詩篇 黙想25【門よ頭を上げよ】220628(火) 枝川愛の教会

詩篇 24:1~1024:1 地とそこに満ちているもの世界とその中に住んでいるものそれは主のもの。24:2 主が海に地の基を据え川の上にそれを堅く立てられたからだ。24:3 だれが主の山に登り得るのか。だれが聖なる御前に立てるのか。24:4 手がきよく心の澄んだ人そのたましいをむなしいものに向けず偽りの誓いをしない人。24:5 その人は主から祝福を受け自分の救いの神から義を受ける。24:6 これこそヤコブの一族。神を求める者たちあなたの御顔を慕い求める人々である。セラ24:7 門よおまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ上がれ。栄光の王が入って来られる。24:8 栄光の王とはだれか。強く力ある主。戦いに力ある主。24:9 門よおまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ上がれ。栄光の王が入って来られる。24:10 栄光の王それはだれか。万軍の主この方こそ栄光の王。セラ   22章では絶望的な苦難を受け,23章では義の道に導かれ,たましいが生き返り,24章は栄光の王が勝利します。「門よ頭を上げよ」ということの解釈は、心を大きく開くという命令でありますし、喜んで楽しむということでもあります。そして、この門は、長い間に閉じられていた門です。   王が来るときには、その栄光を受け入れなければなりませんが、門が頭を下げているようです。頭を上げて王を認め、王の栄光を見、それを受け入れなければなりません。地面だけを見つめると、天の栄光を見ることができないからです。栄光の王に降伏し、心の門を開き、王を受け入れることは決して卑劣な敗北ではありません。王の勝利を共有する栄光です。   イエス様を信じ受け入れた日のことはそうでした。心の中に古くて固く閉まった門を開いたら、心の中に喜びがありました。大きい期待感がありました。その門は「永遠の戸」になります。心のロック装置を解除し、神様に向けて心を開放する時、勝利の喜びを味わうことになります。今日も暑いですが、空は高いです。頭を下げて地面だけを見つめないで、天に向かって頭を上げ、門を開き、勝利の栄光を味わうことを願います。  

시편 묵상25【문들아 머리들어라】220628(화) 에다가와 사랑의 교회

시편 24:1~1024:1 땅과 거기 충만한 것과 세계와 그 중에 거하는 자가 다 여호와의 것이로다24:2 여호와께서 그 터를 바다 위에 세우심이여 강들 위에 건설하셨도다24:3 여호와의 산에 오를 자 누구며 그 거룩한 곳에 설 자가 누군고24:4 곧 손이 깨끗하며 마음이 청결하며 뜻을 허탄한데 두지 아니하며 거짓 맹세치 아니하는 자로다24:5 저는 여호와께 복을 받고 구원의 하나님께 의를 얻으리니24:6…

詩篇 黙想24【Before Psalm 23】220627(月) 枝川愛の教会

詩篇 23:1~623:1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。23:2 主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。23:3 主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。23:4 たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。23:5 私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。23:6 まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。   少しの余裕もない都市生活の中で23編は「緑の牧場といこいのみぎわ」への安らぎを思い出させます。そんな牧歌的な黙想を妨げるつもりはありませんが、23編が語る「緑の牧場といこいのみぎわ」はどこかには存在している物理的な空間ではありません。緑の牧場に伏させる前には食べる草がなく、いこいのみぎわに伴われる前には安息がなく、飲み水がなくてのどが渇いていました。たましいを生き返らせる前にはたましいは死んだようでした。敵は私の食卓と杯をひっくり返えし、人生はしおたれています。ダメージを恐れなければならない死の陰の谷を歩きました。それが23編をもたらした23編の現実的な背景です。   誰でも逃れることも誇ることもない生老病死と喜怒哀楽の人生を歩きますが、その道の上で神様が主権者であることを認めるなら、その時に詩篇23編の「緑の牧場といこいのみぎわ」は広がります。「主は私の羊飼い」と告白するなら、不足が足りて、死んでいったたましいが生き返られます。主の「杖」は神様のみことばに信頼する信仰であり、「むち」は羊が危険な道に入るときにたたき、安全な道に戻します。主がともにおられますから、死の陰の谷を歩むとしてもわざわいを恐れません。敵の前で私を豊かに祝福し、私に香油を注ぎ、杯が溢れます。だから、ダビデは誓います。「まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。23:6」「緑の牧場といこいのみぎわ」を探し回りますが,主がわたしの羊飼いであると告白し,そのように生きなければ「緑の牧場といこいのみぎわ」を見つけることはできないと思います。

시편 묵상24【Before Psalm 23】220627(월) 에다가와 사랑의 교회

시편 23:1~623:1 여호와는 나의 목자시니 내가 부족함이 없으리로다23:2 그가 나를 푸른 초장에 누이시며 쉴만한 물 가으로 인도하시는도다23:3 내 영혼을 소생시키시고 자기 이름을 위하여 의의 길로 인도하시는도다23:4 내가 사망의 음침한 골짜기로 다닐지라도 해를 두려워하지 않을 것은 주께서 나와 함께 하심이라 주의 지팡이와 막대기가 나를 안위하시나이다23:5 주께서 내 원수의 목전에서 내게 상을 베푸시고 기름으로 내 머리에 바르셨으니…

詩篇 黙想23【認めざる得ない存在の絶望】220625(土) 枝川愛の教会

詩篇 22:1~2122:1 わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず。22:2 わが神昼に私はあなたを呼びます。しかしあなたは答えてくださいません。夜にも私は黙っていられません。22:3 けれどもあなたは聖なる方御座に着いておられる方イスラエルの賛美です。22:4 あなたに私たちの先祖は信頼しました。彼らは信頼しあなたは彼らを助け出されました。22:5 あなたに叫び彼らは助け出されました。あなたに信頼し彼らは恥を見ませんでした。22:6 しかし私は虫けらです。人間ではありません。人のそしりの的民の蔑みの的です。22:7 私を見る者はみな私を嘲ります。口をとがらせ頭を振ります。22:8 「主に身を任せよ。助け出してもらえばよい。主に救い出してもらえ。彼のお気に入りなのだから。」22:9 まことにあなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。22:10 生まれる前から私はあなたにゆだねられました。母の胎内にいたときからあなたは私の神です。22:11 どうか私から遠く離れないでください。苦しみが近くにあり助ける者がいないのです。22:12 多くの雄牛が私を取り囲みバシャンの猛者どもが私を囲みました。22:13 彼らは私に向かって口を開けています。かみ裂く吼えたける獅子のように。22:14 水のように私は注ぎ出され骨はみな外れました。心はろうのように私のうちで溶けました。22:15 私の力は土器のかけらのように乾ききり舌は上あごに貼り付いています。死のちりの上にあなたは私を置かれます。22:16 犬どもが私を取り囲み悪者どもの群れが私を取り巻いて私の手足にかみついたからです。22:17 私は自分の骨をみな数えることができます。彼らは目を凝らし私を見ています。22:18 彼らは私の衣服を分け合い私の衣をくじ引きにします。22:19 主よあなたは離れないでください。私の力よ早く助けに来てください。22:20 救い出してください。私のたましいを剣から。私のただ一つのものを犬の手から。22:21 救ってください。獅子の口から野牛の角から。あなたは私に答えてくださいました。   昨年7月まで読んで中断した詩篇の黙想が再開され、今朝は22章を読みます。この詩篇は、読むだけで息苦しいです。状況は絶望であり、希望は全く見えません。神様の助けがありません。助けてくださいと哀願していましたが、その叫びさえも疲れ果てています。「うめきのことば1」「あなたに叫び5」「水のように注ぎ出され、骨はみな外れ、心はろうのように溶けました14」この苦難の詩篇は、イザヤ53章と共にキリストの十字架を表わす代表的な詩篇です。「わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか1」は、イエス・キリストが十字架の苦しみから吐き出されたうめき声であり、「彼らは私の衣服を分け合い私の衣をくじ引きにします18」を言い換えれば、イエス・キリストは裸になっていることです。 十字架の下で起きた嘲笑と蔑視の事です。   神様がイエス・キリストを十字架の苦しみと、その悲惨な死までに与えたのは、罪を担当させたからです。この苦みは人を救うためであり、生かすためです。罪というものは責任を負わなければならず、その罪の責任のゆえに贖いになって代わりに死ななければなりません。罪の報酬は死だからです。イエス・キリストが今その代わりになったので、苦しみの中から抜け出ることができません。嘲笑って無視され、まるで自分が「虫けら6」であるという実存を発見します。「水のように注ぎ出され、骨はみな外れ、心はろうのように溶けました14」「犬どもが私を取り囲み16」「乾ききり舌は上あごに貼り付いています15」あの死のちりの上に藻掻く多くの苦しみの言語がこの詩を読む自分のものでなければ、十字架を通していただく贖いの恵みも自分のものにはできません。一日を救いと回復の恵みの中で生きるためには、底の絶望を直視しなければなりません。

시편 묵상23【인정할 수밖에 없는 존재의 절망】220625(토) 에다가와 사랑의 교회

시편 22:1~2122:1 내 하나님이여 내 하나님이여 어찌 나를 버리셨나이까 어찌 나를 멀리하여 돕지 아니하옵시며 내 신음하는 소리를 듣지 아니하시나이까22:2 내 하나님이여 내가 낮에도 부르짖고 밤에도 잠잠치 아니하오나 응답지 아니하시나이다22:3 이스라엘의 찬송 중에 거하시는 주여 주는 거룩하시니이다22:4 우리 열조가 주께 의뢰하였고 의뢰하였으므로 저희를 건지셨나이다22:5 저희가 주께 부르짖어 구원을 얻고 주께 의뢰하여 수치를 당치 아니하였나이다22:6 나는 벌레요…

エステル 黙想12【恵みを覚える方法】220624(金) 枝川愛の教会

エステル 9:29~10:39:29 アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を全権をもって書き記し、確かなものとした。9:30 この書簡は、平和と誠実のことばをもって、クセルクセスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、9:31 ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。9:32 エステルの命令はこのプリムに関する事柄を義務づけ、書物に記された。10:1 クセルクセス王は本土と海の島々に苦役を課した。10:2 彼の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の歴代誌』に確かに記されている。10:3 実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。   エステルが女王候補の時代に王室の人々の間で敬愛されように、モルデカイはすべてのユダヤ人に敬愛され、政治的な支持を受けました。モルドカイは、少数民族の出身で虐殺の危機を経験した人でしたが、彼が総理になってからは「自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。」と言われます。君臨したことではなく、全民族の平和のために勤めました。権力を持ち、弱い者を苦しめるハマンのように卑怯ではなく、むしろ権力を通じて弱者を保護するまことの強者です。そういえば、モルデカイがハマンの一党をしっかりと取り除いたのは、ペルシャの平和と安定のためです。   エステルとモルデカイが記念日を制定したのは、恵みを覚えるためです。覚えて記念しなければ、忘却され、状況によってまた揺れてしまうからます。モルデカイが恵みを覚える方法は、プリム祭の制定でもありましたが、神様の恵みの精神を社会に反映することです。モルデカイはハマンの卑怯と暴政を覚えていたので、すべての民の平安と少数民族の権利保障という政策を実施することで神様の恵みを覚えました。それによって全民族に神様の恵みを覚えさせました。モルデカイの端正さというは、自分の身のことだけではなく、総理としての政策にも反映されたのです。エステルの救いは人生の救いで終わらず、救われた民の責任と使命となって続けます。

에스더 묵상12【은혜를 기억하는 방법】220624(금) 에다가와 사랑의 교회

에스더 9:29~10:39:29 아비하일의 딸 왕후 에스더와 유다인 모르드개가 전권으로 글을 쓰고 부림에 대한 이 둘째 편지를 굳이 지키게 하되9:30 화평하고 진실한 말로 편지를 써서 아하수에로의 나라 일백 이십 칠도에 있는 유다 모든 사람에게 보내어9:31 정한 기한에 이 부림일을 지키게 하였으니 이는 유다인 모르드개와 왕후 에스더의 명한 바와 유다인이 금식하며 부르짖은 것을 인하여 자기와 자기 자손을…

エステル 黙想11【救いを記念するジャンチ】220623(木) 枝川愛の教会

エステル9:17~289:17 神は嵐をもって私を傷つけ、理由もなく傷を増し加え、9:18 私に息もつかせず、私を苦しみで満たされる。9:19 もし、力のことなら、見よ、神は強い。もし、さばきのことなら、だれが私を呼び出すのか。9:20 たとえ私が正しくても、私自身の口が私を不義に定める。たとえ私が誠実でも、神は私を曲がった者とされる。9:21 私は誠実だ。しかし私には自分が分からない。私は自分のいのちを憎む。9:22 みな同じことだ。だから私は言う。神は誠実な者も悪い者も、ともに絶ち滅ぼされると。9:23 突然、にわか水が出て人を死なせると、神は潔白な者の受ける試練を嘲られる。9:24 地は悪しき者の手に委ねられ、神は地のさばき人らの顔をおおわれる。神がなさるのでなければ、だれがそうするのか。9:25 私の日々は飛脚よりも速い。それは飛び去って、幸せを見ることはない。9:26 それは葦の舟のように通り過ぎる。獲物をめがけて舞い降りる鷲のように。9:27 たとえ「不平を忘れ、悲しい顔を捨てて明るくふるまいたい」と私が言っても、9:28 自分のあらゆる苦痛に私はおびえています。私はよく知っています。あなたが私を潔白な者となさらないことを。   ユダヤ人たちがハマンの虐殺の計略から救われた喜びを記念する日が「プリム祭」です。イスラエルでは、今でもプリム祭を国家的な祝日として守られています。モルデカイはこの記念日にジャンチ(宴会)を開き、お互いにプレゼントを交わし、貧しい人々に慈善を施すように命じました。それで、今でもユダヤ人は毎年の早春のプリム祭になると、エステルを読み、喜びのプレゼントを送り、貧しい人に対する慈善を施すことを守っています。そしておいしい食事をもって晩餐を楽しみます。   本来、ユダヤ人の三大祭は、過越祭(Passover)と七七節(Pentecost)、そして庵の祭り(Tabernacles)です。これはモーセが律法で定めたものであり,安息日のように聖なる日になります。ところが、プリム祭は律法が定めた季節ではないので、ユダヤ人はプリム祭に働いても、商売をしても、買い物をしてもよいのです。ですから、いつもの祭りとは異なり、町は盛大な楽しみの祭りになります。   エステルには「ジャンチ」がたくさん出てきます。初めからジャンチでした。元王妃ワシュティが廃墟され、エステルが王妃になる時もジャンチであって、ジャンチでハマンを殺し、救われた後もジャンチでその日を記念します。しかし、ユダヤ人はイエス・キリストのない救いを記念しています。モルデカイによる救いは永遠の救いではありません。それはしるしです。神様はイエス・キリストを通して救いの装置を完成しました。   イスラエルはハマンの虐殺から救われましたが、ローマとナチスの虐殺にまた犠牲になりました。救いは歴史の出来事ではなく、魂の永遠の約束です。プリム祭にイスラエルに行かなくても、私たちは毎週のように救いの喜びを覚え、ジャンチを開き、お祝いしています。聖徒とともに晩餐をとり、みことばと生活を分かち合い、主の聖餐にあずかる礼拝が、プリム祭よりも盛大なジャンチなのです。私たちは、食べて、飲んで、また、分かち合って、仕え合うジャンチを通して、プリム祭が知らないイエス・キリストの救いを伝えます。

에스더 묵상11【구원을 기념하는 잔치】220623(목) 에다가와 사랑의 교회

에스더 9:17~28에09:17 아달월 십 삼일에 그 일을 행하였고 십 사일에 쉬며 그 날에 잔치를 베풀어 즐겼고에09:18 수산에 거한 유다인은 십 삼일과 십 사일에 모였고 십 오일에 쉬며 이 날에 잔치를 베풀어 즐긴지라에09:19 그러므로 촌촌의 유다인 곧 성이 없는 고을 고을에 거하는 자들이 아달월 십 사일로 경절을 삼아 잔치를 베풀고 즐기며 서로 예물을 주더라에09:20 모르드개가 이…