욥기 QT46 211124수【고통의 지위】욥기 30장 16~31

욥기 30장 16~3130:16 이제는 내 마음이 내 속에서 녹으니 환난날이 나를 잡음이라30:17 밤이 되면 내 뼈가 쑤시니 나의 몸에 아픔이 쉬지 아니하는구나30:18 하나님의 큰 능력으로 하여 옷이 추하여져서 옷깃처럼 내몸에 붙었구나30:19 하나님이 나를 진흙 가운데 던지셨고 나로 티끌과 재 같게 하셨구나30:20 내가 주께 부르짖으오나 주께서 대답지 아니하시오며 내가 섰사오나 주께서 굽어보시기만 하시나이다30:21 주께서 돌이켜 내게…

ヨブ記 QT45 211123火【裏切りの正体】ヨブ記 30章 1~15

ヨブ記 30章 1~1530:1 しかし今は、私より年下の者たちが私をあざ笑う。あの者たちの父は、かつて私が蔑んで羊の群れの番犬と一緒にいさせた人たちだ。30:2 あの者たちの手の力も何の役に立つだろうか。彼らの気力は失せている。30:3 彼らは欠乏と飢饉で干上がり、乾いた土にさえかじりつく。荒れ果てた廃墟の暗闇で。30:4 彼らは陸ひじきや藪の葉を摘み、えにしだの根を食物とする。30:5 世間からは追い出され、人々は盗人に叫ぶように、彼らに大声で叫ぶ。30:6 谷の斜面や、土の穴、岩の穴に住み、30:7 藪の中でいななき、いらくさの下に群がる。30:8 彼らは愚か者の子たち、名もない者の子たち、国からむちでたたき出された者たちだ。30:9 それなのに、今や私は彼らの嘲りの的となり、その笑いぐさとなっている。30:10 彼らは私を忌み嫌って遠く離れ、私の顔に向かって情け容赦なく唾を吐きかける。30:11 神が私の弓弦を解いて私を苦しめ、彼らが自分の綱を私の前で投げ捨てたのだ。30:12 この生意気な者たちは私の右手に立ち、私の足をもつれさせ、私に対して滅びの道を築いた。30:13 彼らは私の通り道を打ち壊し、私の滅びを進めている。彼らに助ける者はいらない。30:14 彼らは、広い破れ口から入るように、瓦礫となったところになだれ込む。30:15 突然の恐怖が私に降りかかり、私の威厳を、あの風のように吹き払う。私の平穏は、雨雲のように過ぎ去った。   シェイクスピアの『アテネのタイモン』(Timon of Athens)で、主人公のアテネの金持ちタイモンは、莫大で無条件な善行を実践し、アテネ市民に尊敬されていた人です。慈善の規模が大きくなりにつれ、タイモンは破産に至ります。しかし、タイモンは心配しませんでした。自らの共同体が、自分を覚え、助けてくれる、自分が実践した慈悲は、やがて自分にも戻ってくる、と思っていたからです。彼は自分がしてきたことを悔やみませんでした。   しかし、タイモンの期待とは裏腹に、世間は彼を助けようとしませんでした。タイモンに助けられた人や友人たちは、タイモンを蔑み、裏切ります。裏切られたタイモンはアテネを呪い、町から離れます。タイモンは裏切られた気持ちに勝てず、人間を嫌悪しながら死んでいきます。シェイクスピアの人間嫌悪を最大化した作品であると言われていますが、人間をあえて嫌悪したのではなく、かえって人間を直視したのではないでしょうか?タイモンが尊敬されたこと、そして没落と裏切り、そのすべての背景には、タイモンの人格ではなく、彼の経済的能力がありました。   タイモンからお金がなくなると、タイモンという実体も明らかになり、彼に従った人々の実体も明らかになります。タイモンに従った人々、彼に挨拶した人々、彼を尊敬した人々は、経済的能力を失ったタイマンを捨てます。人々の関心がお金にあったため、お金のない人は人々の関心を受けられず、やがて捨てられるのです。拝金主義が純粋な人間の善意を裏切らせ、裏切られた人間は人間を嫌悪します。   29節で読んだヨブは、タイモンのように有名で富んでおり、世の人々の尊敬を受けていました。しかし、彼が没落すると、人々はヨブを侮辱し、捨てました。裏切りが与える傷は深くて大きいものです。失敗には涙を流しますが、裏切りには血の涙が流れます。ただ、ヨブとタイモンの違うところは、タイモンは人間を嫌悪して呪いながら死んでいきましたが、ヨブは自分が受けた蔑みと裏切りが神様の摂理であったと考えた点です。「神が私の弓弦を解いて私を苦しめ、彼らが自分の綱を私の前で投げ捨てたのだ。11」   慈善を施す自分と、自分を賞賛する声を、私たちは警戒すべきでしょう。そして裏切りがあっても驚く必要はありません。聖書は「あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。 マタイ 6:3」と教えています。 ヨブは今、痛みをもって人間を学んでいるのです。

욥기 QT45 211123화【배신의 정체】욥기 30장 1~15

욥기 30장 1~1530:1 그러나 이제는 나보다 젊은 자들이 나를 기롱하는구나 그들의 아비들은 나의 보기에 나의 양떼 지키는 개 중에도 둘만하지 못한 자니라30:2 그들은 장년의 기력이 쇠한 자니 그 손의 힘이 내게 무엇이 유익하랴30:3 그들은 곧 궁핍과 기근으로 파리하매 캄캄하고 거친 들에서 마른 흙을 씹으며30:4 떨기나무 가운데서 짠 나물도 꺾으며 대싸리 뿌리로 식물을 삼느니라30:5 무리는 도적을…

ヨブ記 QT44 211122月【回復の希望】ヨブ記 29章 18~25

ヨブ記 29章 18~2529:18 そこで私はこう思った。「私は自分の巣とともに息絶えるが、自分の日数を砂のように増やす。29:19 私の根は水に向かって伸び広がり、夜露が私の枝に宿る。29:20 私の栄光は私とともに新しくなり、私の弓は私の手によって次々と矢を放つ」と。29:21 人々は期待して私の言うことに聞き入り、私の助言に黙って従った。29:22 私が語った後にはだれも言い返さず、私のことばは彼らの上に降り注いだ。29:23 彼らは雨を待つように私を待ち、後の雨を待つように、口を大きく開けて待った。29:24 私が彼らにほほえみかけると、彼らはそのことを信じることができなかった。彼らが私の顔の光を陰らせることはなかった。29:25 私は彼らの行くべき道を選んでやり、首長のように座に着いた。また、軍勢とともにある王のように住み、嘆き悲しむ人を慰める者のようであった。   ヨブは、自分が共同体の中で信頼された指導者であったと言います。昨日の本文にさかのぼってヨブの人生をまとめてみると、神様が灯りで自分の頭の上を照らしてくださるとき、彼は暗闇の中を恐れずに通りました。 3 あらゆる収穫が豊かで6 皆がが自分の人格と知恵を尊敬しました。7-12 人々はヨブの教えを慕い求めて聞き,それに従いました。皆にとってヨブの言葉は、聞きたい朝露と雨のように降るものでした。12,15-16,24,25 これらが事実なら、ヨブは共同体で知恵と人格を兼ね備え、尊敬された指導者です。   ヨブは、その日の事が思い出しながら懐かしんでいます。過去のことを思い出して往年を誇りたかったわけではありません。今まで生きてきた自分の人生に矛盾と偽りがなかったことを確認するのです。「私の根は水に向かって伸び広がり、夜露が私の枝に宿る。19」は、神様から降りる祝福であり,「…私のことばは彼らの上に降り注いだ。彼らは雨を待つように私を待ち、後の雨を待つように、口を大きく開けて待った。22,23」は、その祝福を隣人に分け与える生き方をしたということです。崩れ落ちている今のヨブにとって、回復は想像しにくいことですが、ヨブは回復を待ち望みます。立てられたのが神様なら、神様は再び立てられます。この状況でも、ヨブが自信を持って回復を望む根拠は、ヨブが神様からいただいた祝福の賜物を無駄に使わない生き方をしたからです。ヨブの回復を応援します。

욥기 QT44 211122월【회복의 소망】욥기 29장 18~25

욥기 29장 18~2529:18 내가 스스로 말하기를 나는 내 보금자리에서 선종하리라 나의 날은 모래 같이 많을 것이라29:19 내 뿌리는 물로 뻗어나가고 내 가지는 밤이 맞도록 이슬에 젖으며29:20 내 영광은 내게 새로와지고 내 활은 내 손에서 날로 강하여지느니라 하였었노라29:21 무리는 내 말을 들으며 나의 가르치기를 잠잠히 기다리다가29:22 내가 말한 후에 그들이 말을 내지 못하였었나니 나의 말이 그들에게…

ヨブ記 QT43 211120土【知恵の行方】ヨブ記 28章 12~28

ヨブ記 28章 12~2828:12 しかし知恵はどこで見つかるのか。悟りがある場所はどこか。28:13 人にはその価値が分からない。それは生ける者の地では見つからない。28:14 深淵は言う。「私の中にはそれはない。」海は言う。「私のところにはない。」28:15 それは純金をもってしても得られない。銀を量ってその代価とすることもできない。28:16 オフィルの金によっても値踏みできない。高価な縞めのうや、サファイアによっても。28:17 金も玻璃もこれと並ぶことができず、純金の器とも取り替えられない。28:18 珊瑚や水晶は言うに及ばず、知恵の価値は真珠にもまさる。28:19 クシュのトパーズもこれと並ぶことができず、純金でもその値踏みをすることはできない。28:20 では、知恵はどこから来るのか。悟りがある場所はどこか。28:21 それはすべての生き物の目に隠され、空の鳥にも隠れている。28:22 滅びの淵も、死も言う。「そのうわさは、この耳で聞いたことがある。」28:23 神は知恵の道をご存じであり、神こそ、それがある場所を知っておられる。28:24 それは、神が地の隅々までを見渡し、天の下をことごとく見ておられるからだ。28:25 神は風に重さを与え、水を秤で量られた。28:26 神は雨のために法則を、稲光のために道を決められた。28:27 そのとき、神は知恵を見て、これを見積もり、これを確かめ、調べ上げられた。28:28 こうして、神は人間に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵であり、悪から遠ざかること、これが悟りである」と。   22節に「滅びの淵も、死も言う。そのうわさは、この耳で聞いたことがある」とありますが、ここでヨブが滅亡と死を擬人化して話していることがわかります。「滅亡と死」という人は「知恵」という人に会ったことがないと言っています。当然のことながら「滅亡と死」が「知恵」は相反するものです。つまり知恵は救われる方です。ヨブは、知恵という方がどこにおられるのかを教えてくれる方がいると言います。「神は知恵の道をご存じであり、神こそ、それがある場所を知っておられる。23」神様だけが知恵の行方を知っておられる。知恵の源は、人間の考えではなく、神様なのです。   旧約聖書では、「ヨブ」、「箴言」、「伝道者の書」を知恵書に分類しています。箴言でも知恵は擬人化されています。知恵を人格のあるものとして扱っているのです。この人格とは、「人格的な人」という時の性格を意味するのではなく、「神様の格」と区別された「人の格」をいいます。「人の格」には「知性」と「感性」と「意志」があります。箴言で擬人化された知恵は「神様から生まれ、創造以前から存在し、創造に参与された方であり、知恵が神様と人の喜びになる」ことを箴言8章が語り、ここでは最後に知恵が1人称話者として語られています。   「子たちよ、今、わたしに聞き従え。幸いなことよ、わたしの道を守る者は。訓戒を聞け。知恵を得よ。これをなおざりにしてはならない。幸いなことよ。日々わたしの戸の傍らで見張り、わたしの門の柱のわきで見守って、わたしの言うことを聞く人は。なぜなら、わたしを見出す者はいのちを見出し、主から恵みをいただくが、わたしに背を向ける者は自分自身を痛めつけ、わたしを憎む者はみな、死を愛するからだ。箴言8:32‐36」   今日の本文のヨブ記28章の最後の28節にも「主を恐れること、これが知恵であり、悪から遠ざかること、これが悟りである」と言いました。神様を恐れるということは、知性と感性と意志が働かせ、人格的であるときに実際的なものになります。だから、知恵はあの上にとどまらず、ここに共にあります。神様のみことばを知性と感性と意志を使って読む人は、それを体現化します。それによって知恵という方に会うことができるのです。

욥기 QT43 211120토【지혜의 행방】욥기 28장 12~28

욥기 28장 12~2828:12 그러나 지혜는 어디서 얻으며 명철의 곳은 어디인고28:13 그 값을 사람이 알지 못하나니 사람 사는 땅에서 찾을 수 없구나28:14 깊은 물이 이르기를 내 속에 있지 아니하다 하며 바다가 이르기를 나와 함께 있지 아니하다 하느니라28:15 정금으로도 바꿀 수 없고 은을 달아도 그 값을 당치 못하리니28:16 오빌의 금이나 귀한 수마노나 남보석으로도 그 값을 당치 못하겠고28:17…

ヨブ記 QT42 211119金【神様に与えられる知恵】ヨブ記 28章 1~11

ヨブ記 28章 1~1128:1 まことに、銀には鉱山があり、金には精錬する場所がある。28:2 鉄は土から取られ、銅は鉱石を溶かして取る。28:3 人は闇の果てに、その極みにまで行って、暗闇と暗黒にある鉱石を探し出す。28:4 彼は、人里離れたところで縦坑を掘り進み、行き交う人に忘れられ、人々から離れたところで、ぶら下がって揺れる。28:5 地はそこから食物を産み出すが、その下は火のように沸き返っている。28:6 その鉱石からサファイアが出る。その場所には金のちりがある。28:7 その通り道は猛禽も知らず、隼の目もこれを狙ったことがない。28:8 誇り高き獣たちもこれを踏まず、たける獅子も通ったことがない。28:9 彼は硬い岩にまで手を加え、山々をその根底からくつがえす。28:10 彼は岩に坑道を切り開き、あらゆる宝石を目にする。28:11 彼は水が滴ることもないように川をせき止め、隠されていた物を明るみに出す。   神様が人間をお造りになった時、神様のかたちに造られました。このことに関して私たちは、自分の形に基づいて神様のかたちを想像しますが、神様はそれを許されませんでした。形を作り、それに神性を与えることを禁じられます。目に見え、手に触れることで、何かを認識する私たちにとっては困ることですが、ヨハネによる福音書はこう言います。「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。4:24」神様は可視的な肉体ではなく霊であられます。   神様は肉体を持った人間に必要な物質と形を与えられますが、それだけではなく、霊である神様の息を吹き込み、すでに霊が与えられているので、人間は永遠を慕う霊的な存在となりました。私たちが持っている二つの問題は、神様を肉の次元に引き下げ、人間の限界の中で神様を認識しようとすることと、神様は霊であることからすぐに神秘主義に駆けつけること、この二つです。霊性というのは、必ずしも知性や感性と区別された独立した能力であるわけではありません。霊性はそれらを活用する力です。   ヨブが言わんとする人間の知恵は、脳機能や感覚機能に超えた霊性です。本文でヨブは、人間は、山の中、地の中と石の中にある鉱物を採掘することができると言います。人の目では目に見えない地の中にあるものですが、それを見つけ、石の中に混ざっている宝石を分離することができるということです。目が良いと言われるワシでさえ、それを観察することはできず、取ることもできません。しかし人間はそれを見つけだす力を持っているということです。   それは、見えないものと複雑に混ざっているものの中から本質を見つけだすことができる能力があるということです。それが霊性が与える知恵です。知識は覚えることができますが、知恵は握りだすことはできません。それで、箴言は、「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。9:10」と言います。神様に与えられた霊性で、世界と物事を判断し、区別し、洞察する知恵が私たちの中にあることを願います。

욥기 QT42 211119금【하나님이 주시는 지혜】욥기 28장 1~11

욥기 28장 1~1128:1 은은 나는 광이 있고 연단하는 금은 나는 곳이 있으며28:2 철은 흙에서 취하고 동은 돌에서 녹여 얻느니라28:3 사람이 흑암을 파하고 끝까지 궁구하여 음예와 유암 중의 광석을 구하되28:4 사람 사는 곳에서 멀리 떠나 구멍을 깊이 뚫고 발이 땅에 닿지 않게 달려 내리니 멀리 사람과 격절되고 흔들흔들 하느니라28:5 지면은 식물을 내나 지하는 불로 뒤집는 것같고28:6…

ヨブ記 QT40 211116水【目覚めたらいない】ヨブ記 27章 13~23

ヨブ記 27章 13~2327:13 悪しき人間が神から受ける分、横暴な者が全能者から受け継ぐものは次のとおりだ。27:14 たとえ子どもが増えても、剣にかかり、子孫が食べ物に満ち足りることはない。27:15 その生き残りも死んで葬られ、やもめたちは泣きもしない。27:16 彼が金をちりのように積み上げ、衣装を土のように蓄えても、27:17 蓄えたものは、正しい者がこれを着て、金は、潔白な者が分ける。27:18 彼はシミの巣のような家を建てる。番人が作る仮小屋のような家を。27:19 富む者として床につくが、もうそれきりだ。目を開けると、もう何もない。27:20 突然の恐怖が洪水のように襲い、夜にはつむじ風が彼を運び去る。27:21 東風が彼を運ぶと、彼はいなくなり、その居場所から彼を吹き払う。27:22 それは容赦なく襲いかかり、彼はその手から必死に逃れようとする。27:23 それは彼に向かって手をたたき、彼を嘲って、その居場所から追い出す。   悪者も栄えることがあります。ヨブは次のようにその逆説を語ります。悪しき人も繁栄します(14)が、その繁栄のために剣にかかり(14)、それを食べることができず(14)、死んで葬られ(15)、悪しき人は栄えますが(16)、それを楽しみません。悪しき人も富を積むことがあります。 しかし、それはすぐに他人のもの、義人のものとなり(17)、自分のものとはなりません。たとえ、金持ちが死んでも行く所がありません(18)。   地上にある良いもので神様の恵みの程度を測定することはできません。なくても豊かな人がいれば、所有していても不幸な人がいます。使っても減らない人がいれば、たくさんあっても使えない人がいます。条件が悪くても幸せな人がいれば、すべてが揃っていても不安な人がいます。箴言は、「悪しき者は、追う者もいないのに逃げるが、正しい人は若獅子のように頼もしい。28:1」と言いました。不安と恐怖の時代を生きる人々は、なぜ不安なのか、また自分の敵が何であるかを知らないまま、不安に包まれています。   ヨブは彼らが持っていたものが「目を開けると、もう何もない。19」と言います。90年代出版して人気を浴びたキム・ハンギルの『目覚めたらいない』というエッセイ集があります。アメリカの生活を勝ち抜いて成功を遂げますが、その過程を幸せに生きることができず、結局夫婦は別れることになります。妻はアメリカで、キリスト教の信仰を持ち、後に牧師になりますが、癌にかかり、今はいなくなっています。キム・ハンギルの別れた妻は、実は先日引用したイ・オリョン先生の娘です。   彼らの話を悪い例とするつもりらありません。彼自身告白しているように、成功のために生きるものの、「目覚めるといない」という告白に共感するのです。ヨブが言っている悪者も「凶悪な悪党」ではなく「愚かな群像」なのかもしれません。人生は、目を閉じたまま前へ走り続けるようなものですが、ある日、目を開けてみると大切なものが残っていないことがあります。目覚めたら何もいない、気づいたら何もないことに気がつくことがあります。エッセイは、ハッピーエンディングではありませんが、困難な日に互いを配慮した日常の話は幸せな物語として響いてきます。つまり幸せは確かにありましたが、それに気付かず生きてきた、ということです。「義人は今日を味わって生きる人」であり、「悪人は明日の不安に生きる人」ではないでしょうか。