続きではなく、神の救済計画が成就する重要な契機となるものでした。そこベツレヘムで、マリアは宿を見つけることができず、家畜小屋で息子を産み、その赤子を飼い葉桶に寝かせました。その夜、野原で羊を飼っていた羊飼いたちに天使が現れ、イエスの誕生を告げました。「この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます」と御使いは伝えます。そして天には軍勢が整列し、「いと高きところに栄光が神にあり、地には平和がある」と宣言し、神の栄光の賛美をささげます。 地上では、この出来事に注目した者は誰一人いませんでした。羊飼いたちはただ夜通し羊の番をしていて、ヨセフとマリアは皇帝の命令に従って本籍地に向かう旅人の身でした。この出来事の背景には、快適さとは程遠い、寒い早朝の野原と、臭く汚れた家畜小屋がありました。イエス・キリストの誕生は牧歌的でもロマンチックでもありません。それはむしろ、貧しい人々の厳しい現実を象徴しています。貧しい者たちは生計を立てるために眠ることもできず、疲れ果てた夜を過ごしていました。ヨセフは旅の途中で出産間近の妻のための宿を用意できず、必死に探し回るしかありませんでした。マリアは準備も整わない中、息子を産むことになったのです。 神が人として来られたその日は、眠ることも、横になる場所を見つけることもできなかった貧しく疲れた人々の日常のただ中でした。神は高く栄光に満ちた場所ではなく、最も低く弱い場所に降りて来られ、人間の苦しみと不安を直接体験されました。それは宗教的な象徴や抽象的な概念ではなく、具体的で現実的な出来事でした。救いは遠くで起こる出来事ではありません。それは、神が人間の具体的な人生の実存の中に入って来られたことにほかなりません。クリスマスは、神が人間として来られ、人の苦しみと痛みに寄り添い始められた日です。赤子イエスの唯一の発音は泣き声だけでしたが、その泣き声には低きところに共におられる愛が込められています。イエスの誕生は、私たちの苦しみと痛みのただ中に来られ、その重荷を直接引き受けてくださる神の愛の証です。その愛は、上から降り注ぐ愛ではなく、低きところで共にいてくださる愛です。このクリスマスに、神が私たちの日常の中に来られたこと、そしてその愛と恵みを深く思い巡らしながら過ごしましょう。

クリスマス 黙想 【マグニフィカト】 20241224(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ルカによる福音書 1:39~56 1:39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。 1:40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。 1:41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。 1:42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。 1:43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。 1:44 あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。 1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」 1:46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、 1:47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。 1:48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。 1:49 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、 1:50 主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。 1:51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。 1:52 権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。 1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。 1:54 主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。 1:55 私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」 1:56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。   マリアは御使いから自分がイエスを身ごもるという知らせを聞いた後、エリサベツを訪ねます。二人は親戚であり、エリサベツはマリアよりもずっと年上でした。エリサベツはマリアの信仰を祝福し、マリアを「わたしの主の母」と呼びました。聖霊に満たされたエリサベツは、マリアのお腹の中の赤ちゃんがキリストであることを知っていました。婚約中に妊娠し混乱していたマリアがエリサベツを訪ねて交わりを持てたのは、聖霊の導きによるものです。信仰の人が信仰の人と出会うとき、神の御心は明らかになります。マリアはエリサベツとの出会いを通して大きな力を得ました。 エリサベツとの出会いを通して、マリアは信仰の確信を得て、いわゆる「マリアの賛歌(マグニフィカト)」を歌います。全能なる神、聖なる神の豊かな憐れみを賛美します。神は高ぶる者を低くし、へりくだる者を高く引き上げて用いられます。高慢な者が没落し、富む者が手ぶらで帰る一方で、貧しい者、弱い者、卑しい者が用いられ、彼らを通して約束が成し遂げられることを宣言します。神は世界の主権者であるため、人間のできる最善は従順です。マリアが賛歌を歌ったのは、彼らの生き方そのものが信仰であり、彼らの交わりが詩であり歌であったからでしょう。 マリアは自分の体を捧げ、その体の中でイエス・キリストを宿し、生もうとしている人です。自己を否定し、神の御心に従い献身する人々の対話と交わりは、いつも天上で歌われる賛美のようなものです。少数の献身な人々の集まりや対話の中に、聖霊は常に共におられます。そのような交わりの中には、神のメッセージと証が表されます。マリアは三か月間エリサベツの元に滞在した後、帰宅しました。マリアは神の確かな御心と信仰の確信を持って、より大胆になって家に戻りました。マリアが帰った後、エリサベツはバプテスト・ヨハネを出産し、マリアは胎内のイエスの胎動を感じ始めたことでしょう。母と子の従順を通して、受肉が成し遂げられています。

크리스마스 묵상 【마그니피카】 20241224(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

누가복음 1:39~56 1:39 이 때에 마리아가 일어나 빨리 산중에 가서 유대 한 동네에 이르러 1:40 사가랴의 집에 들어가 엘리사벳에게 문안하니 1:41 엘리사벳이 마리아의 문안함을 들으매 아이가 복중에서 뛰노는지라 엘리사벳이 성령의 충만함을 입어 1:42 큰 소리로 불러 가로되 여자 중에 네가 복이 있으며 네 태중의 아이도 복이 있도다 1:43 내 주의 모친이 내게 나아오니 이 어찌…

크리스마스 묵상 【은혜를 받은 자】 20241223(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

누가복음 1:26~38 1:26 여섯째 달에 천사 가브리엘이 하나님의 보내심을 받들어 갈릴리 나사렛이란 동네에 가서 1:27 다윗의 자손 요셉이라 하는 사람과 정혼한 처녀에게 이르니 그 처녀의 이름은 마리아라 1:28 그에게 들어가 가로되 은혜를 받은 자여 평안할찌어다 주께서 너와 함께하시도다 하니 1:29 처녀가 그 말을 듣고 놀라 이런 인사가 어찌함인고 생각하매 1:30 천사가 일러 가로되 마리아여 무서워…

クリスマス 黙想 【恵まれた方】 20241223(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ルカによる福音書 1:26~38 1:26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。 1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。 1:28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 1:29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。 1:30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。 1:31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。 1:32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。 1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」 1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」 1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。 1:36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。 1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」 1:38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。     ガリラヤのナザレに住んでいた乙女マリアのもとに御使いガブリエルが現れました。御使いはマリアを「恵まれた方」と呼びました。期待せずにはいられない呼び名です。どのような恵みを受けたのでしょうか。その恵みは婚前に妊娠し、男の子を産むという恵みです。その子の名前がイエスです。神の子であり、ダビデの預言を引き継ぎ、イスラエルの永遠の王となるという預言を受けましたが、マリアは婚前妊娠と出産について合理的な疑問を持たざるを得ませんでした。しかし、御使いは神の力によってこれを一喝しました。そしてマリアは従うことを決心します。 レビ記と申命記によれば、婚前の性的関係は死刑に値します。婚前の妊娠は婚前の性的関係を前提とするため、マリアには命を失うかもしれない恐怖がありました。信じるということは状況を計算することよりも神様の御言葉を信頼することが優先されることを意味します。マリアの婚前の出産そのものが、イエス様が律法を拒絶して誕生されるということを象徴しているのではないかと考えました。婚約者ヨセフも最初はマリアを疑いました。マリアは妊娠後、多くの社会的な圧力を受けたことでしょう。出産も旅先の馬小屋で行われました。貧しい生活を送り、息子が十字架で死ぬ親不孝の痛みを経験しなければなりませんでした。ルカの福音書2章35節で「剣があなたの心を突き刺すように」とシメオンが預言した通りでした。 マリアが受けた恵みとは何かを考えざるを得ません。マリアが受けた恵みは、少なくとも個人の安泰に関するものではないようです。彼女は辛い人生を送りました。そう考えると、本日の本文に登場するすべての人物が神様の召しによる特別な恵みを受けましたが、皆同様に苦労の人生を送った人々でした。マリアとヨセフもそうでしたし、ダビデやヤコブもそうでした。言葉では言い尽くせないほどの苦労をしながら生きてきた人々です。彼らの苦労に満ちた人生は、神様の贖いを遂げていく一片なのです。 恵まれた方とは、より多くの人にその恵みを繋げる架け橋となる人です。それによってマリアの恵みが恵みとして成り立つのです。恐ろしく、苦労が伴うかもしれませんが、神の人はそれに従うでしょう。従わなければならないと言いたくはありません。神の人は従うようになるのです。それがたとえ苦労であっても、それこそが恵みであると告白します。マリアも、自分の息子であるイエスによって救われなければならない一人の人間です。マリアは自分の従順を通して、自分の救いも確保しました。マリアは確かに恵まれた方です。

요한계시록 묵상 【돌아갈 수 없는 그날들】 20241219(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 18:9~24 18:9 그와 함께 음행하고 사치하던 땅의 왕들이 그 불붙는 연기를 보고 위하여 울고 가슴을 치며 18:10 그 고난을 무서워하여 멀리 서서 가로되 화 있도다 화 있도다 큰성, 견고한 성 바벨론이여 일시간에 네 심판이 이르렀다 하리로다 18:11 땅의 상고들이 그를 위하여 울고 애통하는 것은 다시 그 상품을 사는 자가 없음이라 18:12 그 상품은 금과…

黙示録 黙想 【戻れないあの日々】 20241219(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 18:9~24 18:9 彼女と淫らなことを行い、ぜいたくをした地の王たちは、彼女が焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣いて胸を打ちたたく。 18:10 彼らは遠く離れて立ち、彼女の苦しみに恐れをなして、「わざわいだ、わざわいだ、大きな都、力強い都バビロンよ。あなたのさばきは一瞬にしてなされた」と言う。 18:11 また、地の商人たちは彼女のことで泣き悲しむ。彼らの商品を買う者が、もはやだれもいないからである。 18:12 商品とは、金、銀、宝石、真珠、亜麻布、紫布、絹、緋色の布、あらゆる香木、あらゆる象牙細工、高価な木材や青銅や鉄や大理石で造ったあらゆる器具、 18:13 シナモン、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、小麦粉、小麦、家畜、羊、馬、馬車、奴隷、それに人のいのちである。 18:14 「おまえの心が欲しがる果物は、おまえから遠ざかり、ぜいたくな物や華やかな物は、すべておまえから消え失せて、もはや決して見出すことはできない。」 18:15 これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみに恐れをなして、遠く離れて立ち、泣き悲しんで言う。 18:16 「わざわいだ、わざわいだ、大きな都よ。亜麻布、紫布、緋色の布をまとい、金、宝石、真珠で身を飾っていたが、 18:17 あれほどの富が、一瞬にして荒廃に帰してしまった。」また、すべての船長、その場所を航海するすべての者たち、水夫たち、海で働く者たちもみな、遠く離れて立ち、 18:18 彼女が焼かれる煙を見て、「これほどの大きな都がほかにあっただろうか」と叫んだ。 18:19 彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫んだ。「わざわいだ、わざわいだ、大きな都よ。海に船を持つ者たちはみな、ここでその繁栄から富を得ていたのに、その都が一瞬にして荒れ果ててしまうとは。」 18:20 「天よ、この都のことで喜べ。聖徒たちも使徒たちも預言者たちも喜べ。神があなたがたのために、この都をさばかれたのだから。」 18:21 また、一人の強い御使いが、大きいひき臼のような石を取り上げ、海に投げ込んで言った。「大きな都バビロンは、このように荒々しく投げ捨てられ、もはや決して見出されることはない。 18:22 竪琴を弾く者たち、歌を歌う者たち、笛を吹く者たち、ラッパを鳴らす者たちの奏でる音が、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。あらゆる技術を持つ職人たちも、おまえのうちで、もはや決して見出されることはない。石臼の音も、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。 18:23 ともしびの光も、おまえのうちで、もはや決して輝くことはない。花婿と花嫁の声も、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。というのは、おまえの商人たちが地上で権力を握り、おまえの魔術によってすべての国々の民が惑わされ、 18:24 この都の中に、預言者たちや聖徒たちの血、また地上で屠られたすべての人々の血が見出されたからである。」   バビロンと共に淫行にふけり、贅沢な生活を送っていた世の王たちは、その都市から立ち上る煙を遠くから見つめ、悲しみ、嘆きます。しかし彼らの悲しみは、バビロンを助けたいという思いからではなく、ただ自分たちの安全や安泰が脅かされることへの不安から来るものです。バビロンを通して富を得ていた商人たちも、もはや商品を売ることができなくなった現実に涙します。王たち、商人たち、そして貿易業者たちはバビロンの崩壊によって自らの富が途絶えたことを嘆きますが、その悲しみの本質は自らの利益を失ったことだけにあります。貪欲によって結ばれた関係の結末は、結局、自己中心的な裏切りへと行き着くのです。 しかし、天ではバビロンの滅亡を喜び、神に栄光を帰します。それは神の公正な裁きが悪を終わらせ、正義を打ち立てるからです。正義は、不義によって覆い隠された真実を明らかにするために存在します。不義と堕落に満ちた権力が崩れ去った場所にこそ、政治的、経済的、そして社会的に尊厳ある人間の権利が守られるようになるのです。 強い御使いが大きな臼のような石を取り上げ、海に投げ込む姿は、バビロンの滅亡がもはや取り返しのつかないものであることを象徴しています。そこでは、もう二度と音楽の響き、働く人々の音、灯りの光、そして花婿と花嫁の喜びの声が聞こえることはありません。この視覚的、聴覚的なイメージは、どこか懐かしさや寂しさを感じさせます。もし貪欲に支配されず、日常の価値を愛しながら生きていたならば、これらの日常の要素はすべて美しいものだったはずです。 バビロン、すなわちこの地上の生は、私たちに与えられたたった一度の機会です。霊的に生きるということは、神秘的で非現実的な何かを追い求める生き方ではありません。それは、人間らしく生き、共に生きる市民としての責任を果たし、神を認め、聖徒としての姿勢を守ることです。日常と共同体の中で信仰を実践し、神と共に歩むことこそが、真の霊的な生き方なのです。

요한계시록 묵상 【죄에 참여하지 마라】 20241218(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 18:1~8 18:1 이 일 후에 다른 천사가 하늘에서 내려오는 것을 보니 큰 권세를 가졌는데 그의 영광으로 땅이 환하여지더라 18:2 힘센 음성으로 외쳐 가로되 무너졌도다 무너졌도다 큰 성 바벨론이여 귀신의 처소와 각종 더러운 영의 모이는 곳과 각종 더럽고 가증한 새의 모이는 곳이 되었도다 18:3 그 음행의 진노의 포도주를 인하여 만국이 무너졌으며 또 땅의 왕들이 그로…

黙示録 黙想 【罪に関わらない】 20241218(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 18:1~8 18:1 その後、私は、もう一人の御使いが、大きな権威を持って天から下って来るのを見た。地はその栄光によって照らされた。 18:2 彼は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンは倒れた。それは、悪霊の住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた憎むべき獣の巣窟となった。 18:3 すべての国々の民は、御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と淫らなことを行い、地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得たからだ。」 18:4 それから私は、天からもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わたしの民は、この女の罪に関わらないように、その災害に巻き込まれないように、彼女のところから出て行きなさい。 18:5 彼女の罪は積み重なって天に達し、神は彼女の不正を覚えておられるからです。 18:6 あなたがたは、彼女が支払ったとおりに彼女に報いなさい。彼女の行いに応じて倍にして返しなさい。彼女が混ぜ合わせた杯の中に、彼女のために倍のものを混ぜ合わせなさい。 18:7 彼女が自分を誇り、ぜいたくにふけった分だけ、苦しみと悲しみを彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王として座し、やもめではない。だから悲しみにあうことはない』と言っているからです。 18:8 これらのことのため、一日のうちに、様々な災害、死病と悲しみと飢えが彼女を襲います。そして、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は、力ある方なのです。」   天から降りてきた天使は、バビロンの滅亡と神の裁きが迫っていることを宣言します。世界の王たちや商人たちが裁かれるのは、腐敗した政治と貪欲な経済が自分たちの不正な利益ばかりを追い求めたからです。本来、政治や経済はすべての人が安心して共に食べ、飲むためにあるべきものです。しかし、貪欲はその平和な日常を脅かし、破壊してしまったのでしょう。 バビロンは悪霊の住みかとなり、汚れた霊が集まる場所になると語られています。これは、神が貪欲によって腐敗した権力をどれほど憎んでおられるかを示すものです。権力を特権のように享受する者もいますが、その権力は誰かの権利を奪い、誰かに苦しみを強いて得たものです。バビロンが滅びる運命にあることを「悪霊の住みか」「汚れた霊の集まる場所」と表現することで、悪霊と汚れた霊の正体が明らかにされます。つまり、人間の貪欲や偽りこそが、悪霊であり汚れた霊にほかなりません。 天からもう一つの声が響きます。それは神の民にバビロンから離れるよう警告しています。「その罪に加わらず、その災いを受けることのないように」と。逃げられるなら逃げるべきです。なぜなら、私たちの周囲の環境が与える影響は非常に強力だからです。周りの人々が皆、崖に向かって走っているなら、気づかぬうちに自分もその流れに従ってしまうでしょう。しかし、時代の流れに流されることなく、神の言葉に耳を傾け、その道を信じて歩むことこそが、霊的で安全な生き方なのです。 バビロンは自らを女王と称し、「私はやもめにはならず、悲しみに遭うこともない」と思い込んでいました。しかし、それは自己を欺いた結果です。もし冷静に自分を見つめ、反省することができていたなら、最初からそのような生き方はしなかったでしょう。しかし、神の裁きが下るとき、バビロンの繁栄は一瞬にして崩れ去ります。自らが犯した罪の重さに応じて裁かれ、贅沢と栄華を楽しんだ分、苦しみと悲しみを味わうことになるのです。 日々を誠実に生きる者にとって、世の堕落も神の裁きも恐れるものではありません。堕落した世の中に流されることなく、涙を拭ってくださる神の到来を心から喜び、希望とするのです。罪に加わることなく、災いを避ける道を歩むべきです。それは権力や貪欲に囚われた人々には決してできないことでしょう。しかし、アドベントと年の終わりのこの時期、自らの中にある貪欲の正体をしっかりと見つめることができるなら、それこそが霊的な人なのです。