사도행전 묵상10 【박해 가운데 하나되는 공동체】 20230628 (수) 사도행전 4장 23~37

사도행전 4장 23~374:23 사도들이 놓이매 그 동류에게 가서 제사장들과 장로들의 말을 다 고하니4:24 저희가 듣고 일심으로 하나님께 소리를 높여 가로되 대주재여 천지와 바다와 그 가운데 만유를 지은 이시요4:25 또 주의 종 우리 조상 다윗의 입을 의탁하사 성령으로 말씀하시기를 어찌하여 열방이 분노하며 족속들이 허사를 경영하였는고4:26 세상의 군왕들이 나서며 관원들이 함께 모여 주와 그 그리스도를 대적하도다 하신…

使徒の働き 黙想9 【自分たちが見たこと、聞いたこと】 20230627 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 4章 13~22

使徒の働き 4:13~224:13 彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。4:14 そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。4:15 彼らは二人に議場の外に出るように命じ、協議して言った。4:16 「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。4:17 しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」4:18 そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。4:19 しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。4:20 私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」4:21 そこで彼らは、二人をさらに脅したうえで釈放した。それは、皆の者がこの出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、二人を罰する術がなかったからである。4:22 このしるしによって癒やされた人は、四十歳を過ぎていた。   神様を信じない人は神様がなされたことを見ても信じません。何かの結果として信じないのではなく、信じないことが本来の目的だから信じないです。自分が信じたいことを信じるだけです。奇跡を見ても奇跡の原因を考えず、現状を否定することに汲々としています。ユダヤの宗教はペテロに伝道するな警告します。「イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならない18」 どのようにあいて病人が癒されたのかについては関心はありません。   伝道してはいけないと脅されてペテロは伝道せざる得ないと強く抵抗しています。「私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。20」 神様から伝道を命じられているから、あなたたちの伝道してはいけない命令にに私は従えないということです。ペテロの発言がはらはらします。要求条件を聞き入れ、一旦釈危機から逃れれば良いのですが、ペテロは彼らに一言も負けません。怖くないようです。昔のペテロではありません。   ペトロが見聞きしたことを油に例えてみると、聖霊はその油に火をつけるようなことです。ペテロだけの経験ではありません。私も見たことがあり、聞いたことがあり、読んだことがあり、学んだことがあり、悟ったことがあります。それに聖霊が火をつけてくだされば世に向かって堂々と、明瞭に伝えることができるでしょう。私が読んで、私が聞いて、私が出会ったイエス·キリストを言わざるを得ません。世に向かって福音を語る聖霊の人になりたいと願います。

사도행전 묵상9 【우리가 보고 들은 것】 20230627 (화) 사도행전 4장 13~22

사도행전 4장 13~224:13 저희가 베드로와 요한이 기탄없이 말함을 보고 그 본래 학문 없는 범인으로 알았다가 이상히 여기며 또 그 전에 예수와 함께 있던 줄도 알고4:14 또 병 나은 사람이 그들과 함께 섰는 것을 보고 힐난할 말이 없는지라4:15 명하여 공회에서 나가라 하고 서로 의논하여 가로되4:16 이 사람들을 어떻게 할꼬 저희로 인하여 유명한 표적 나타난 것이 예루살렘에…

使徒の働き 黙想8 【Solus Christus】 20230626 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 4章 1~12

使徒の働き 4:1~124:1 ペテロとヨハネが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが二人のところにやって来た。4:2 彼らは、二人が民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝えていることに苛立ち、4:3 二人に手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。4:4 しかし、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになった。4:5 翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。4:6 大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。4:7 彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。4:8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。4:9 私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、4:10 皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。4:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」   イエス·キリストを救いの主として信じる聖徒は、イエス·キリストが唯一の救いであると告白しますが、イエス·キリストを信じない人はキリスト教を独断的な宗教だと非難します。創造主を信じる人は神様が絶対者であると告白しますが、神様を信じない人はキリスト教を排他的な宗教だと批判します。   自分を産んだ実の母が2人以上いることはあり得ません。それを認めるのは「独断性」ではなく、「唯一性」です。社会の中で多様性が認められることを願いますが、その多様性というものは絶対者によって創造された被造物です。多様性が認められるためには、多様性ををお創りになった絶対的な根源を認めなければなりません。   神様が天地を創造する前の状態は茫漠と闇でした。秩序のない状態はカオス(混沌)です。 神様は時空間を作り、その秩序の上で万物を多様に創造されました。 だから、神様の秩序を認めない世の多様性は混沌と混乱です。   絶対者は人間に救いの装置を提示しました。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。ヨハネ 8:32」 救いの真理は唯一で絶対的なものです。 しかし、それだけが人間を自由にします。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。12」 Solus Christus! (ただイエス) 私の唯一の救いの主イエス·キリストを告白して一日を始めます。

사도행전 묵상8 【Solus Christus】 20230626 (월) 사도행전 4장 1~12

사도행전 4장 1~124:1 사도들이 백성에게 말할 때에 제사장들과 성전 맡은 자와 사두개인들이 이르러4:2 백성을 가르침과 예수를 들어 죽은자 가운데서 부활하는 도 전함을 싫어하여4:3 저희를 잡으매 날이 이미 저문고로 이튿날까지 가두었으나4:4 말씀을 들은 사람 중에 믿는 자가 많으니 남자의 수가 약 오천이나 되었더라4:5 이튿날에 관원과 장로와 서기관들이 예루살렘에 모였는데4:6 대제사장 안나스와 가야바와 요한과 알렉산더와 및 대제사장의…

使徒の働き 黙想7 【水面下の働き】 20230625 (日) 枝川愛の教会 使徒の働き 3章 11-26

使徒の働き 3章 11-26 3:11 この人がペテロとヨハネにつきまとっているうちに、非常に驚いた人々がみな、「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所にいた彼らのところに、一斉に駆け寄って来た。 3:12 これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。 3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの父祖たちの神は、そのしもべイスラエルに栄光をお与えになりました。あなたがたはこの方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。 3:14 あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、 3:15 いのちの君を殺したのです。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。 3:16 このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。 3:17 さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。 3:18 しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。 3:19 ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。 3:20 そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。 3:21 このイエスは、神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して語られた、万物が改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。 3:22 モーセはこう言いました。「あなたがたの神、主は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。彼があなたがたに告げることすべてに聞き従わなければならない。 3:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、自分の民から断ち切られる。」 3:24 また、サムエルをはじめ、彼に続いて語った預言者たちもみな、今の時について告げ知らせました。 3:25 あなたがたは預言者たちの子であり、契約の子です。この契約は、神がアブラハムに『あなたの子孫によって、地のすべての民族は祝福を受けるようになる』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたものです。 3:26 神はまず、そのしもべを立てて、あなたがたに遣わされました。その方が、あなたがた一人ひとりを悪から立ち返らせて、祝福にあずからせてくださるのです。」 使徒ペテロとヨハネを通して起こった奇跡はだれも聞いたことも、見たこともない新しい奇跡ではありませんでした。以前、イエス様が起こし、そうなさることを聖書は続いて預言して来たからです。他のだれでもない、旧約聖書についてだれよりも詳しいはずのユダヤ人たちにはこの奇跡も、この前のイエス様の奇跡と苦難の道も実になじみがあるはずのことです。実際、イエス様を見て、イエスがそのメシアではないかと思った人々もいました(ヨハネの福音書7:40-43) しかし、今日、ペテロは彼らに‘無知のためにあのような行いをした’と言っています。旧約聖書の内容をしらないユダヤ人って思いもつかないですが、それが神様のなさったことだとしたら、すぐ納得できます。 “すると主は言われた。「行って、この民に告げよ。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』と。この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を固く閉ざせ。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒やされることもないように。」”(イザヤ書6:9-10) 預言者イザヤを通して神様ははっきり預言しました。イエス様もこの預言を成し遂げるために弟子たちにも、悪霊たちにも口止めしました。(マタイ16:20,マルコ3:11,ルカ4:41)神様の計画は神様の時に成し遂げなければならないからです。 時間がたってからこそ見える神様の働きがあります。私たちが気づかないうちにも、神様はご自分の良い計画を私たちに成し遂げてくださるからです。今、私たちの目には神様の働きが見えないとしても、神様は私たちのために相変わらずご自分の働きを続いていらっしゃいます。神様から受けた約束が私たちの頭の中で薄くなった時にも、神様はその約束を覚え、神様の時に成し遂げてくださいます。毎日の日常の中でこの事実を確信しながら、全てのことに感謝をささげる枝川愛の教会になることを願います。

사도행전 묵상7 【물밑작업】 20230625 (일) 사도행전 3장 11-26

사도행전 3장 11-26 3:11 나은 사람이 베드로와 요한을 붙잡으니 모든 백성이 크게 놀라며 달려 나아가 솔로몬의 행각이라 불리우는 행각에 모이거늘 3:12 베드로가 이것을 보고 백성에게 말하되 이스라엘 사람들아 이 일을 왜 놀랍게 여기느냐 우리 개인의 권능과 경건으로 이 사람을 걷게 한 것처럼 왜 우리를 주목하느냐 3:13 아브라함과 이삭과 야곱의 하나님 곧 우리 조상의 하나님이 그의…

使徒の働き 黙想6 【本質的な必要】 20230624 (土) 枝川愛の教会 使徒の働き 3章 1-10

使徒の働き 3:1-10 3:1 ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。 3:2 すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。その人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。 3:3 彼は、ペテロとヨハネが、宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。 3:4 ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。 3:5 彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。 3:6 すると、ペテロはいった。「金銀は私にはない。しかい、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 3:7 そして彼の右手をとって立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、 3:8 踊り上がってたち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。 3:9 人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。 3:10 そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。 当時、ユダヤ人の伝統の一つであった午前九時、正午、午後三時の一日三回の祈祷時間、その時の宮の‘美しの門’の前は、いわゆる施しの‘人気スポット’でありました。その中でもこの午後三時は、祈祷のために宮を訪ねる人々で一番人込みの時間でした。 その当時のユダヤ人たちの大事な徳目の一つは‘貧しい者たちの救済’でした。だからこそ神様の宮に捧げる金品をもって、宮を訪ねるユダヤ人たちを対象にした施しは戦略的に素晴らしいです。そして、この素晴らしい戦略的な施しによってペテロとヨハネを引き込むことができました。 今までこのような姿で日々を過ごして来た‘生まれつき足の不自由な人’は使徒ペテロの呼び声に何かもらえると期待して、二人に目を注ぎました。その一瞬、彼は‘今日の夕食は何にしようか’と幸せな悩みをしてたかも知れません。しかし、彼がもらったのは彼にとっては想像もできなかったことでした。 “すると、ペテロはいった。「金銀は私にはない。しかい、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」”(使徒3:6) 毎日その一日の必要を満たすために施し続けた彼に、もうこれ以上施しをしなくても生きていけるように、‘本質的な必要’を満たしてあげたのです。 このように教会は人の本質的な必要を満たすことができる存在です。確かに私たちは周りの人々の一瞬の必要を満たしてあげなければなりません。しかし、その一瞬の必要を満たすことにとどまらず、その人々の本質的な必要、永遠の必要になるイエス・キリストを伝えなければなりません。枝川愛の教会がこのように人々の本質的な必要を満たしていく教会になることを願います。

사도행전 묵상6 【본질적인 필요】 20230624 (토) 사도행전 3장 1-10

사도행전 3장 1-10 3:1 제 구 시 기도 시간에 베드로와 요한이 성전에 올라갈새 3:2 나면서 못 걷게 된 이를 사람들이 메고 오니 이는 성전에 들어가는 사람들에게 구걸하기 위하여 날마다 미문이라는 성전 문에 두는 자라 3:3 그가 베드로와 요한이 성전에 들어가려 함을 보고 구걸하거늘 3:4 베드로가 요한과 더불어 주목하여 이르되 우리를 보라 하니 3:5 그가 그들에게서…

使徒の働き 黙想5 【イエスをつけたもの】 20230623 (金) 枝川愛の教会 使徒の働き 2章 37~47

使徒の働き 2:37~47 2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。 2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、わたしたちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」 2:40 ペテロは、ほかに多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。 2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。 2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりをもち、パンを裂き、祈りをしていた。 2:43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。 2:44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、 2:45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。 2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。 聖霊を臨んだペテロの説教を聞いた人々は‘心を刺され’ペテロに自分たちのやるべきことに対して問います。その人々が心を刺された理由はなんでしょうか。その理由は、ペテロの説教の中で見つけられます。ペテロはこの説教の最初と最後にその対象を明らかにしています。その人々はキリストを十字架につけたものたちです。(使徒2:14,36) 自分が十字架につけたイエスが神様の右の座に着いていると聞いた彼らは恐れるべきでしょう。どうにかして自分の間違いを直したいと思ったはずです。そういう人々にペテロが、ペテロに臨んだ聖霊が伝えた言葉はとてつもない要求ではありませんでした。恐ろしい裁きの預言でもありませんでした。むしろ、彼らへの愛と恵みをこめた救いの御言葉でした。 “そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。”(使徒2:38) 彼らに与えられたのは力強い者も弱き者も、ユダヤ人であっても異邦人あってもだれであっても差別なく、神である主が召される人ならだれにでも与えられる賜物である聖霊でした。この召し、賜物である聖霊を受けた者たちはバプテスマを受け、信仰の仲間に加えられました。そして、その聖霊によって以前とは違う生き方に変えられ、そのため、更に多くの人々が賜物である聖霊、神様の救いを受けるようになりました。 今、私たちの心には‘刺され’があるんでしょうか。イエスを十字架につけたものは当時にエルサレムに住んでいた人たち、ユダヤ人たちだけではありません。イエス様は今の私たちの罪の赦しのために十字架につけられました。まさに私たちがイエス様を十字架につけたのです。 なので、私たちは罪の赦しのために悔い改めて、イエス・キリストの名にバプテスマを受けなければなりません。そして、賜物である聖霊を受け、世の中の人々とは違う生き方をもって生きていかなければなりません。神様はこの私たちを通して今日も救われる人々を加えてくださいます。枝川愛の教会が神様の福を受けた共同体に、また、神様の福を世の中に流す共同体になることを願います。